本を読んでいたら、こんな一節がありました。
「厄年は『役を担う年』」。
男性は19、25、42、そして61歳。
女性は19、33、37歳が厄年。
身体が変わる頃ですし、体調を崩さないよう、
よくないことが起らないよう「厄払い」をしよう、というのがこの年。
わたしもやりました。
懐かしい。
実は諸説あるらしい「厄年」の説の中で
この中村さん(著者)が好きなのは
「役目を与えられる年」
という説。
諸説あることすら知らなかったので、
面白く読みました。
「女性は19歳、男性は25歳で、一人前の大人としての『お役を担う』。
女性は30代、男性は40代で、世の中の中堅としての『お役を担う』。
女性は出産、子育てという大役も担いますから、30代は重責です。
そして、男性は60代で、年長者としての『お役を担う』」
(「日本の神さまと上手に暮らす法」 中村真)
やく年=役年。
なにゆえこれに反応しているかといいますと、
わたし自身の「節目」「人生の切り替わり」が
見事、この19・33・37に当てはまっていたことに
はたと氣づいたからなのです。
いずれの年も
新しい世界に飛び出した年、といいましょうか。
自分の中では相当な勇氣、そして変化でした。
特に、後半33歳と37歳は
今につながる転職の年でした。
19歳。33歳。37歳。
「お役目」というわけではないですが、
わたしにとっては、
水が高きから低きに流れるように。
渡り鳥が渡りを始めるように。
自分の奥深いところのリズムそのままに、
水の流れの「堰を開けた」(開けることを自分に許した)年だったなと。
単純に言うと、よりやりたいことにシフトしていった年だったなと。
そうかそうか。
役目を担う年か。
(ちょっとうれしくなっています)
「『役を担うぞ』という氣持ちで厄年を迎えるのか、
『厄払いをしないと怖い』という氣持ちで厄年を迎えるのか。
ちょっとしたことですが、いずれの氣持ちで受け止めるかで、
一年の過ごし方が変わってくる氣がします」
(by 中村さん)
心理学的にもまさにこのとおりで、
「意識を集中させたところのものが、増大する」。
「厄」=「役」
このことを当時知っていたら、
もっと過ごし方が違ったのにな、と少し残念な氣持ちです。
「そのもの」「そのこと」が自分にとって何であるのか。
それを決めるのは最終的には「自分」です。
自分が決めたところのものに従って。
自分が貼ったラベルに従って。
人はその面を見、体験し、吸収したいものを吸収します。
同じ出来事であっても、
それは人によって面白いくらいに違う。
そして、ラベルの貼り方はあくまでも自由。
ほんとうに自由なのです。
今日一日、
いつものもの、
いつもの出来事に違うラベルを貼ってみる。
そんな遊びも楽しいのではないでしょうか。