車の点検でたまにディーラーさんに行くんですが、
わたしの担当はとても若い女性スタッフさんで、可愛い。
よく「女がいう『あの子可愛いのよ』」は
あてにならないというけれど、本当に可愛い。
とある若い女優さんに似ているのです。
くっきりとした二重の目。
長い睫毛。
きれいな弓形のまゆからつながる鼻筋。
どれくらいそっくりかというと、
初めて会ったときに、打ちあわせ諸々をすっ飛ばして、
「大変失礼ですが、あの人に似ている、
と言われたことはありませんか?」
と聞いてしまったくらいに似ている。
ディーラーは今日休日か?と思うくらいに混んでいて、
5つあるテーブルは全て満席。
全てのテーブルに、男性のお客さんと、
それを接客する男性スタッフが座り。
プラス、整備士さんたちが車の状態説明のため、
ひっきりなしに
テーブルとドアの間を行き来している。
その間を、さらにスーツ姿のマネージャーらしき人が、
満面の笑みで挨拶をしつつ、
消毒スプレーを手に回遊しているという…
本当に、「わんわんとした」
という状態がぴったりの賑やかさ。
わたしは、車を預け、
その「わんわん」の中で一人、
席に座って本を読んでいたんだけど。
その中を、
時折聞こえてくる鈴の音のような声。
一卓、その彼女が担当している卓があり、
そこから漏れ聞こえる声なんですが。
例えは悪いかもしれないけれど、
あれはなんだろう…
荒野で一輪の花を見つけたような。
山奥をさすらっていたら、
清らかに咲く一本の薄桃色の山桜を見つけたような。
(荒野とか言って、他の人たちごめんなさい?)
本当にそうなんです。
彼女の声が聞こえてきた瞬間だけ、
ぱあっと場が華やぐ感じ。
華やぐというか、場が動く。
揺れるんです。
そして、そこにいい感じの「空氣が通る」。
涼しい風が吹く感じ。
(男声と女声の周波数の高さの違いとか、きっとあるんでしょう)
その場に、彼女の出す音があるのとないのとでは全然違う。
あの場に、彼女一人がいるのといないのとでは、
空氣が全然違う。
(その彼女、背はわたしより少し低いくらいで、
決して大きくはないんですが)
何を書きたいかというと、
彼女に「それ」を伝えたくてたまらなくなり、
(中村さんっ!遅くなりましたっ!と駆け寄ってらしたんで♪)
けれど、
若い女性に、
「職場の花って言葉があるけど
ホントウですね」
とか言ったら、
もしかして今はもうダメなのか?
差別、とか、蔑視とか、
そんなふうになるのか!?
と、そんなややこしいことがふっと頭をよぎったからなのです。
「いやいや、けど実際そうじゃん!」
(わたしの超実感)
この職場は、きっと、
彼女が一人、いるといないとではものすごく
雰囲氣が違うだろう、と。
彼女と話をする年配の男性。
わたしからは背中しか見えないけれど、
もう、声から嬉しさが伝わってくる?
(前に回って表情を拝見してみたい、と思いましたよ。
わたしまで笑顔になりそうな声音で)
女性と男性は違う。
持って生まれた「特質」が違う。
そもそも遺伝子からして違う。
年寄りと、若い子は違う。
当たり前だけど。
お互い、自分にない「違い」を愛でる気持ちは、
至極当たり前に思えます。
違いに驚き、
尊重し、学び合い、大切にする。
帰り際に
どうしても言いたくて、
おずおずと伝えてみたんですが、
(あなたがいるのといないのとではとても雰囲氣が違うと思う、
仕事の内容はもちろん、若いこと、女性であること全部含めて、
本当に素敵な存在感、と)
彼女はとても真っ直ぐに、
「そう言っていただけて嬉しいです(笑顔)」
と受け取ってくれました。
(ほっ)
「女性がいると場が和む」
「若い女の子がいると場が華やぐ」
元がそういう「もの」なんだから仕方がない。
つくり含め、存在そのものが、
柔らかくってみずみずしいんだから仕方ない。
見ているだけで、顔が綻んでしまうんだから仕方がない。
ちょっとまとまりませんが。
(注:彼女が女優さんに似ているから可愛い、
というのではなく、心根とか、その一生懸命さ全部含めて、
「花」というお話でした)