先日
鹿児島市の純心女子短期大学さまに
うちあわせのためにおじゃまいたしました。
玄関にはいりますと
「うわあ、懐かしい…!」
思わず声が出てしまいました。
この時期、教会にかならず飾られる
「キリスト生誕の場面」の
これは、なんというのでしょう…?
この日、担当の方とお話をさせていただいていたときに
「あれが、とても懐かしかったです。ほら、あの、玄関の…玄関の…」
わたしの頭の中では
言葉がめまぐるしくかけめぐり最後に
「…ジオラマ」
という、何とも無粋な言葉が出てきてしまいました。
小さい頃、私が住んでいた家の近くに、修道院があったのです。
そこには、青い目をしたドイツ人の神父様がいらっしゃり
よく遊びにいっていたのもでした。
子ども心に
修道院と神父様のお宅はもう、なんといっていいか
「異世界」で!!
修道院の
壁に掲げられたキリストさまの一生をあらわした切り絵や
ステンドグラスの美しさもさることながら…
神父様のおうちのふかふかの、お尻がなんとも落ち着かないソファや
お風呂と一緒になった、タイル張りの広い広いお手洗い
(はじめてお手洗いに案内されたとき、あまりの衝撃にどうやって使ったか、覚えていません
…ちゃんとできたのだろうか??)
それから
近所の子ども、誰も持っていない、みたこともないゲームの数々…
(ダイヤモンドゲームというゲームがとても印象に残っています)
そしてそして・・・
顔中とろけそうなクッキーや焼き菓子
(当時、ほんとうに食べたことのない、初めての味でした)
そんな魅力的なものに惹かれて
しょっちゅうおじゃましていたというわけなのです^^
(子どもですねえ)
神父さんは本当にお優しくて
いつも数人で訪れる友人の長い髪を見ては
「アナタハ、オ姫様ノヨウデスネ」
とおっしゃるのが口癖でした。
それをとくだん「いいな~」とか「うらやましいな~」と思わなかったところを見ると
きっと、どの子にも、本当に優しく、公平に承認の言葉をかけていてくださったんでしょうね。
神父さんは、いくつかのお祈りの言葉を教えてくださって
それを一番に覚えて、得意そうにスラスラと神父様に暗唱などしていたのはわたしだったそうです。
子どもですよねえ・・・神父様にほめていただきたいいっしんだったのでしょう。
反面、姉はなかなかおぼえることができなかったと。
後で聞いたことですが。
(この姉が、神父様とその後もずっと交流を続け、ついに高校生のときに
仏教徒のわが家族の中、一人クリスチャンになってしまたのですから、人生とはわからないものです)
さて
そのころ、クリスマスの時期になると
いつも教会で見ていたこの「ジオラマ」(ちゃんとした呼び名があるはずなのです。申し訳アリマセン)
あったかいお茶と甘い焼き菓子の香り
あの、大きなふかふかのソファの茶色の皮の色
家族でクリスマスミサに出かけたとき
はじめて着せてもらったフードのついた厚地のコートの肌触り
修道院の高い天井にくるくるまわるオレンジ色の灯り…
久しぶりに目にして
そんなものが一気によみがえってきた
初冬のひとこまだったのでした。
この
「キリスト生誕の場面」は
わたしにとって
「子ども時代の自分」の
幸せの象徴、なのかもしれません。