たった今、一人の女性から電話がありました。
泣きながら(笑)
以前ブログで「薩摩の神様に望まれている」と書いたところの彼女です。
(「薩摩の神様へ~また一人、送ります『真の言葉の使い手』を」)
http://ameblo.jp/businesskouko/entry-12000353246.html
彼女は今、東京は三田の「薩摩藩上屋敷跡」にいます。
声のワークショップ発表会で「大山巌~西郷の再来と言われた男」を語る予定の彼女。
「どうしても斉彬がいたところに来てみたかったの」
と。
電話口で風の音とともに声が弾んでいました。
島津斉彬さんはいわば西郷をつくった方でもあり、薩摩の偉大なる父。
そういえば、こっちでも照国神社(島津斉彬公がご祭神)に日参していたねえ…
と思いつつ聞いていたのですが。
いきなり電話の向こうの声が詰まって、
「…斉彬さんから…メッセージ、来たよ」と。
『身をさだめよ。怖るることなかれ。
定めた先には必ず道はひらけておる。私は見ておる。お天道様のごとく』
そう…。そうですか。
よかったねえ。本当に良かった。
肚を据え
真の表現者となる。
それは時に勇気のいることです。
「出していいの?」
「こんな自分が?」
「受け入れられるの?」
「私には力がない」「笑われる…」
これら、大きな意味ではもしかして
「わがまま」と言えるのかもしれません。
志半ばで倒れた先人たち、
この国を守って散華してくださった方々からすると。
自分の響きで100%生きることを決めた人にやってくる
そして
確かに体で体現し始めた人にやってくる
プレゼントをこの方は受け取ったんだなあ、と思いました。
遥かなる人たちからの声援。
「思いを受け継いでくれる」ことは、誰にとっても嬉しいものですから。
いえ、
きっと、はじめから薩摩の先人たちは声援をしていた。
今、この方は、その「アクセス回路」をしっかと開いた、ということなのかもしれません。
「コウコさん、ひらいてくれてありがとうね」
と、確かに電話の最後、春風の音にまぎれてそういってくれたように思うのです。
数百キロの距離を経てともに感じられた
なんと高揚する、幸せな瞬間。
そして、これは同時に、わたしにとってもメッセージであるのです。
「汝のなすべきことを、なせ」
と。
◎「大人の文化祭~声のワークショップ鹿児島第3期♪発表会」
https://www.facebook.com/events/718221094962010/
◎「体験*声のワークショップ・ミニinかごしま」
http://kokucheese.com/event/index/276883/
◎声のワークショップ第4期
5月13日~