近頃やっと居合が面白くなってきました。
はじめたのは去年の今頃でしかた。
ほとんど練習しないまま1年が過ぎ…何とも遅い開眼です。
面白い、と言っても
まだ一番初めの型さえ満足にはできず
型の更にはじめの刀を抜く「しゅき~ん♪」という動作を楽しんでいる段階。
(その、超初心者が抜刀について書くというのが恥ずかしいのですが)
とにかく
すかっ!
すぱっ!
と刀が抜けると、本当に気持ちの良いものです。
(そういうのはめったにないですが)
正座の状態から右ひざを立て
目にもとまらぬ速さで刀を前に抜き、払う、
という動作なんですが
まあ、「目にもとまらぬ速さ」になるには何十年かかるのかしら…と思いつつ。
面白くて、何回も何回も…飽きずにやっています。
何が面白いかというと
刀を抜くのは右手、だと思っていたんですが
左手(鞘に沿えた手)がとても重要な役割を果たすのです。
抜刀の動作に限らず、刀を両手で使う時は「左手」がメインで、右手は「添え手」になるのだそう。
抜刀のとき
当たり前ですが、右手は柄をつかんで前へすっと抜く。
と同時に
左手は鞘を後方に向かって引いている。
更に、切っ先三寸まで抜いたところで
左手(鞘)を更に後ろへぐっと引くことで
鞘から刀がはじけて飛び出す状態を作る。
二本の手が、相反する方向へ瞬時に動くことで、あの長い「刀」という代物を
速度をつけて「抜刀」できるということになるわけです。
逆に、納刀のときは
右手で鞘に納める動きと同時に
左手が鞘でもって「迎えに行く」という感じがあります。
この、二本の腕の相反する、瞬間の呼応した動き。
それを作り出す体の美しい開き具合と、全部を統合して「型」たらしめている「間」(呼吸)。
先生方の動きを見ていると
いつも
「お見事~」
と声に出して、拍手をしたくなります。
利き手ではない手こそ大事。
そこが大きな「仕事」をしてくれている。
抜くと同時に、本当は「引いて」いるのだ。
その二つが相まってよき仕事が生まれている。
これらの感覚(体験)は
居合から離れて
今、日常の様々な場面での、わたしの中での密かな「ブーム」となっています。
物事を見るとき
考える時
これまでとは違った視野が
自分の中で生まれている気がします。
頭(思考)での理解だけではなく
「身体」で実際に「わかった」感覚、体に培われた感覚こそが
応用できる
つまり、人生の中で使えるものとなる、というのは
こういうことなんでしょうか。
体が「知らない」「できない」ことは
心も精神も本当の意味ではそれを「できない」。
さて
ここまで書くと
日本人としての「身体技能」や「言葉」の伝承の話になってくるんですが
熱く語ってしまいそうなのでまたいつか。
昨日の雨が上がって今日は一転、いいお天気なので!