久しぶりに本を買いました!と知人から、
メッセージが送って来ました。
いわゆる「大正浪漫」の香り華やかな、きれいな表紙の写真とともに。
「久しぶりに文字にゆっくり触れて、
言葉の言い回し、
綺麗な言葉、
綺麗な漢字を見ては読んではうっとり♡
日本に生まれてよかったなとしみじみ感じているところです^^」
この方、まだお若く、
20代後半にやっとなったくらい?でしょうか。
(けど、3人のお子さんのお母さんなんですけど)
「若者」が、
「綺麗な言葉、綺麗な漢字」
と書いてらっしゃるのが嬉しくて、今これを書いているわけです。
「綺麗な漢字」。
音と同時に、その形からも、
しんしんと意味とセットで私たちにたくさんのものを伝えてくる「漢字」というもの。
表語文字
(ひとつひとつの文字が「意味」と、「発音」を同時に表している文字体系のこと
…昔は「表意文字」と教えた覚えがあるけれど)
である漢字を、表音文字である
ひらがな、カタカナとまぜまぜにして使っている私たちですが、
これまで日本の長い歴史で、2度ほど
この「漢字仮名交じり」方式、危機を迎えたことがあったそうで。
(幕末と、戦争後の2回。漢字、いらないでしょ、と。
漢字、ダサい。漢字、難しすぎ。ALLローマ字に変更!と)
そんなバカなことにならず、
残って本当によかった。
この、
「漢字仮名交じり」であることは、
私たち日本人の理解力、思考力、学問の深まりにも、
大きな役割を果たしているわけですが、
それはおいておき。
日常で情報をやり取りするツールが、
同時に美しかったり、面白かったりもする。
単純な、その字が持つ「意味」以外の、いろんな「空氣」をまとうことができる。
「芸術」の一端をに担ってしまったりもする。
そういうものを味わっている人を見ると、
とても嬉しくなってしまいます。
(本文中の本と、写真は関係ありません?)