フィギュアスケートが好きで、
小さい頃から、放送されるものは見られる範囲でずっと見てきたんですが、
記憶にある男女のペアは、子どもの頃にNHK杯に出た一組と、
数年前の高橋・木原組の二組のみ。
昔はフィギュアの放送というとNHK杯しかなかく。
そして、ペアもアイスダンスも時間をかけて全部放送していたものでしたが、
いつの間にか男女のシングル競技のみの放送となり、
ペア?アイスダンス?なんですかそれ?
みたいな扱いになって幾年月。
(カップル競技が好きだったのでこれは悲しいことで)
さっき、フィギュア国別対抗のペアのフリー演技を見終わったところです。
三浦瑠来・木原龍一ペア。ロシアに次いで2位。
終わった時に、
「これでやっとつながるな」
という言葉がふっと浮かんだんですが、声にすることができず。
出そうとすると、喉の奥が震えて、変な音が出そうで。
つまり、泣きそうで。(なぜだ?)
ペアの美しさ。ペアでしか出せない世界。
そこにこそ感動し、やってみたい!と思う若い人たちがこれでやっと、日本にも
たくさん出てくるんじゃないかな、
と。
男女で共に作る表現、というのは、どう考えても
西欧の人たちに一日の長がある氣がします。
わたしは社交ダンスをやっていますが、まあ自分でやっていても
「その動きやるんですか!恥ずかしいんですけど!」と先生に言うことありますし。
(照れるといいますか)
これまで、日本人のペアというのは、
「二人で組んでスケートの色々な難しい技をやる競技」というレベルから抜け出せなかったように思います。
そこから先の「ストーリが生まれる」「二人の間に世界が紡がれる」
(それが見ている観客にまでを巻き込む)
というところまで、なかなか行かなかった。
けれど、「りくりゅうペア」(三浦りく、木原龍一、略して「りくりゅう」と呼ばれている)
からは、確かに感情が伝わってきました。
彼らが描きたい世界観が伝わってきた。
町田樹君(元フィギュアスケーターの、現國学院大學助教)いはく、
「日本には、フィギュアのカップル競技が練習する(育つ、だったか?)環境はない」のだそうです。
断言するんだ~、としみじみ。
(けれど、とてもわかる氣もする)
そんな中で、日本のペアの表現の大きな扉を押し開いた三浦・木原ペア、なのでした。
男と女のペア。
社交ダンスをしていて思うのですが、
「二人でつくる」ということは、お互いの「違い」への憧れと尊重、尊敬と賛美そのものなのです。
女性ならば、男性の美しい筋肉。支えの手の確かな力強さ。身体の軸。
自分だけでは出せない回転に速度を与えてくれる瞬発力。
それらもろもろ全てへの尊敬と賛美と信頼があって、初めてその次の、
「表現の世界」へと入っていける。
それら憧憬と賛美の想いは至極当たり前のことで、
わたしたち日本人も実は、持っているそれらの思いを
かつては自然に、喜びと共に発露させることができる民族だったのではないか、
とそんな気がするのです。
大好きなアメリカのアイスダンスカップルに「シブタニ兄妹」組がいるんですが、
(お兄ちゃんと妹で組んでいる日系3世のカップル)
初めて彼らの演技を見たとき、
何だか神話の時代の男神(おとこがみ)と女神(おんながみ)を見ているような氣がしたんですよね。
(縄文のヴィーナスや、天岩戸のアメノウズメのエピソードなどを見ているとそんな氣が)
長くなっていますが。
長いこと、世界に通用する選手が出てこなかったフィギュアスケートのペア。
そしてアイスダンス。
アイスダンスも、小松原美里&尊(たける)組に続いて、
男子シングルから転向した高橋大輔と村元かな組もすごいことになってきています。
声が詰まって、言葉にならなかった感覚を客観的に言葉にするに。
三浦・木原ペアの演技に、
「やっときたか~。
(これからどんどん、太古の神々の時代の熱い鼓動を。
自然な思いの発露を、普通に、溢れるように表現する若い子たちが日本にも生まれてくる)」
というような予感。
喜び、でしょうか。
《追伸》
今、学校でヒップホップが必修科目になっているようですが、
カップルのダンスをこそやればいいのに、と思います。
そこから学べる能力、得られるもの、培える力は、それこそ山のようにある。
自分対自分、自分対相手、自分対「場」のコミュニケーションの能力が、全部一気に鍛えられます。
書くと恐ろしく長くなるので、今日はここらでやめておきますが。