「深知今日事ーふかくこんにちのことをしるー」

「一緒に奏でましょうよ」

わたしのお客様に

長いこと離れていた音楽をまた再開なさるという方が

いらっしゃいます。

再開するにあたって

「その道」を極めていらっしゃる方のレッスンの様子を見学に行かれたのだそうです。

それはそれは、独創的なすばらしいレッスンだったそうです。

そして

たくさんのことを感じて帰ってこられました。

「音楽って、こんなにすごいことなんだって雷に打たれました」

「音は、そこから出てくる台詞なんだ」

「自分がやっていたことは、こんなにすばらしい世界だったんだって思えました。

お金にもならないし…

何もならない

って決め付けていたのはいつからだろう

なんてもったいないこと思ってたんだろう

ある意味、努力にほかならない世界だから、上達方法が目に見えず

できないことへの逃避だった…??

才能のある人ばかり、うらやましがっていた。

あきらめず、ずっと続けていたからこその上達だったのに

やり直すけど、それは惜しかったな…

でも、離れていたからこそまた、一からやりなおせる」

メールからは、どんなにかその時間がその方に衝撃を与えたかが

伝わってきます。

ご自分の心をこんなにまっすぐに伝えてくださることを心から嬉しく感じつつ

わたしも、一歩をまさに今、踏み出そうとしているその方へ

渾身の思いをこめて、お伝えしました。

「それは・・・
私も行ってみたかったです!

全ての優れた演出や表現は
分野を越えて、本当に役立つし、学ぶところ、得るところが大きいものです。
きっと、わたしのやろうとしていることにも
ものすごく大きな影響を与えるだろうな~と。
そんなすばらしい場を体験できたあなたが
うらやましいですね^^

さて
ご自分の関わってきた世界が、どんなにか奥深く
人に影響を与えるものか
すばらしいものか、再確認なさったのですね。

いったん離れてしまったのが残念・・・。
確かにそうかもしれませんね。
でも、これは断言できます。

いったん離れたからこそ見えるもの、感じられるもの
(そのことへの感謝はじめ・・・)
いったん離れたものだからこそできる、
「表現」があるのだと。

この、離れていた時期の様々なことを
存分に生かしてください。
離れて、戻ってきた者の腰は据わっています。
もうぶれることはないでしょう。
自分の意思で、しっかりと「選びなおした」のですから。

この時期を過ごしたあなただからできる「表現」がきっとあります。
そして、悩んだり、悲しんだり・・・それを存分に感じられるあなただらかこそできる
繊細な表現がきっとあります。

あなたの生きてきた全ての時は
あなたの奏でる「音」に生かされます。

一昨日、「プロフェッショナル仕事の流儀」で77歳の「杜氏」さんがおっしゃっていました。
「(自分の作る)酒に、(自分の)生き方が出る」と。

音楽もまたしかり。
私の仕事もまた、しかり。

一緒に、自分の人生を奏でましょうよ^^

こんなあなたがわたしの身近にいること、本当に嬉しいです。」

彼女は今、まさに「自分自身」を生き始めようとしています。

彼女の人生の、次の章が始まろうとしています。

こんな瞬間に立ち会えるとは、なんと自分は幸せなんだろう、と思います。

この仕事をやっていてよかった!と思える瞬間です。

…いや、そういう言葉もあてはまらないですね。

何か、涙が溢れてくるような、生きていること自体の感動に、祈るような気持ちになります。

こんなとき。

「自分自身」であること

「自分自身」を存分に生かしきって生きること。

これは「そう生きられたらいいな…」という類の希望や理想ではなく

人として生きていくうえでの「責任」であると

最近、そう感じるようになりました。

何をしなくても、何を成し遂げなくても、それが最大の、この世の中への貢献であるからです。

責任を持って、自分自身の人生を、生きる。

他の誰でもない、自分の真実の声に従って。

明日も

そしてあさっても、

一人でも多くの方が

「自分」を生きだす

そのお手助けが少しでもできれば

こんなに嬉しく幸せなことはありません。

ちょっと

力がはいってしまいました。

メールを紹介することを快くOKしてくださったこの方に、心より感謝いたします。

アーカイブ
Copyright © Communication Works All Rights Reserved.