え~。
12月に受けました「幕末薩長歴史検定2級」の
見事不合格通知がやってきました。
薩摩人でありながら
なんということでしょう^^
ご先祖様になんとも申し訳のないことです。
お父さん、お祖父さんごめんなさい。
その昔、山を越え、薩英戦争に馳せ参じようと走りに走り
結局間に合わなかったという噂の我がご先祖様
ごめんなさい。
これでも一生懸命頑張ったんですが♪
ほかの検定が結構良い成績だっただけに
これはなんとも顔向けしづらい…。
昔から
薩摩の歴史はどうも頭に入って来なかったのですよね。
わたしの部屋に
通称「幕末棚」という歴史専用書棚があるのですが
この幕末棚には
子どもの頃からの本も含め、あれこれ並んでいるのですが
薩摩の本は2~3冊。とても少ない。
触れてきた時間と量が違うということで、
なので、まあ、この結果もむべなるかな。
そのことを話すと知人に
「鹿児島で仕事をしているのに鹿児島が嫌いなの?」
と素朴な質問をされ
あらためて考えてみたのですが
嫌いじゃないんです。
嫌いじゃないんですが…
自分にとって「『物語』にならなかった」のだということに気づきました。
薩摩の歴史。
あまりに身近で、生々しくて。
小さい頃、自分の周りにまとわりついていた空気。
土地があって地域があって家があり、その中に自分がいて。
あたりまえのように存在する、土地の、地域の、我が家の「あり方」。
いつの頃からか、それが次第に息苦しくなっていったりしたわけですが
その、あり方(目に見えないルールのような)の根っこの根っこ
「源」となっているのがいわば「薩摩の歴史」なわけで。
いろいろな逸話や風習や偉人の話も
子どものわたしからすると洒落にならない。
薩摩の古の教育システムに「郷中教育」というのがありますが
古くからの似たような地域の子ども同士の関わりイベントにも
当時はすっかり辟易していたものでした。
もうなんだか、すべてが重くって、暑苦しくてしようがない。
自分にまとわりついてくる「薩摩」が。
(父は西郷をこよなく尊敬する根っからの薩摩人でした)
わたしにとって「薩摩的なもの」はいつも「無遠慮」で「問答無用」。
わたしの意思を尊重してくれないものに感じていた気がします。
時は流れ
この数年、あちこちで
その土地その土地の歴史や、それに関わる人たちとの出会いを通して
その土地の文化やものの見方や人の特徴に触れれば触れるほど
自分の中にある「薩摩」な部分を再認識するようになりました。
そして、それが自分を助け、あるときは道を開くことに
一役買っていることにも気づきました。
悔しいけれど、これは自分の個性の一つであり、強みなのかなと。
自分の中から時にぐ~っと、渦を巻いて螺旋のように湧いてくる
エネルギーを感じるたびにそう思います。
このリズムは、大地から湧き出る鼓動のリズム。
小さいころからかたときも離れず視界の中にあった桜島のリズムであり
夜ごと月明かりの下、焼酎片手に「なんこ」に興じた
父たちの「高歌放吟」のリズムなのかもしれないなと。
自分を愛する。
家族を愛する。
自分の「これまで」を愛する。
自分がつながってきたいろいろなものを愛する。
自分と、周囲の「これから」のために。
そんな気持ちの延長線上に
受けてみた「薩長幕末歴史検定」。
さて
汚名挽回はいつになりますか!