ホームページ&ブログの引越し準備諸々で、
大変間が開いてしまいました。
もう少ししましたら、こちらのブログは閉める予定です。
いずれ新しいURLのご案内を貼っておきますので、
また新しい場所でもご愛顧くださると嬉しく存じます。
* * *
早期退職した知人なんですが、
職場から持ち帰った大量の資料本その他を部屋に納めるため、
大がかりな片付けが始まった。
いざ片付けを始めると、
「おっと」と思うようなあちこちから、宝物が出てくる。
「宝」というのは知人いはく、文具のことなんですが。
知人は文具が大好きで、素敵なものと出会うと購入するのが楽しみだったそうなんですが、
多忙ゆえに、それを愛でることもなく、
いつの間にか、あちこちに埋もれてしまっていたそうで。
(埋もれて、と書きましたが、「言葉のあや(たとえ)」であって、
本当に埋もれるくらいの部屋であった、というわけではありませんので念のため!)
「ああ、こんなところにあったのか〜」 BY 知人
それを聞いて、
「ああ、ご自分を取り戻しているなあ」
と、そんな感慨を抱いたのでした。
味わい直している、と言ったほうがいいか。
知人の仕事は本当に忙しく、
責任あるポジションで長いこと頑張って来られたんですが、
このたび、人生の次のステップへと移ることを選択なさったんだなあと。
さて。
このお片づけの話で、自分のことを思ったんですが、
わたし達は皆、人生という旅の過程で、あちこちに自分の「かけら」を置いてきているんじゃないか。
とそんな気がします。
思い残し。
やりたかったこと。
大切にしていたこと。
完了させるべきこと。
完了させるべき感情。
自分との約束。
あちこちに、散りばめるように置いてきてしまったそれらは、ずっとそこで待っている。
見つけられ、回収されるのを。
ずっと声なき声を発し続けている。
そんなふうに感じます。
その声をあまりに無視し続けると、人生が楽しくなくなったり、流れが悪くなったりすこともある。
(まさに自分のこととして思います)
なので、
人生のある段階で、手をまっすぐに天に伸ばし、
「戻ってこい!」
と「召喚」する必要がある。
全てのかけらを自分のもとに取り戻す。
戻ってきたそれらは、思いもかけぬエネルギーを私たちにもたらしてくれる。
(もともと、わたし達はそういうものだったのです)
知人は新しい場所に立って、
これまで多くの人のために注いできたエネルギーを、
同じだけの集中力と繊細さで、これからご自分に向けて注いでゆかれる。
その姿はわたしにとって、
仕事で頑張ってらっしゃった時と全くもって同等に魅力的です。
そして、全く同等に、時間を割く価値のある大切なことだと感じています。
さて。
わたしもこの連休は、自分と語り合い、
(と言っても、PCやノートを前に「ボーっ」としているだけですが)
改めて「それ」について洗い出しているところです。
でもって、随分と長いこと(30年にわたって!)
「やりたい」と思ってやっていなかったことを
始めてみたりしています。
どんなエネルギーが自分に戻ってくるのか?
どんな変化を自分にもたらすのか?実験中。
今日の文章を読んで、心動いた方。よろしければご一緒にぜひ。
「自分のかけらを取り戻す」。
(何をしたかったかというと、一つは絵をかきたかったのです。
子どもの頃は、それこそ夜も昼もなく、かいて遊んでいたものでした。
時代は変わり、「今風に描こう!」と思い、絵を描くソフトを探しているんですが、
決めるのに時間がかかりそうなのでとりあえず鉛筆でざっくりかいてみました。
感想→昔はもっと手が動いていたのになあ、などなど、
いろいろ残念な感じを山ほど感じることになりました。
けれど、やっと「始めた」ことなので勇気を出して貼ってみたわけでした。
何が自分に戻ってきたかというと、一つだけはっきりと言えるのは、
「たやすく無心になれる時間」でしょうか)