国際コーチ連盟の「コア・コンピテンシー」に、
「今ここに在り続ける」
という項目があって、そこの部分のトレーニングに出たのですけど。
(上の言葉は、その時とあるコーチが言った言葉。感動したのでメモしておきました)
トレーニングの中で、みんなから、
「『今ここ』に、在り続ける」
を阻むもの、がたくさんで来るのですよね。
こういうものって、本当に人それぞれ、色々なんですよね。
自分の中で何が起こっているか。
どんな言葉が囁くのか。
(内的会話、というもの)
「次なんて言ったらいい?」
「もっといい質問をしなきゃ」
「有能って思われたい」
「いいコーチって思われなきゃ」
「今なんか変なこと言ったかな」
…
(心は過去や未来に飛んで、ここにはないのです。目の前の相手を見ちゃいない。
本当の意味で聞いてもいない。ありがちです)
「今ここ」にある、とは。
自分の「全て」に全幅の信頼を置いてそこにいること。
もし、信頼が置けなかったら、
自分は今「自分を信頼できない」「自信がない」状態である、ということを確認している、
「その自分」
に全幅の信頼を置いて、その自分をそのままそこに差し出す。
「いいこと言わなきゃ」
「かっこいいこと言わなきゃ」
そんなものは宇宙の彼方に蹴っ飛ばして。
自分のままでそこにいる。
ガクガクブルブルの自分だったら、ガクガクブルブル…のままでそこにいる。
そして、
「ガクブルです」
と言えばいい。
実は「その状態」こそが、もっともわたしたちが「場に貢献している」瞬間なのです。
「何者かである(Having=こいういう立場、こういう役割、こういう役職…)」
「何かができる(Doing=この能力がある、人よりできる、あれができる…)」
よりも、
「わたしである(Being)」
ことこそが、もっとも強い。もっとも力を放つ。
研修の際、全体シェアの時間などに、よくこの「今ここ練習」をするんですけど。
「自分の番になって、さあ話す、という瞬間まで、
『何を話そう…』とかいっさい考えを巡らすことは要りません。
椅子から腰を離して、立って、みんなを見回して、
その瞬間。浮かんでくる言葉を口から出してください」
みんな一瞬もぞもぞと居心地悪げな顔をするんですが。
でも結果「その人の本当の言葉」による物語が生まれる瞬間を、何度も何度も見てきました。
(ちょっと抽象的ですが)
自分の中に溢れる思い、溢れる言葉。
それが、自分の中の浅はかなる、狭い小さな「思考」で、
(常識、これまではこうだから…などなど)
小綺麗に整理されてしまっては、あなたの本来の万分の一のエネルギーも伝わらない。
削ぎ落とされてしまう、
「目には見えない色」
「耳には聞こえない音」の部分にこそ、
「ほんとう」がある。
人の心を動かす振動が溢れている。
(少し前に「可聴域以外の音の凄さ」の話を書きましたが)
https://commu-w.net/2022/11/01/いいコミュニケーションのために「人は(自分含/
「まとまったら話す」
「話がとっ散らかっているのはいけない(恥ずかしい)」
はもう古い。
これからは、「瞬間」を掴んで、そのまま世界に放つのです。