知り合いのウェブデザイナーさんと話していたんですが
その方が
「昔、司会をしていたことがあるんです」
という話になりました。
何の司会かといいますと、葬儀の。
思わず、「すごい~!」と盛り上がってしまいました。
いっときですが、葬祭ディレクターいいな…
などと思っていたことがあるものですから。
人生の最期の皆さんとのお別れを
その人らしく演出するというお手伝いができるとは何とやりがいのあることだろう…と。
さて
何に限らず、司会というのは(司会だけでなく、すべてですけれど)
「間」
が大切です。
以前私が結婚式の演出業をやっていたことは書きましたが
『司会者の間あい』
に関しては、本当にうるさく、一言をもっていたものです。
(司会の間だけでなく、音楽の間あい、照明の間あい、料理を出す間(タイミング)…全部ですけれど)
ちなみに私が一番たくさんご一緒した司会者さんたちは
お二人とも間合い含めてとても美しい雰囲気とリズムをお持ちの方々でした。
当時わたしの勤めていたプロデュース会社は
「オリジナルウエディング」の草分け的な存在の会社だったこともあり
周りのホテルさんが「人前挙式」の式次第をもらいにみえたり
またはコピーされたり…ということがよくありました。
が…
たとえ同じ式次第で人前挙式をやったとしても、
出来上がりは全く違うものになるのですよね。
どう演出するか。
舞台をどう設定して、人物をどの位置に配するか、どう動かすか…などもその違いを生むわけですが
(どこまで360度、どこから見ても美しい『絵』を作れるか。
また、そこに映りこんでいるスタッフ一人一人の立ち居振る舞いの美しさ
洗練度合まで…たくさんの要素が式を左右します)
最後の違いは「間」なのです。
司会者の「間」。
音楽の「間」。
どのタイミングで、どのくらいの間をおいて司会者がセリフを発し
それを受けて、どのタイミングで新郎新婦に動いてもらうのか
どのタイミングで音楽が入り、それは新郎新婦の姿が見えなくなった後
どれくらいの余韻をもって流れ続けるのか…
すべては「間」。
間合いのセンス。
さて
そのウェブデザイナーさん。
司会の仲間から「その『間』はどうやってとるのか」
「間を教えてくれ」
と言われていたそうです。
うん。確かに彼女が『間』に対してよきセンスを持っているであろうことは
想像に難くない。
(といいますか、私好みの「間」ということです)
「けれど、教えることができないんですよね」
と彼女。
確かに。
教員の頃、文化祭の劇ですとか、卒業式の送辞・答辞を読む…なんていうときは
「そこで3つ数えて」
などと生徒に「間」を伝えていたこともありましたが
千変万化、生ものの結婚式やお葬式でそれが通用するはずもない。
「あれって、どうやって教えるんですかね…」
「さあ…」
どう間をとるか、というのは一瞬にして全身で「見て聞いて感じて」、結果そうなるものですもんね。
間合いのセンス。
コミュニケーションの力とは、究極そのあたりにあるのでは、という気がします。
若者のコミュニケーション力アップ講座、で
参加者全員で輪になって、「拍手を回す」ゲームをやった時に
「心地よく全体を感じて、一体感をもってリズムをとって拍手を回す」
ことができない子がいます。
(子…といっても、みなさん結構いい大人ですが)
タン、タン、タン、タン…気持ちよく回ってきた拍手が
どこかで必ず「がくっ…」とずれる。みょう~な間を刻んでずっこける。
感じていないんですよね。全体を。みんなとの「つながり」を。
自分のところに来たから叩いている、だけ。
あの、うまく行った時のえも言われぬ一体感。
みんなでリズムを刻むその「波」に自分の体が乗って
自分もその一部となってともに「ひとつのもの」を創れた時のあの心地よさ。
それを「身体で」わかった瞬間、そのときその子の「コミュニケーション力」は
知識など教わらなくても大きく一歩、前進したときなのではないか、とそんな風に思います。
そういう力が飛躍的に伸びるセミナーとは?
考え中です。