という
国語の教材があったのです。昔。
中学校2年生の国語の教科書に載っていました。
どんな話かといいますと
外国のお話なんですけど。
大嫌いだったおじいちゃんの昔語りを、ふとしたきっかけで聞くことになった
少年が、
そのことがきっかけで、古いものや、それにまつわる物語に夢中になって
やがて博物館の館長になる道をすすむというお話です。
「祖父がわたしを作ったのだ」
という一文で、確か締めくくられていたような。
その授業のときに
「人生でこれを見つけないと、という2つは、自分が一生をかけられる仕事と、
人生のパートナー」
という言葉を自分のクラスで言ったのです。
すると、一人の男の子がわたしをチラッと見て
「…先生はどっちもまだだね」
パートナーがまだなのはわかるけど、どっちもかあ、
と思ったのでした。
何か満たされない気持ちで、何かがまだどこかにあるんじゃないか、
と思いながら教員をしていたことを彼はわかっていた、ということかなと。
子どもにそれがわかるようでは、もうここにいちゃいけないな、と思ったんでした。
彼の一言は、わたし自身を次のステップへ押し出してくれたような気がします。
その、恐るべき(笑)洞察の一言をすらりと言ったのが彼。
(一番奥の男性。本人は「覚えていない」といっていますが)
手前の男の子はデザイン関係の仕事でしたか。
中学生の頃は甲高い声で、一番前の席に座って小さな身体でまっすぐ前を向いている子で、
彼の目を見ていると「授業、手を抜けません!」といつも思ったものでしたが。
3人の子のお母さん。
障害児教育に頑張っている子。
みんな成長しています。頼もしい…。
結婚式で、わたしに「乾杯のご発声」をさせてくれた子も。
他にも、高校の先生にプロのダンサーと、
みんな、自分の「道」を進んでいます。
この子達にとって「わたしをつくったもの」はなんだったんだろう?
それは、わかりませんが、わたしにとってこの子達は、
「今のわたしを作ったくれたもの」であることは確かです。