先日、クラシックの番組に、
「石田組」
なる男性ばかりの弦楽アンサンブルの集団が出ていました。
「硬派弦楽アンサンブル」
と名のつくそのグループのリーダーは
こんな方で、
この、石田さんを筆頭に、グループは全員男性。
黒づくめでずらり、並んで立っているところは迫力がある。
この「石田組」がやるのは、クラシックはもちろんロック、演歌まで。
そして、固定のチームではなく、
石田さんがつどつど声をかけ、選び、メンバーを集めるんだそう。
なので、コンサートごとに構成メンバーが違う。
きっと、その時々に合ったメンバーを石田さんがチョイスして、
「『それ』を演奏するに最高のメンバー」
をいつも揃えるんだな、と。
(この仕組みもいいなと思うんですが)
「初めは戸惑いましたが、どんどん楽しくなって」
「声をかけられるのが(召集されるのが)嬉しい」
「石田さんは基本、何も言わない。自由に演奏させてくれる。ここは違うな、と思ったときだけ『ちょっと…』と言ってくる」
「石田さんは(演奏中に)何をしてくるかわからない。『そう来たか~!』と思う。
(それに応えるのが楽しい)」
《メンバー談》
「クラシック音楽の世界」「オーケストラ」
いう、ある一つの枠、形のなかでずっと演奏をしてきた一流の人たちが、
どんどん「自由」「表現の質、方向性」において。
またひとつ、解放され、花開いているらしいことが。
そして、それぞれが
「自分も知らなかった自分」「思っても見なかった自分」に出会っている場なのだ、
ということがよくわかる。
そして、そのことにそれぞれが「大きな喜び」を感じている。
一人のビオラ奏者。
ロックのソロパートを担当したときの話を、
「いきなり石田さんから、『前に出ろ』と言われたんですよ!演奏中に!」
(と石田さんの「前に出ろ指示」をジェスチャーで)
ずっとオーケストラで演奏してきた人からすると、
まずありえない。
そしてどうしていいかわからない場面。
まず、フリーズしてしかるべき場面。
いきなり打ち合わせもなく振られて、大変だったろうなあと。
番組の最後。
そのロックの曲が演奏されました。
演奏している一人一人の表情が…
なんとも言えない表情で。
一見、何の変わりもない。
作った「パフォーマンス顔」をしているわけでもないし、
激しく動いているわけでもない。
けれど。
その内から、抑えても抑えても溢れてくるのは
「高揚」「喜び」そして「誇らしさ」。
言葉ではなかなか表現できない。
そして、先のビオラの人。
ソロパート。
ぐいっと数歩、前に踏み出し、
膝のバネを効かせてしなやかな弓なりの姿。
…あんなに美しい、男の人の表情を久しぶりに見ました。
男の人というのは、
自分の使命を生きていると、あんな顔をするんだな、というような。
組長、石田さん。
演奏終盤、バイオリンの弓が数本、切れているのを、
しっかりとカメラが捉えていました。
(それくらいの熱を持った演奏)
この人の「思い」。
「全細胞から出る波」。
「全存在」そのものが、
場を作り、揺らし、動かし、
それがメンバーに伝わり、一人一人が「花開いて」「限界を超えて」
くる場を作っているんだなあ、とよくわかりました。
いろんなリーダーの形はある。
牽引する人。
後押しする人。
言葉たくみな人も、口下手な人もいるだろう。
人それぞれ、100人100通りの「リーダーシップ」。
けれど、
全てのリーダーがなさねばならぬことがある。
それは、
「場を作る」ということ。
構成員一人ひとりが、自由自在に動き、お互いに影響を与え合う場。
共振し合い、そこから「かける何倍」もの
すごいものが生成する場。
個体が熱を加えられると活発に動き出し
「液体」そして「氣体」となるように。
その「熱」を加えるのが
リーダーの仕事であり、
メンバー一人一人に自身の振動を伝え、ゆり動かすのが仕事であり、
リーダーが作らねばならない「場」なんだと。
この「石田組」をみていると、
そう思います。
これだけは、学校から企業まで、種類や規模は違えど、
全てのリーダーにおいて、確かなことなのです。