いいコミュニケーションのために「人は(自分含め)そもそも動物である」ということをしっかりと覚えておくといい

 
 
 
 

「足りない」より「ここにある」から出発する方がいい-教頭先生方の研修会にて

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先日、鹿児島は南薩地区の、小中学校の教頭先生方の研修会に行ってきたんですけれど、

その時に出されたオーダーが、

 

 

 

「先生方はとにかく忙しい。だからホッとする時間にしてほしい」

 

 

 

だったのに、結構な感動を覚えたのでした。

この仕事を始めてもうすぐ20年。

正直言って「初めて」のオーダーな氣が。

 

 

 

 

これまで、

たくさんのオーダーを受けてきたけれど、

「こんな力をつけてほしい」

「こういうふうになってほしい」

 

 

 

 

 

 

まあ、当たり前です。

研修というのは、一般的に「そういうもの」ということになっていますんで。

 

「こういう力をつける」

「こういう知識を得る」

 

つまり、

「もっとこうなってほしい」。

 

 

 

 

 

 

けれど。

裏を返せば「足りない」「不足している人たち」という視点で

「その人たち(参加者)」をみている、ということにもなる。

 

「あなたはこういうところが足りない」

「もっとこうなりなさい」

 

 

という目で見られ、

「だから行って来い!」と研修に突っ込まれて、

嬉しいはずがない、とも思うのです。

 

 

 

 

 

「先生方は忙しい。

 

(確かに!こと教頭先生の忙しさは超弩級であると考えられます。

わたしも教員時代によく拝見していました…早朝でも、もはやいるし、夜、未だいるのが「教頭先生」)

 

だから、何よりほっとする時間を」

 

 

 

 

この言葉に、先生方の日々の頑張りへの深い信頼を感じたのは、

わたしだけでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

「今」への信頼。

そして、それを

「さらに豊かに発揮できるような、そんな『エネルギー』となる時間を」

そんな、依頼者の思いを感じたのでした。

 

 

 

 

 

 

「研修とは、今ある自分の素晴らしさを知り、認め、誇り、そして、

それをさらに、自由自在にのびのびと、発揮するためにあるものなのだ」

 

 

 

 

 

 

3年くらい前、

そういうことを書いた氣がするんですが、

今回ほらねと、再確認です。(クスッと笑う得意げな自分がいる)

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてこれは、わたしたち自身に関しても同じで。

すべての体験。

これまでの自分の人生。

歩んできた歴史。

 

 

「もっとこうであったら」

「どうしてできないのだ」

「なぜ、こうなのだ…」

 

 

さまざま思うところもあるでしょうが、

この人生を生きてきて、今ここにいる自分。

この時間を、このプロセスを否定してなんの意味が?と思うのです。

 

 

わたしたちは、頑張ってきた。

本当に、十分に頑張ってきた。

 

 

そして、たくさんのことを学び、身につけ、その傷までもが、

糧として、今や自分のかけがえのない唯一無二の輝きを形づくっている。

そう、その傷なくて、今のあなたはいなかった。

 

 

 

 

 

 

わたしの前にいるあなたの笑顔をつくっているのは、

あの日、奥歯を噛み締めていたあなた。

静かに涙を流していたあなた。

悔しさと無力感に膝をついたあなた。

だったりするのです。

(そんなあなたと出会えて嬉しい、といつも思う)

 

 

 

 

 

 

全、肯定。

もし、あなたが肯定できなくても、わたしが全肯定したく思う。

今、ここにあるあなたこそがまず何より美しい。すごいと思うし、尊い。

 

そして、結局、そっちの方が、ずっと効率が良くて、

エネルギーが満ちるので、うまくいくのです。

 

そして、すべてのものとの関係性の土台はここ、なのです。

 

 

 

 

 

*  *  *  *  *

 

 

《雑記》

鹿児島の「南薩地区」には、温泉で有名な指宿が入っています。

(この研修自体も、会場は指宿だったのですけれどね)

 

 

そして、指宿の官公庁の「夏の公式ウェア」は「アロハシャツ」なのです。

さすが、南国指宿!

秋口とはいえ、まだまだほとんどの指宿の教頭先生方が、「アロハシャツ」でのご参加でした。

(いや〜、爽やか^^)

 

 

 

他にも、頴娃(えい)という地区があってですね。

(難しい方言No1と言われる方言を持つ鹿児島でも、

特に特徴がある言葉の地区で、県内では「英語」ならぬ「頴娃語」と呼ばれているんですが)

 

そこの教頭先生方の「チームウェア」はかっこいいポロシャツでした。

 

 

 

 

本当、時代は変わったんだなあ…。

(しみじみ)

でした。

 

 

 

 

 

自分という地層を通って言葉は滲み出るのだ

 

 

 

 

 

2人の講師が登壇するオンラインセミナーを視聴。

テーマはどちらも、「コミュニケーション」とか「伝える」という分野。

 

 

一人は、言葉、講義の中身、存在感ともに好きな講師で、

この人目当てで申し込んだのだけど、

もう一人の講師も、タイトルからするにとても良さげで、楽しみにしていたのだけど。

 

 

 

 

結果、(わたし目線ですが)

二人目の講師はどうにも聞いていられなくて15分くらいで聞くのをやめてしまった。

 

 

 

 

 

この二人、何が違ったのだろう?と考えていたのだけど。

 

突き詰めると「言葉」が、

どこで発生し、どこを通って出てきているか、の違いかな、と。

 

 

 

一人目の人は、著作も多い人なのだけど、

その興味の多様な方向性の本、それぞれに満ちるエネルギーを感じる。

(うわ、好きなんだなあ~、という感じ)

 

 

 

この人の場合は、その言葉の出発点は全て

 

「自分が感じたこと」

「思ったこと」

「自分が体感したこと」

 

なのだと思う。

 

 

 

「自分の中からふつふつと湧いて出た思い、疑問、憤り、願い…」。

 

 

 

そういったものが出発点。

 

 

 

 

 

言い換えると、

この人が語っているのは、「自分の内側」から湧き上がる「自分の真実」。

 

 

「自分の体感した真実」を心から「伝えたい!」と願い、そのために、

自分の言葉、プラス

 

外界にあった言葉、誰かの理論、

誰かが系統立ててくれた概念を選び、

噛み砕き、血肉となるまでこなし、

自分の身体のリズム、身体感覚に沿った言葉にまで「変換している」。

 

 

 

そう、ここが大事。

 

 

 

変換ができていて、しかももはや染み込んでいる。分離不可。

それはもはや、あなただけの、あなたの言葉。

 

 

 

 

 

で、もう一人の人は、それが感じられなかった、ということかなあと。

 

その人が語ったのは、わたしも知っている、マーケティングの有名な理論だったのだけど、

わたしには、

 

 

「誰が語っても、同じだろう」

 

 

と思えてしかたがなかった。

はなから「その概念」をただ語っている感じ。

スルスルと表面をすべっている感じ。

 

 

 

 

そこには、

 

「その人という『地層』を通り、濾過され、独自のミネラルや栄養分が足された

その人だけが出すことができる、『絶対に味わいたい、と思える甘露』」

 

というものが存在しなかった。

 

 

 

 

 

 

こういうものは、講義や講演だけではなく、

歌でも、踊りでも、作品でも、なんでも一緒なんだろうなあ、とつくづく思う。

 

 

 

「全てがオリジナル、一から全てを自分で作った、自分で考えた」

という創造物はこの世には存在しない、

どこかで先人たちが考え、表現したものだ、と。

 

 

 

誰かが言っていた。

 

 

 

それでもわたしたちは表現する。自分の内に生まれた、この熱い思いを。

 

 

 

 

「表現したい」「これを他者に伝えたい」

と日々、請い願っている人は、上に書いた「地層」の喩え、

方向を指し示す結構いいイメージとして使えるんじゃないだろうか。

 

あなただけが出せる「甘露」。

 

 

 

 

わたし自身は、自分が書いた言葉ながら、とてもしっくりきた。

そして、「地層、厚くしよう」と思っている。

(厚いだけで「なかなか透過しない」のもあれなので、バランス大切に)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*    *    *    *    *

 

青文字のところ、我ながら「とてもいい喩えだ」と思ったので、強調してみたんでした。

「甘露」という言葉は「凝縮された、美味なる良いもの」くらいの意味で使ったんですが、

仏教用語でもあるらしいです。

(こんな感じ↓)

 

中国古来伝説で、天子仁政を施すと、天が感じて降らすという甘い露。

《(梵)amṛtaの訳。不死・天酒の意》天上の神々の飲む、忉利天(とうりてん)にある甘い霊液不死を得るという。転じて、仏の教え、仏の悟りにたとえる。

煎茶の上等なもの。

夏に、カエデ・エノキ・カシなどの樹葉からしたたり落ちる甘い液汁。その木につくアブラムシから分泌されたもの。

甘露酒」「甘露水」の略。

(goo辞書より)

 

 

 

 

 

 

 

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