NLPのコースに行っていた頃、
人を変化、変容へ誘う(いざなう)ことのメタファー(たとえ)として、
「ジャングルで数十年間戦い続けた日本兵」
というのがあった。
戦争が終わったこともわからず、
ずっと、戦争中の「任務」をただひたすら守り続け、
一人ジャングルにこもって戦い続ける日本兵。
人々が戦争を忘れ、どんなに戦後復興を遂げ、豊かさを謳歌し始めても、
彼にとっての「真実」は未だ戦いの中にある。
彼はかたくなで、
投降を進めるビラも、わざわざ現地に行ってマイクで呼びかける親族の声も、
全て、
「敵の罠」
というフィルターを通してしかみることが出来ない。
したがって、絶対にジャングルから姿を表さない。
どうやって、彼の心を開き、
「変容」
にいざなうか。
答えは、
「当時の上官を連れて行き、ちゃんと、作法に則って
上官から『任務解除』を伝える」。
「変化」は誰にとっても恐ろしい。
人を変容に導くということは、
その人の見ている世界、住んでいる世界に寄り添い、
丁寧に「お邪魔し」
そして、相手の気持ちと状態を最大に尊重しつつ、行われるべきことなのだ、
と。
そういう趣旨のたとえだったように覚えている。
結構胸に響く、好きな逸話として印象に残っていた。
*
さて、
なぜ、いきなりこんなことを書いているかというと、
ついさっき、偶然にも、
「陸軍中野学校」
の映像を見たからなのです。
(全く違う映像を探していたんですが、
ふっと、なんとなく、上がっていたのをクリックしてしまい、
結局最後まで見てしまった)
そして。
ずっ~と、なんとなく「イメージ」として描いていた
「上官による任務解除」
の瞬間を、しっかりと画像で確認してしまうことに。
(小野田少尉、上官の谷口さんから30年経って任務解除を言い渡される)
す、すごいインパクト。
わかってはいたつもりでしたが…
「本当にあったこと」なのですね。
このドキュメントで、
当時の小野田さんの同僚たちが、
思っていたよりも、もっともっと、ずっと小野田さんに、
「寄り添い」「工夫して」
この時を迎えたことを知りました。
ずっと出てこない日本兵がいる。
その時、
中野学校
(※陸軍中野学校→戦争中、情報将校・ゲリラ戦をする兵を育成した機関。
小野田さんもここの出身)
の出身者だけは、その気持ちが手に取るようにわかった。
彼らは、
現地へ行き、自分たちだけがわかる「校歌」を歌い
ジャングルに呼びかける。
さらに、
当時の上官を探し出し、
「この人なら
当時とほぼ顔が変わっていないから小野田は覚えているだろう」
と、そんなところも配慮して、
現地で「復員命令」を伝えてもらう。
(ここまで、昔あった歴史バラエティ
「驚き桃の木20世紀」情報ですので悪しからず)
*
今、私の周囲で、
(いえ、私も含めてかもですが)
自分の中の、
「ず~っとジャングルに隠れていた自分」
(NLPでは「パート」と呼びますが)
が、ひょこ、ひょこと顔を出したり、
暴れている人がいるように感じています。
「あの時は辛かったんだ」
「寂しいよ」
「変わりたくない」
「外は怖い」
…
今の、世界の状況的なものもあってか、
皆、変わらざるを得ない現実の変化を前に
不安定になることも大いにあるでしょう。
そんな時は、
思い出してみて欲しいのです。
自分の中の「それらのパート」。
それに、一番寄り添わねばならないのは、
何より自分自身なんだということを。
丁寧に、丁寧に、扱って欲しいのです。
言葉をかけて欲しいのです。
「頑張ったよね」
「よくやってきたよ」
「大丈夫だよ」
「君がどれだけ頑張ってきたか、よく知ってるよ」
…
(じゃないと、ますます、ジャングルから出てこなくなります)
まかり間違っても、
「馬鹿野郎グズグズ何してんだ」
「お前間違ってるよ」
「いつまでそんなことやってんだ」
なんて罵声を浴びせ、
無理やりジャングルから引き摺り出すようなことはしないで欲しいのです。
あなたの中の「パート」は、
昔の体験から得た「命令」(ルール)を今も、純粋に、
信じているだけなのですから。
丁寧に語りかけ、
そして、もしその「ルール」が今のあなたの幸せにそぐわないものだったら、
優しく解除してあげて欲しいと思います。
それが、結局変化への
「一番の早道」だということなんだと思います。
追伸:それにしても…昔(教員時代)
全然寄り添わない「変化の強要」を、していたこと、あったなあと
今思えば反省しきりです。