先週書いた文章(退職したクライアントさんのことを書いた文章)をアップした翌日、
メールがやってきました。
古い友人からのもので。
「お久しぶり。
公子さんの、このメールを読んでビックリしました。
私のことだったから。
この3月、退職しました。
時間もできました。またおしゃべりしたいな。
お電話、くださいな」
彼女は「同じ釜の飯を食った」という言葉が当てはまる数少ないわたしの友人で、
(教員時代の友達。元同僚)
「ええ!退職したの⁉︎(早いよ!)」
と。
まあいろんな意味で驚いてしまったのでした。
(とても仕事ができる人で、わたしから見ると「バリバリ」の人だったので)
同時に、メールをもらったことが、とても嬉しく。
「それはわたしのこと」
これに勝る嬉しい言葉はないなあと。
本当に、自分の中から言葉を絞り出し、書いた甲斐があったなあと。
さて。
今日何を書きたいかというと、
わたし自身、人生のさまざまな場面でたびたび遭遇することなのですが。
あなたの中に「それ」が浮かんだ時、
(それをしたい!と)
それは意味なく浮かんでいるのではない。
わたしたちは深いところで繋がっており(集合無意識でもなんでもいいんですが)
その言葉が必ず、心に響く人がいる。
その「誰か」のために、
わたしたちは言葉を紡ぎ、
書を書き、
絵を描き、
歌を歌い、
音を奏でるのだ。
そのことを「する」のだ。
「あなた」という拡声器を(共鳴体を)
神様が使って、「それ」をなさしめているのだ。
それが今、必要な「誰か」のために。
わたし自身が、「それ」を発信者からもらうことで、幾度助けられたことか。
もし、今、自分の発信(やりたい!)に戸惑いがあったり、
少々自信がなかったり、
怖さを感じている人がいたら、
この感覚を思い出してもらえたらいいかな、
と思い書いてみました。
あなたの中に溢れる「それ」を止めてはいけない。
「それ」を待っている人がいる。
(写真は鹿児島、島津家別邸「仙巌園」のお屋敷の中庭にある手水鉢。
こんこんと水が湧いて、みていて飽きない。音も美しい)