◆「声は「越ゆ」ー志を届ける声と言葉と表現を磨くワークショップ」
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一昨日、知人から聞いた話なんですが。
お子さんの通う中学校の校長先生が、
朝礼で全校生徒を相手に「じゃんけん大会」をするんだそう。
そのじゃんけん大会にはルールがあって、
勝っても負けても生徒は、
「いえーい!」
と大声で言わなければならない。
負けた子も、とにかく
「いえーい!」
と叫んでから、座る。
全身全霊で、飛び上がって、「いえーい!」と言う。
言わせたい。
それが、校長先生の意図だそうで。
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全身から出てくる喜び、嬉しさ、感動、楽しさ、ある時はがっかり
それらと、
自分の「声」「身体」そして「言葉」。
全てが一致している。
それらを、存分に、思いっきり全身で表現する。
思えば、そんなふうに最後に在ったのはいつかなあ、と思います。
皆さんはいかがですか?
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今、子どもでさえ、
「そうでないとき」が、結構あるように思います。
(わたし自身でいえば、本当に「そう」だったのは、
小2か小3のはじめくらいまでだったような。
大人になってからは、固まった心と身体をほぐし、
自分の本当の声と言葉を取り戻す旅)
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自分の身体の奥底から、しっかりと湧いてくる声。
誰のものでもない。
自分の身体感覚、感情、快不快、価値観、自分の軸…それらとしっかりと結びついた言葉。
それらがある人は強いなあ、と思います。
極端な話、どこででも、何があっても生きていける。
そんな氣がします。
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声はその人の生命のエネルギーそのもの。
言葉はその人の意識、無意識含めた心、そして精神活動そのもの。
「自分の声」「自分の言葉」で世界に向けて真実、発することのできる人は、
(この、真実、というところに力を込めてみました)
そうですね…
例えていえば、モデルさんの世界なんかだと、
「無地の白のTシャツとデニムでぼんやり立っているだけなのに、
存在感ありまくりで、メチャクチャかっこいいモデルさん」
みたいな感じ、でしょうか。
飾ってもかっこいいけど、
何もなくても、身一つで完全にイケている。
風が吹くようにスッキリとそこに立っていて、
存在感と影響力が、もうダダ漏れになっている。
逆に、どんなに飾っても、何かしっくりこない。
あざとくみえる。嘘っぽい。
イタイ。
変な感じが伝わってくる。
(ましてや白Tだけなんて、全く通用しない)
そんな人もいたりするわけですし。
(妙な例えでかえってわかりにくくなったかもですが)
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意図(何をしたいのか、何を伝えたいのか?)
と身体の状態と言葉が「一致している」。
それはコミュニケーションにおける絶対条件です。
どんな笑顔、きれいな言葉、耳障りのいい言葉、
美しい、かっこいい(と自分が思って出す)声で語っても、
一致感なきところに相手の安心感なし。信頼なし。
感動なし。
(けれど、この、一致していない人や状態を、
とてもよく見かけるのです)
「今、わたしは一致しているか?」
コミュニケーションの出発点として、
(1対1であれ1対他であれ)
たくさんの資料を準備することより、
どんないいことを言おうかと考えるより、
いえ、それと同時に、と言っておきましょう。
私たちは常に、自分自身に問いかける必要があるのです。