という本があるんですよね。
以前、わたしのクライアントさん。
今も大切な友人である方が、貸してくださった
本です。
一人の女性が
バスを借り切って、大陸横断のツアーに挑む
というお話なんですが。
この本を貸してくれた方とわたしが出会ったのは
この方が管理栄養士をしていた頃でした。
現場でのこの方のリーダーとしての奮戦記を聞くのはとても楽しく
自分が知らない世界の
さまざまな「事件」、をいつも笑いながらクリアしていくこの方の「軽やかさ」には
心浮き立つものでした。
「冷凍の魚を焼いたら
なんと、ぜんぶ(人数分、すべて、数百食分)溶けちゃったんですよ~。
おかずがなくなっちゃって困りました。」
てなことを
とても楽しそうにおっしゃるのです。
まるで「その問題」が問題ではなく
自分に新しい世界を見せてくれる扉であるかのよう。
「こんなことになっちゃった。わたしってどう対処するのかしら」
「こんな状態で、どういう可能性を切り開ける?」
というのがこの方の常なる「基本スタンス」。
その出来事と、まるで戯れているかのような軽やかさ。
さて
この方がずっと温めてきた夢は海外青年協力隊に参加することで
そのための資格の一つとして、管理栄養士をとり、現場経験も着々と積んでいらしゃったのでした。
わたしが出会ったころは、ちょうどその「夢」にそろそろ移行しようかな…
という頃だったのですが。
結果、
彼女の能力とは全く関係ないところのちょっとした事情で
その夢はかないませんでした。
それからしばらくは日常が続き・・・。
ある日彼女は
「また連絡します!海の上からスカイプしましょ~」
との言葉を残して
船上の人となってしまいました。
(100日間世界を旅する船に乗っかったらしいです)
わたしの手元に上記の本を残し。
「ああ、ついに世界を見に行ったか…」
(気持ちは港に立って出航を見送る父の気持ち)
結局
その「海上スカイプ」は一度も実現することはなく^^
(彼女は恐ろしくPC関係が苦手な人だったのです)
次に彼女に会ったのは半年後くらいだったでしょうか。
少し日焼けした満面の笑顔で100日間のスライドショーを見せてくれました。
それから
元気だという風の便りを聞くのみで彼女と会うことはほとんどなく。
返しそびれた本を手元に月日は流れ…
先日、4月、彼女の誕生日。
プレゼントを添えて本をやっとお返ししました。
住所、変わってないかなあ、と心配しつつ。
GW真っ最中。
電話がありました。
「お久しぶりです!今、大宰府です~。プレゼント、ありがとうございました!」
お休みを楽しんでいるのだな…と思っていたらそうではなく
彼女は旅を仕事にする人になっていました。
電話の向こうの彼女の声はことさら高揚するでもない、いつもと変わらぬ声。
が、わたしの方は感無量でした。
「もっと世界を、あたしは見たい」
ずっと、見続けていたんだな。これからもずっとそうやっていくんだな
と思いました。
栄養士さんだった時も
夢がかなわなかったときでさえも
自分の心の奥底に流れる旋律。
自分の魂の指し示す「センサー」の声を聞き続け
自分の人生の「流れ」に沿ってそれを生きている。
無理することなく。
自分の人生の中で、そのときにできる方法で、それを実現している。
彼女はわたしの中で、そういう風に生きている人の五本の指の中に入ります。
彼女は本当に、軽やかです。
彼女が旅から帰ってきたら
また会うことを約束して電話は終わり
今からとても楽しみにしているところなのです。