「深知今日事ーふかくこんにちのことをしるー」

神から預かりしものを、ただ花開かせるー研ぎ師に学ぶ『人育て』の本質

 

 

 

 

 

「漆黒の村正」

 

 

 

 

戦時中、刀身保護のためやむなく全身に漆を塗られてしまい、

そう呼ばれるようになった名刀を

今によみがえらせる、

という番組を見ていました。

 

 

 

 

「これは市民全員で守ってきた刀です」

 

 

と、重すぎる責任とともに刀を託された若い研師さんが、

一心に刀を研ぐ。

 

 

 

十数種類もの砥石や道具を使いながら

七十年越えの漆を剥ぎ取り、

下地研ぎ

仕上げ研ぎ…

 

 

と進んでいく様子を見るのはものすごく面白い。

 

 

 

 

 

 

「あくまでも刀の後ろに立って

応援してあげるって言ったらいいんですかね。

 

とにかく、オレがオレが、

研師がどうだっていうのは

あまりいい研ぎではないんです」

 

 

 

 

 

 

そして、

やがて、刀の表面にやっと、美しい刃文が顕れる。

 

かつて刀鍛冶が精魂傾け、技の全てを注ぎ込み、表した刃文。

刀本来の美しさ。存在意義。

 

 

七十数年前、

人の世の勝手な都合で本来の輝きを封印され、

いわば「刀としての生を封印されてきた」村正。

 

 

その輝きと刃文の出現は、

感動とともに、刀にそこまで興味のない私もついつい見入る美しさで。

 

 

 

 

 

 

 

研ぎを終えた、研師さんの最後の言葉。

 

 

 

「きちんとした仕事。

きちんとした砥石の当て方さえすれば、

刀がどんどん自らきれいになっていって、

美しくなっていってくれる、みたいなことを感じたんです」

 

 

 

 

 

 

そのとき、

僭越ながら、自分の仕事もまさにそうだな、との思いが浮かび。

 

 

私には、その研師さんがこう言っているようにも聞こえたのでした。

 

 

 

 

 

 

 

「神から賜りしものを預かり、ただ花開かせる。

そこに『他意』は必要ない」

 

 

 

 

 

 

 

「親」から始まり、

世の中の全て、「人と出会い、能力(本質)を開花させる」ことをしている人も、

実は「育てている」などということではなく。

 

つまりこういうことなのではないか、と。

そんな風にも思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

あなたにとっての、

「きちんとした砥石の当て方」とは何ですか。

 

 

対象が、自ずとその本質を。

持って生まれた輝きに自ら氣づき、あるがまま、存分に発揮しだす。

それを援けるあなたのースキル、考え方、精神の拠り所、

そして自身の「在り方」

等々。

 

 

 

 

 

 

あらためて考えてみるのも意味あることなのではないでしょうか。

これから、ますます「確固たる自分自身の『それ』」が

試され、必要とされる世の中になっていくようにも

思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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