ダンス教室の先生の一人むすめ
Yちゃん(10歳)
両親をダンスの先生に持ち
(まさにサラブレッド)
小さい頃からクラシックバレエを習い
手足は長く
顔は小さく
つぶらな瞳に長いまつげ
さくらんぼみたいなくちびる
さらさらの髪を長くたばねたその姿はさながら天使みたいにかわいらしい
さて、この天使が…
実にやんちゃ
レッスン中にちょっかいを出しに来る
(今日は、ペンで足に描かれそうになったな)
そしてわたしと「スリッパサッカー」
(相手の片足から奪取したスリッパを、相手が奪還できないように&相手から取り返すため
足で蹴りあうという高尚なゲーム)
教室中ところせましと走り回っている。
さて、そのYちゃんの学校の先生が
最近偶然にわたしのコーチングセミナーに参加なさった、という話から
Yちゃん「コウコちゃんって、なんのセミナーやってるの~」
わたし 「う~ん、何っていわれるとねえ…
(コミュニケーション、ってとりあえず言ってみるか、と思った瞬間)」
Yちゃん「テツガク?」
わたし 「え?違う違う。そんなんじゃないよ」
Yちゃん「だって、『わたしは何者か?』って、そういうのでしょう?」
わたし 「そういわれると(このとき、ものすごく『ハッと』しました)
…そうだね。ただ、いつものセミナーではそこまでやらないことが多いかな。
でも、最後はそういうことかな~」
Yちゃん「うちに、子どもむけのテツガクの本があるよ」
わたし 「ふうん…」
さて
自分の仕事について
彼女にことさら詳しい説明をしたことはなかったのだけど。
(この教室自体で、仕事の詳しい話をしたことがない)
「コーチ」
という仕事がどんな仕事か、彼女なりに誰かから聞いたのでしょう。
そしてそれらの情報を総動員して
彼女は
「自分とは何か」
を明らかにするものだ、と定義づけている。
セミナーではまず、
「ラポールを築く」
「聞く」
「質問」
…
なんてことをやるけれど
その奥の奥
いつも、念頭においているのは
まさに、それらを通して「自分を知ること」
自分はどんなことに価値を感じるのか。
何を大切にして生きているのか。
どんな信念を持っているか。
そして、自分はそもそも「どういう存在か」。
自分を知ることなくして
(自分とのコミュニケーションなくして)
他者とのよりよいコミュニケーションは成立しない。
それは、わたしがいつも一貫して意識し続けていることです。
Yちゃんの言葉を聞いた瞬間のわたしの感じを
いくつか言葉にしてみたけれど
どれもピッタリこなくて、全部消してしまいました。
こどもは、すばらしい。
この、稀有なみずみずしい生物よ
宝石のような存在よ。
いつまでも、このままの状態で成長してください、と切に願ったことです。