来年へ向けて–まず自分が今年「得たもの」について思いを巡らす

 

 

 

 

 

メンターコーチから、

 

「公子ちゃん(と、彼女はそうわたしを呼ぶ)

自分が意識してないだけで、
いとも簡単に(意図しただけで)手に入れているもの、
たくさんあると思うよ」

 

 

と言われ、
そういえばそうかな、と思ったのでした。

 

 

 

本当に、「意識して」ちゃんとそういうことは考えないと、

ついつい、

「ないもの」
(あれがない。これがない。これがまだだ。手に入っていない)

の方に意識が向きがちになってしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

で、昨日、12月1日。
(ちなみに、滅多にないことに、11月中から小さくあちこち掃除を始め、
なんと!年賀状も作成を始めている今年←わたしにはすごいことです)

 

 

 

改めて、姿勢を正し、しっかりと座り、

「それ」

について考えてみることに。

 

そうすると、正直…あまり出て来ないことに愕然としているところです。
(ない、のではなくて、いかに「忘れてしまうのか」ということに。
もしくは「当たり前」の箱に入れてしまっていることに)

 

 

 

 

 

 

 

そんな中、絶対に忘れられない思い出の一つ、
について書いてみることにします。

と思ったのだけど、書いていて恥ずかしくなったので、これは消してしまいました。
(やっぱりこれは宝物なので、自分の心のうちだけにとどめておこう、と)

 

 

 

 

 

 

けれど、「それ」は。

 

自分が最高に楽しんでいて、
全てを忘れて(人の目がどう、とか)
全身全霊で味わって、喜んでいる時。

まるで、細胞がどんどこと音を立てて、祭り太鼓を奏でているような感覚の時、
思いもかけないところから降ってくる、という

 

 

 

「自分自身の『うまくいっているパターン』」

 

 

 

だけは、しっかりと再確認することができました。

 

 

 

そうやってわたしは、
たくさんの人と出会い、
よきものと出会い、
素晴らしい体験をたくさんしてきた。

 

(堂々と書いてみましたが、こういうことは、自分で認めて、
自分で「そうだ」と認定しないと、本当に、「なきもの」とか
「大したことないもの」になってしまうのです!)

 

 

 

 

 

 

 

さて。
もうすぐ今年も終わります。
来る年、

 

「何をしよう」
「これをやりたい」
「こんな一年に」

 

あれこれと考えたり、書いたりしてらっしゃる方、多いかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

その前に、
「今年(これまで、でもいいですし)自分にするりともたらされたもの」
「今年(同上)自分の元にやってきた素敵なもの、素晴らしいもの」

 

 

 

 

 

 

について、改めて思いを巡らせてみるものいいのでは、
と思います。

そこには、自分自身の「方向性」(うまくいっているときの形)が刻まれている。

 

 

 

 

 

その「形」を明確にして。

 

(「結局、自分はこの形なんだな」
「無理しても意味ないやん」
「自分でないことをやっても意味ないな」
「迷ったらここに戻ればいいのね」などなど…←わたしの中に今、起こっている声)

 

 

 

 

 

 

そして来年へと進んでいくというプロセス(一段階)を持つ。
これは、なかなかに有効なことなのではと感じているところです。

 

 

*  *  *  *  *

 

 

写真は「前田コーヒー」。
京都文化博物館の中庭にある、「いい感じのカフェ」でした。
エスプレッソに牛乳を混ぜると「ラテ」じゃなく、
違う名前になるんですが、なんですっけ。

 

 

 

 

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