「深知今日事ーふかくこんにちのことをしるー」

人は私たちの言葉ではなく、私たちの出す「音」を聞いている

 

 

 

 

 

というのは、今、心地の悪い響きで発せられた言葉を聞いて、

それに「刺された」ので、

(比喩ではない。いつも心臓のあたりが痛くなる)書いているわけですが。

 

 

 

言葉を聞いていないというのも言い過ぎで、聞いてはいるんですが。

でも、「言葉の内容」と「音」。

どちらがより根元的に、深いところで相手に影響を与えるか、というと「音」です。

響き。

 

 

 

 

 

 

 

理由は、

言葉の内容は頭(意識)で捉えるが、

音は身体(無意識)で捉える、から。

 

 

 

 

 

私たちは、どんな言葉を発するか、以前に、

自分がどんな音(音色/おんしょく)でもってその言葉を発しているか。

どんな波長でもってその言葉を発しているか。

 

 

 

自分の出している「音」にもっと敏感になり、

繊細になり、注意を払う必要があります。

音には意識的、無意識的に感情や意図が入る。

 

 

 

「こんなときはどう言ったらいいですか?」

 

 

 

などとよく聞かれますが、言うこと以前に、

「出す音を少し繊細に、

(とか、柔らかく、とかエネルギーを入れて、とか、どどんと!…)

すればいいんじゃないの?」

 

 

 

などなど、思うことがよくあります。

文言を(表皮部分を)変えてうまくいけばラクではありますが。

(問題の本質はそこにはないんですが)

 

 

 

 

 

 

「(例え言葉がどんな言葉であっても)

傷つけるような『音』を出していなければ傷つかない。

音に、摩擦のエネルギーや荒さがないから」

 

 

 

といったのは並木良和さんですが、本当にその通りだな、と思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

もう一つ、大切なのは何より大切なのは、

「言葉の内容」と「音」を100%一致させること。

 

 

 

私がしょっちゅう言っている氣がする

「言葉と自分を一致させる」

ということなんですが。

これが一致していないと氣持ち悪いことおびただしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

目の前の人は、生身の人間です。

頭でどんなに「いい内容喋ってるんだけどね」と理解したとしても、

 

 

 

身体は嘘をつけない。

言ってることと出してる音にズレがあるなあ〜、

ということをちゃんと身体は(無意識は)キャッチする。

 

「あれ、なんかわかんないけど氣持ち悪いなあ」ということになる。

 

自分にとって「共振」しない音には身体も心も開かない。

 

 

 

 

 

 

 

例えばプレゼンとは、つまりは

自分の出す音でもって、目の前の人と場を共振させる、ということ、なのです。

そして、その第一条件は、

「使う言葉と自分の出す音の一致感」。

 

 

 

 

 

 

 

つらつら思い返せば、

私の身近なコミュニケーション巧者・プレゼン巧者は

(世間一般にいう声の良い人、や「立て板に水」の人ではなく、心から信頼できる巧者たち)

例外なく、私にとって「言・音一致」の人たちです。

 

 

 

 

 

 

そして、

そのこの上ない一致感、しっくり感の上に立って、

「豊かに、自分の表現したいことに沿って自身の音を自由自在に使える人」

 

 

という感じでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

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