相談業務が仕事のクライアントさんがいます。
相談終了時、彼の発した「話してみてどうですか?」の問いに、
相談者が「ますます不安になりました」と言った、とのことで、
なんだか落ち込む、と。
話を丁寧に聞き、相手の言葉を受けて、
「それならばこういう案も」「こういう方法も」と提案も様々にしたのだが、全て却下。
話は「そして出発点へ戻る」で終わったのだそう。
この間、約2時間。
「どっと疲れました…」
とのことで。
それは、お疲れ様でございました…としみじみ思ったのでした。
「ますます不安になりました」と言われたときに、
「それ、自分のせいですか?そうなんですか⁉︎」という思いが
瞬間ぐるぐると渦巻いたそうで。
その気持ち、わかる…(わたしもそういうところがあるからなあ~と思いつつ)
で、ふと浮かんできた一つの喩えをお伝えしてみました。
「わたしたちの仕事は、交通整理をしているようなところがあります。
相手の中の膨大な量の情報、感情の交通整理。
お巡りさんが、交差点の真ん中に立って交通整理をするときに、どんなにたくさんの量の車が走っていても、
ひどい渋滞であっても、一台一台の車に感情移入をすることはないでしょう?
『ああ、あの車は赤ちゃんが泣いている!ごめんよ…』
とか、
『あの車の中は苛立って喧嘩をしているな。申し訳ない…』
と、ともに悲しんだり、嘆いたり、どうにかしてあげよう!と思ったりはしないですよね。
それは、お巡りさんの仕事ではないから。
お巡りさんの仕事は、ただ渋滞を、安全に適切に捌くこと。
共感しつつも、その視点を持っておくといいかもしれません」
彼は、
「ああ!とてもわかりやすい!」
と。(ヘッドセットの向こうで、「メモを…」の気配)
話を聞いていて。
コミュニケーションをとっていて「疲れる」というときは、
そこに「ゲーム」(無意識下のエネルギーの奪い合い)が起こっているとき、なのだろう、と思います。
(エネルギーが均等に、クルクルと循環しているときには疲れないし、
逆に、お互い触発しあって元気になり、いいアイデアがバンバン浮かんだりするものです)
「課題を解決するのは、相手」
「相手の機嫌は相手の責任」
感情、身体状態ともに、ともすれば反応してしまい、なかなかそこの切り離しができないこともありますが、
自分にとって心地よい、新しい「軸」を採用し、
それを何度も何度も「採用し続ける」ことで(ここが大事!)
やがてそれは身体に沿った「生きた技」となり「在り方」になっていくものだな、と思います。
(今朝の桜島。島はおぼろでしたが光る海に
観光の人たちが「おお〜!」と歓声をあげていました)