「深知今日事ーふかくこんにちのことをしるー」

「いくつになってもゾーンにはいれる」

 

 

 

今月25日は通っているダンススクールのクリスマス舞踏会があり、

本番を控えて、デモを踊る面々の雰囲氣がだんだん殺氣だって来ています。

(というのは言い過ぎですが^ – ^。

一年のうちで、明らかに独特の雰囲氣を醸し出すこの時期

これはこれで好きなんですが)

 

来年は久しぶりに出ようかな、

と思ったりしているところです。

 

 

 

 

デモンストレーション。

つまり、大勢のお客さんの前で踊る、魅せる、ということなんですが、

デモに出ることの効用はすごくて、

 

①身体が絶対に絞れる(笑)

②表現力のきわに挑める。自分の枠を超える体験が出来る

③②に至るまでの創造のプロセスを自分の心身でガチに楽しめる。

(これがまた楽しい。まさに広大な冒険の旅!)

 

 

 

もうだいぶ前ですが

デモの場で、半秒もない動きを、1分かけて動いているような感覚になった、

3分の曲がとてつもなく長かった、いう話を

たまにセミナーでしたりするのですが、

今日はもう一つ、そんな話を。

 

デモで踊った一人の女性。

その時70代だったと思います。

その方が、翌日教室で、皆に一生懸命訴えているのです。

 

「踊っているときにもう一人の自分がいた!」

 

と。

種目はワルツ。

パートナーと組んでスピンをする、その自分たちの姿を外から見ていた、

踊っているんだけど見えていた、と。

 

 

「それってゾーンですよっ!」

 

 

と、ついその話に食いついてしまいましたが。

言葉は覚えていないんですが、

静かで、安らかな瞬間であった、と。

そんな感覚を一生懸命おっしゃっていたように思います。

 

この方。

もちろんプロでもなく。

ダンスもきっと、ある程度高年になってからお始めになったのでしょう。

 

 

 

この方の「踊ること」への純粋な喜び。

そして、いかに熱心に練習に打ち込んだか。

「うまくやりたい」

そんな思いも吹っ飛んで、ただただ「無」がやってくるくらいに。

 

そんないろいろを想像して

つい、「むぎゅ」とその方を抱きしめたくなるような氣持ちになったの思い出します。

 

 

 

 

人は身体を持っていますが、

この、身体というものを通して、自分のもっとも強い存在のありかとつながる。

日々、夾雑物にかまけ、なかなかアクセスしない、出来ない「そこ」へ!

そんな魂の震えるような感動を味わうために…

そのために身体という入り口があるのだな、と思います。

そして、それこそがコミュニケーションの真髄。

 

 

 

来年は

さらにこの辺りもさらに大いに仕事に取り入れていこう、と今ここまで書いて感じつつ。

(人に読んでもらう前提で書くと考えがまとまるので本当にありがたいことです)

 

 

 

 

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