オリンピックの開会式。
毎回とても楽しみに見る派、です。
お国柄、その国ならではの演出をみるのが楽しみで。
選手入場がはじまり
50番目くらいまでは衣装、それから各国の選手の表情や歩き方に
「わ~」「きゃ~」「あの色がいい」
「この衣装いいね」「このノリはさすがこの国」
などなど盛り上がり。
南米大陸はじめてのオリンピック。
あまり見ることのないブラジルの歴史、文化。
それから各国の工夫を凝らした装いを見るのは楽しくて。
それからしばらく…さすがに少し飽きてきて、「日本選手団まだかな…」
となり、
そして待ちに待った104番目。
「JAPAN!」。
まあ、なんてステキに…カッコ悪いの(笑)。
赤い上着も白のパンツも…なんだか「着られて」いるみたい。
いつもは日本人の中に自分自身が埋没しているので気づきませんが
204ヶ国(でしたっけ?)比べるものがあると、まあ「野暮ったさ」が目立ちます。
卑下でもなんでもなく、素直にふっと浮かんだ感想は
「洋服を着はじめてたかだか150年だもんな…まあ、こんなもんか」
骨盤が直立している日本人。
すり足民族の日本人。
それは湿潤温暖のやわらかい大地を歩くために育まれた歩き方であり
体形である、と読んだことがあります。
硬い石畳を数百年、膝裏をピンと伸ばし、かかとで「カッカッ…」と闊歩してきた
民族とは違う。
なんて…なんて安定のカッコ悪さ。
黒人のようにスイングする骨盤でもない。
日本人は生真面目なのです。骨格からして!
西洋文化の国々の颯爽とした動き。
ステップを踏むような優雅な足運び。
見ているとやはり「洋服を着用してきた歴史の長さ」を感じます。
民族の血にしみ込んだ長い歴史と伝統、という感じでしょうか。
その他、民族衣装をまとった国も多かったですね。
どの国も美しかった。
民族衣装は、その国の人たちを最も美しく、誇り高く見せるもの、
とそんな風にあらためて実感でした。
では日本人は?
今、民族衣装である着物を着たとして、その身のこなし、腰つき…
美しく、堂々と、かっこよく着こなせる人がいったい何人いるでしょう。
きっと今度は「アヒルがよちよちと前傾姿勢で歩いているかのような」
(毎年成人式のときに振袖集団を見て感じる残念なかんじ)
になるのでは、と危惧。
日本人よ、どこへ行く。
どちらにも近づけない「中途半端な身体」。
腰と肚の文化を捨て、先祖が培ってきた身体に刻まれた知恵と「あり方」を捨て
今の中途半端な身体を生んだ教育。生活様式。価値観。
身体の状態と精神の状態はイコールですから
そんなところに
日本人がこの戦後70年にわたって今の状況に陥ってしまった
「精神的孤児」の様相を感じるのはわたしだけでしょうか。
でも
全くもって悲観しているわけではなく。
なんとなく感じるのですが
振れた振り子はまた戻る。
戻りながら中庸へと。
「大切なもの」とのつながりを
取り戻そうとしている流れが波となって今ちゃんと来ている、と思えるのです。