今回の東京行き
用の合間にいろいろといれています。
(といいますか、どちらが優先かと言われると、微妙なところなのですが)
昨日は、午後から
予定変更して里山を歩くこととなったのです。
東京で、里山…。
町田市に「小野路」というところがあります。
「小野路」
鎌倉街道、大山街道、布田道などが交差する交通の要衝。
鎌倉時代、鎌倉と府中を結ぶ鎌倉街道の上の宿場として賑わった。
江戸時代に入ってからは、府中、小野路厚木、伊勢原、大山を結ぶ大山街道の重要な地点として
人通りが絶えることはなかった場所
この「小野路」に向かう「布田道」という道が
雰囲気の残る里山をずっと抜ける細い細い道なのです。
早速に、
迷い迷いしつつたどり着き
この「布田道」の入り口に立ちます。
鹿児島の山奥で育ったわたしにとっては、何の変哲もない道です。
それこそ、家の山に行けば、いっくらでもありそうな山道です。が…
この山道。
この「布田道」は、幕末当時
新選組をつくる前の近藤勇や土方歳三、沖田総司らがよく通った場所なのです。
(先ほど出てきた「小野路」に天然理心流の道場があり、江戸の牛込柳町の試衛館から
よく出稽古に赴いていたのだそう)
(それこそ大昔ですが)
総司が「小野路」へ行く道をたどっている
という場面から始まっていましたっけ。
「道が小野路村へ入ると、総司は銜えていた麦笛を捨てた。
のどかな雲雀の声が頭上にある。
彼は肩の剣術道具をゆすり上げると
むきになったように大股に歩き出した」
(大内美予子「沖田総司」)
剣術の道具を担いで大股に歩いていく
背の高い青年の姿を、とても容易に想像できる光景。
ご一緒いただいているガイドの市川さんが
「当時も、こんな景色だったんでしょうねえ」
「この川のあたりで水なんか飲んだのかしら。総司も」
などなど…
横でさりげなくおっしゃるので、ますますその気になってしまいます。
空には、本当に鳥の声だけがうるさいくらいに響いていて、静かです。
これが
総司も見ながら歩いた景色…(?)
総司が出稽古先で麻疹にかかった際に
馬に揺られてつれて帰ってもらったのも
この「布田道」なのだそう。
苦しかったことでしょうねえ。
さて
道も終わりに近いあたり
少し坂が続いて、息があがってきたあたりに
こんな立て札が立っています。
元気が出ます。
ここが彼らの目的地
小野路宿の名主だった小島鹿之助さん宅。
当時、ここに道場がありました。
ちなみに
「小野路宿」には橋本さんというお宅があり
この家の沢庵を土方歳三は大のお気に入りだったのだそうです。
樽ごと持って帰ったこともあったとか。
ということはこの布田道。
「土方歳三が沢庵の樽を抱えて歩いた道」
ということにもなるのでしょうか^^。