姉がクリスチャンなこともあって
「一粒の麦もし地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん、死なば多くの実を結ぶべし」
などという言葉を
10代の頃
意味も変わらずただ何となく覚えていたりしたのでしたが。
この
「種子をまく」
というイメージ(メタファー)は、わたしの日々の生活のあちこち
仕事をする場面でも
結構お気に入りのイメージとして出てくるものです。
焦るとき、成果を急ぎたくなる時…地に足がつかなくなりそうなわたしの心を鎮め
目の前にある「この瞬間」に、丁寧に
集中させてくれます。
で
先日、もっとふつふつとイメージを掻き立てられる(モチベーションの上がる)
メタファーを発見しました。
知人の講師が言いました。
「たとえば、そのセミナーの一時間の中で、うわ~っと劇的な変化が起こって
受講生さんが『先生!よかったです!』なんて言ってくるのをやっぱりどこかで望んでいたけれど
最近、そんなものでもないかな、と思い出した」
そうそう。
確かに、そういうことがあると、その場の満足感や「やった~!」という達成感はあるんですけれどね。
「講師満足」ってやつ。
彼女が今担当しているセミナーは
リレーのように、さまざまな講師がバトンをわたしながらクラスの授業を進めていくという形です。
彼女が担当するのはその一番初めの2時間のみ。
わたしと同じくコミュニケーションを専門とする彼女は
そのクラスが「学べる集団」になるように、一番最初の「土台作り」
(土を耕し、やわらかくし、物事がしみこむ土壌を作る)
という役割を担っています。
彼女はいつも、その「耕した畑」にその後、どんな変化が起き、
クラスの人たちがどのように成長して行くのか、それをともに味わい、見届けることはできないのです。
最後の収穫をともにすることは、ない。
「寂しいけれどね~」
確かに。
「でも、最近思うんだけど
この人たちの中に、麹菌をぽつ、と埋め込むような、そんな時間でいいのかなと」
麹菌。
あの独特のにおいが一瞬、よみがえりました。
子どもの頃、うちで味噌を作っていました。
蒸した麦の上に麹菌をふりかける。
見た目は変わらないのに、でも、「確実に中で何かが起こっている」あの感じ…。
温かくなっている「もろぶた」の中を覗き見ては叱られたものでした。
私が寝ている間も、くぷくぷと、静かに、ゆっくりと、生命活動は進行し…
そして翌朝には麦は「変なにおい」になって真白くなっていましたっけ。
そしてその
変化した麦と大豆がまたさらに絶妙な化学変化を起こしてくれる。
うちの味噌…本当においしかった。
「ああ、楽になりますねえ…」
つい、そういう言葉が出ました。
ていねいにていねいに、
目の前の人たちに、ただ麹菌をまく。
今すぐの、目の前で「劇的な変化」でなくていい。
その人の中で、ゆっくりと、確実に、くぷくぷと化学変化が進行していくことを意図し。
その人の人生でいずれ豊かに「醸造」された「成果」がその人の人生を潤すことを意図し。
コントロールへの欲求を手放し
相手を信じ、場を信じ、願いを込めてひとつぶの麹菌を手渡す。
どんなものに変わるのか…出会う要素によってさまざまな変化の可能性を秘めた
菌
くぷくぷ…という音が聞こえます。
小さいころに体で聴いた、あの音です。
肩の力がどっとぬけて
そしてとても大きな自由を感じました。
広い地平線を見渡しているかのような自由。
何かから解き放たれたような感じ、というのでしょうか。
先生方
親御さん
世の「人に何かを伝え、人の変化を促す」ことをしている多くの方にも
お伝えしてみたくなり
書いてみました。