いつも東京に行くたびに
それはそれはお世話になる知り合いのご家族がいます。
その方の住む街は
大きな欅の並木がそれはそれは美しく。
あんな並木はちょっと見たことがありません。
なにせ、徳川家康が植えた(いえいえ、寄進した)ってんだから、すごい。
直径5~6メートルはありそうな欅の大木のつらなるその先には
1000年を超える古からの社が鎮座するというなんとも美しい街です。
5月の祭りでは、その並木を馬が駆け抜けるらしく…ああ、見てみたい。
と
話がはじめっからそれています。
いけないいけない。
その欅の並木の近くには、古いソメイヨシノの並木道もあり、これまた美しい。
「この並木を、毎年小学校の鼓笛隊が演奏して歩くのよ。結構有名な鼓笛隊で…」
「へえ!じゃあ、地域の皆さん、毎年楽しみにしてらっしゃるんじゃないですか?」
鹿児島でいうと
某小学校の某有名ジャズバンドみたいなものかな??
なんてイメージじながら聞いていました。
聞くと、ほんとうに厳しい練習で有名な鼓笛隊のだそうで
しかも、希望者で構成される「部活動」ではなくて、全員参加なのだとか。
いや~、それは大変そう。
「うちの娘が小6の時にね…」
話は続きます。
どうしてこの方が内情に詳しいかというと
まさに、ご自身の娘さんがかかわったからなのですね。
地域でも有名な鼓笛隊。
朝練つきの厳しい特訓。
難しそうなポジションや楽器はすべて試験つき。
3人しかなれない指揮者などはもう、いわずもがなで。
で、
その方の長女さん。小6の頃のこと。
もちろん問答無用に鼓笛隊に所属していました。
で、どの楽器をする?となったときに、長女さんが選んだのは笛でした。
縦笛。
「あの子は、ほんとうに欲というか、頑張ろう、人よりこうなろう!というようなものが、
ないのよねえ…マイペースで」
と、私の知人はしみじみ、といった口調でお話なさいます。
そして、ここから更に、あらたな登場人物が。
「でね、そのパレードを見た妹がね、日記を書いたのよ」
妹さん、わたしももちろん、会ったことがあるのですが
それはそれはテンポのよい勢いのあるリズムで話す元気な方です。
そのとき妹さん、小3くらいでしたか。
彼女は、お姉ちゃんの晴れの鼓笛隊パレードで指揮者の横に登場!
部外者でありながらちゃっかりと新聞掲載の写真に収まるという
快挙を成し遂げ
さらにはその日の感動を、こう、学校提出用の日記にしたためたのでした。
『お姉ちゃんは笛なんかやって。
わたしだったら絶対指揮者をするのに!』
ああ、そうかあ~。
素直な、小学校3年生の感想です。
憧れと、鼓笛隊を見た高揚感と、自分の未来への夢をたくさんに託した
素直な思いの表現!
で、
ここからなのです。わたしが
なんじゃそりゃ?と思ったのは。
翌日、妹さんの日記に、先生からのコメントがついて帰ってきました。
このように。
『おねえさんも、おねえさんなりに頑張っているんですから
もっといいところを見てあげましょう』
「ひどい~、そのコメント!」
「でしょう~?」
帳面にコメントを書くまねをしながら話すその方の声を聞きながら
顔を見合わせて、つい笑ってしまいました。
言葉の奥にある先生自身の価値観が
(「前提」が)ビシビシと伝わってくるなんとも、「名」コメント。
表面には出ないけれど言葉の底に込められた「前提」というものは
人の無意識下にするりと入りこみ大きな影響を与えるのですよね。
なかなか強大なメッセージです。
その夜
件の話の主人公、つまり、長女さんと、けっこう長く雑談をしました。
彼女は今、30代。
人を束ねる立場に、長いことついていらっしゃいます。
趣味の話、旅の話…
いろんなことを話していて感じたのは、なんとも懐の広い方だなあ、ということ。
「アジアの街の、混沌とした活気が大好き」
という彼女からは、
白と黒、善と悪にきっかりと分ける、という世界とは反対のものを感じます。
すべてにおいて
そのままの状態をよしとして受け入れ、慈しむ…それがいつものこの方の
「あり方」なんだろうなあと、そんな感じでしょうか。
この人のお店でならスタッフしてみたい、とふと思ったり。
まとまらないまま
今日のテーマは終わろうとしています。
最後に質問。
あなたなら、どんなお返事コメントを書きますか?