瞬時に「背中の貴公子」!と命名してしまったんですけど。
知人から誘っていただいた日舞の公演。
当日ぽかっと時間が空き、急遽見に行ったのですが、
そこですごいものを見ました。
その公演は、鳴り物も全部生演奏で、
唄、三味線、鼓、笛…もう本当にすごくて
(Eテレ「古典への招待」でいつも見ている通り←書いていて悲しい。所詮テレビなのです)
知人の踊りもまあ!美しくて、
そのことも書きたいんですが、今日はさらに滅多に見られないものについて。
それは、これ↓(下記写真参照)黒の紋付と袴の人。
「後見さん」と言うそうです。
(写真は資料です。お借りしました)
踊り手のサポートをする人。
刻々と変わっていく小道具を舞台上で渡し、取り替え、
衣装のラインをこまめに整え…
「引き抜き」と言われる衣装の舞台上での早変わりを執り行う人。
常に、踊り手に意識を注ぎ、
踊り手が最高の美しさで踊れるように存在する人。
踊りの流れも、
そして、
観客がその世界にどっぷりと浸ることも決して妨げてはならない。
そこにいるけれど、いない人。
それが「後見さん」なのです。
このお役目。
踊りと、場面の進行と…ものすごくタイミングを要する複雑な仕事なのですが、
決して踊り手を、
「ガン見」
してはならない。
なぜなら影だから。
正面を向いて座っていることは愚か、
くいっと顔を向けて舞い手を見ることすらしない。
そこに自身の存在があってはならないのです。
したがって、後見さんは、
「背中で」
踊り手を、見る。
舞台奥。
客席に背を向けてしん…と端座し、
まっすぐに伸びた背筋、やや首をうつむかせ、面をかすかに斜めに傾け…
背中で。
そして全身で、全神経を集中させて、舞い手と、舞台全体を
「見て、聞いて、感じ取って」
いるのです。
その姿は美しい。
後ろを向いているのに、その人の背中から出た「意識」が
舞台上に張り巡らされているのが見えるような氣がしました。
そして、そんな舞台上の踊り手と後見さんに、
なぜか私の口から飛び出てしまったのは…
「君ら…オスカルとアンドレかっ!」
(古い。古すぎる)
影なのに美しい。
影の役割をこんなにもまっすぐに全うしている、その姿は美しい。
ちなみに、
舞台上で使い終わった衣装や小道具を、
曲の途中で袖に持っていったりもするのですが、
当然、「スタスタ」とフツーに歩いて荷物を持ってはけることなどしない。
客席に背中を向け、ススス…と、
「なきもの」として持って、去っていきます。
さて。
本当に、滅多に見ることができない「すごいもの」を見てしまったのですが。
いろんなところで、
「部下が動かない」
「学生が動かない」
と言う「困りごと」を聞く日々。
「一度後見さんの訓練をしたら、
みんな恐ろしく『氣づけて、即、身体が動く人』になるだろう」
と思ったのでした。
(まあ、そんなことのために来られても、
日舞の世界の方々、迷惑なだけですけどね^^)
*
[追伸1]
「背中の感覚を磨く」と言うのは、私もとても大切にしている部分で、
若者セミナーや表現系ワークショップでは必ず取り入れているんですが、
今回さらに「やっぱりそうか」と確信を持ちました。
[追伸2]
この体験を通して、一つ思うところがあったのですが…
つまり、「こんなに後見さんが美しくていいのか?」
「こんなに後見さんに、ある意味目が行ってしまっていいのか?」という。
後日、Eテレで、ものすごく「枯れた」後見さんの「後見ぶり」をみて、
「なるほど〜」と思いました。
つまり、先日の「後見さん」の役の方にも、もしかしたら、
もっと先の世界があるのかもしれないと。
(美しい男性の話①「腰から動く男はかっこいい」はこちら)
https://ameblo.jp/businesskouko/entry-12492381046.html