松平定知氏の講演を聴きに行きました。
テーマは「龍馬の新婚旅行」。
研修でお世話になっている新聞社の販売局のとある方から
「先生、確か幕末がお好きでしたよね」
という丁寧なメールとともに、お知らせをいただいたのです。
最近お目にかかっていなかったのですが、こうして覚えていて
メールをくださるそのお気持ちに感動しつつも
「この方まで知っていらっしゃるなんて、わたし、そんなに『幕末幕末』って騒いでいるのかなあ…」
とちょっと恥ずかしい思いをしつつ^^;
でも、楽しみに今日を迎えたのでした。
「歴史秘話ヒストリア」も好きですが「そのとき歴史は動いた」も好きでしたので
「うわあ~松平さん、本物だあ」と俗なことを喜びつつ、講演ははじまりました。
さて
確かに幕末は好きなのですが、そんなに系統立てて知識を得ているわけでもなく
龍馬のことは詳しくないので、とても興味深くお話を聞きました。
(松平さんがお話しになると、ものすごく複雑なつながりのあれやこれやが
なんでもないことのように紐解かれる感じがするのが不思議です。
そう、まるで「そのとき歴史は動いた」を見ているよう)
そして、その中で「へえ~!」と思ったのが
「龍馬。夢枕に立つ」のお話。
これは有名なお話なのですね。
以下、松平さんのお話。
(正確には「司馬遼太郎によると」ということですが)
「明治人は、龍馬を知らなかった。明治37年までは。
当時、日本人は「恐露病」であった。
そして明治37年2月、ロシアとの国交断絶の御前会議。
2月6日、昭憲皇太后の夢枕に、白装束の武士が立ち
『私は坂本龍馬と申すもの。今から三十数年前、奮闘したものにて
身は死んでしまったが、魂は日本を守る』
と言った。
皇太后は側近の香川敬三に
(←この人は確か、近藤勇を捕らえた人ではなかったですか??偉くなったんですね【中村注】)
『坂本龍馬を知っているか』と尋ねた。
翌、2月7日も、また同じ夢を見た皇太后は再度『龍馬のことを知りたい』と香川敬三に言った。
香川は宮内大臣の田中光顕(元陸援隊副隊長)にこのことを伝えた。
田中光顕は龍馬の写真を渡した。
皇太后はその写真を見て「この人だ」と言った。
この出来事は『皇后の奇夢』として新聞に載った。
わが国には守護神がいるぞ!ということになり、盛り上がった。
おりしも、東郷平八郎がバルチック艦隊を破り、龍馬人気は湧き上がり、そのまま龍馬伝まで続く」
龍馬、すごい!!そんなにニッポン国のことを!
なんだか龍馬のキャラではないような気もしますが…。
そしてさらにこの話は
「薩長土肥」の中で圧倒的に多い勢力の薩長に対抗する田中光顕(土佐)の
「起死回生」の作り話である、との話もあると続きます。
田中さんは昭和まで生きた方で、死ぬまで「あの話は本当だ」と言っていたらしいですが。
歴史とは面白いものですね。
上のお話の真偽さておいて
歴史とは
私たちが知らないところで、いろいろな、いろいろなことがたくさんあって
そして、最終的に、誰かが意図して表面に表出させて「表現」しているものを
私たちは「歴史」として受け取っているんだろうなあと、そんなことを思いました。
(はい、これをわが国の「歴史」としますのでよろしく!みたいに)
松平さんもおっしゃっていました。
「勝者の歴史」が累々と続いていく。勝者が自分たちの正義を残すのであり、正誤を論じるのは意味がない、と。
さて
最後に「うわあ、この方は本当に歴史が好きなんだなあ」と感じた言葉を(ざっとですけど)。
「今日の話には、私見が入っているが
歴史とは、そういう見方でよいのではないか。
エビデンスを並べつつも類推する。既成の歴史を自分の中に近づける。
歴史は無機物ではない。数字と出来事を知ることが歴史好きということなのではない。
歴史とは、斬れば血の流れる人間の汗や、喜びや、悲しみであり
人がどうその歴史に対峙したかなのだ」
さりげなくエンディングにはいり
ぐん、とリズムが高まっていく最後の2行
その静かに熱い語り口調の、あの独特のリズムについ乗せられて
「そうそう、そうなんだよね!」と周りよりもちょっと熱い拍手をしてしまったことでした。