「氣枯れ」を払い「祭り」を起こすー人が再び「つながり」を取り戻す場としてのワークショップ

 

 

ちょっと長いこと、投稿が滞ってしまいました。

結構たくさん文章は書いていたのですけれど。

あっという間に9月のワークショップのご案内の時期になりました。

 

*   *   *

 

 

「人と会いたい」「集いたい」と思うのはどんなときだろう?
「疲れているとき」
「なんだか寂しいとき」
「とにかく語りたいとき」
いろんな「とき」があるだろう。

 

どうしてわたしたちは「人と会いたく」「集いたく」なるのだろう?

 

 

 

セミナーやワークショップを作るときに
ずっと前から湧いてくるイメージがあって、
それが「祭り」。

 

かつては村々で行われる「祭り」がその役目を果たしていた、
「人の再生」。

 

 

生きることで「すり減る」わたしたち。

 

仕事。
家族のためのあれこれの時間。
世間や常識。
「普通は…」
「男なら」「女なら」「親なら」「上司なら」「⚪︎歳なら」…

 

たくさんの「⚪︎⚪︎なら」に
振り回され、合わせるうちに、
いったい何が本当の自分なのかわからなくなる。
そんなとき−−

 

 

 

火を囲み。
語らい。
歌い。
踊り。
太鼓を叩き。
思いっきり発散して。

 

 

そうして、仲間との時間を通して元気を回復していく。
それが祭りの役割。

 

しかも実はその奥で、

 

「自分への信頼の回復」
「ご先祖とのつながりの回復」
「自然とのつながりの回復」
「神様とのつながりの回復」

 

そんなことが全部、同時進行で行われていたのだから、
祭りというものは本当に、すごい。

 

 

まさに「けがれ=氣枯れ」を取り払い、
人が「つながり直し」「復活する」場。
それが古来からの「祭り」の姿、なのだ。

 

 

で、
話戻って、ワークショップ。

 

「知識の伝達」はもちろん大切なのだけれど、
今思い返してみると、
この仕事を始めた頃から、どんなお堅い場所での研修であっても
もちろんコーチングのセッションでも、

 

「そこ(知識の伝達)」をゴールにしていたことは、
一度も、ない。

 

 

わたしの中の「何者か」が、
いつものたまうのだ。
「祭りを、せよ」「祭りを起こせ」「人を震わせよ」
「響きを起こせ」
「目の前の人を、(本人だけが知っている)あるべき場に戻せ」

 

と。

 

 

これはもう、それこそ「持って生まれた響き」、
特質、なのだから仕方がない。
違うことをしようとすると身体が動かないのだ。
変えようがない。

 

 

なので、今回も。

「コミュニケーションの体感を鍛えるワークショップ・第4回」
も、そんな「祭り」をイメージしつつ、準備を進めています。

 

楽しみたい、という人はもちろん、
もし、どこか疲れているかもと感じていたら。

 

そんな人にも、ぜひきてほしい、と思っています。
何より「場の力」が、
わたしたちを元氣づけてくれるのではと
思うのです。

 

太古の昔から、人は「場の力」で元氣になってきたわけですし。

 

 

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🔷9月21日開催🔷
「コミュニケーションの体幹を鍛えるワークショップ・第4回」

「たまには「直感と思いつき」を頼りにしてみよう」
ー四元素でめぐる「自分発見の旅ー

 

🔸9月21日(日)14時ー16時半
🔸カクイックス交流センター 絵画製作室にて
🔸受講費 3500円

 

申し込みフォーム
https://form.run/@maikaze–LJ1V8NRFJwvcC5hlfdDc

 

 

 

 

伯母の葬儀で思う、儀式や祭祀の大切さー「プロセスを踏む(体験する)」ということの大切さ

 

 

 

 

 

伯母が亡くなり、葬儀に参列してきたんですが。
一つ一つの儀式。
「手順」を踏みながら、「ああ、これはまさに生きている人間のためのものだなあ」と
あたらめて思ったのです。

 

 

(ちなみに、子どもだった頃
わたしに一番「かわいい」をたくさん言ってくれたのは
確かにこの伯母だったような、と改めて思い出しつつ)

 

 

お経を聞き、
(また、お坊さんは声がいいので、全身に響くんですよね)
お焼香をし、
そして、お棺の中に花を添え、
出棺の儀式があり、

そしてまた、火葬場での一幕があり。
何度も祈り、何度も手を合わせ。

 

 

そのプロセスを通して、
少しづつ、少しづつ、生きている者たちが
「この人は次の世界に旅立つんだ」
ということを身体レベルで「わかり」「受け止めて」いく。

 

悲しみと共にだんだんと「あきらめて」いく。
俗世から次第に離れていく、彼の人を見て、感じている。

 

そのプロセスが、
あの、段階を踏んだ様々な「行動」なんだなあ…と。

 

 

 

弔いの儀式というものは、
故人を新たなる世界へ送り出す場であると同時に、
参列する人間にとっても「死と再生」のプロセスを踏むものなのだな、
と思います。
生と死の境まで行き、そして再び戻ってくる旅。

 

火葬を待つ間、
出された仕出し弁当を黙々と食べながら、
ふと「際(きわ)」から「今」に。
「隠り世」から「こっち側」に帰ってきた感じがものすごくしたのですよね。
まるで長い旅から帰ってきたような?

 

 

ああ、生きてるんだなあ、と。
大きなガラス窓の向こうの、
雲ひとつない秋晴れの高い空を見ながら思いました。
空がほんとうに美しかった。

 

 

 

 

 

 

伯母との別れは悲しかったですが、
そんなふうに悲しみや辛さもあるこの世界を
一生懸命に生きるわたしたちには、
だからこそ「儀式」「まつり」が必要なのだな、と思います。

 

なんといましょうか。
「魂」とか、「存在そのもの」とか自分の心の柔らかいところ。
純粋なる喜び、哀しみ。
生(せい)の実感。そんな、日頃忙しくて、
すっかり忘れ果てている部分や感覚にアクセスし、味わう時間。
哀しみが昇華し、生きるエネルギーに変わる時間。

 

 

 

 

日頃の地面を這っているような近視眼的な視野の世界ではない、
自分が過ごしてきた時間や、
人生全体を俯瞰して見直すような、そんな時間。
命や志のつながりを脈々と実感するような時間。
非日常。異空間。

 

 

 

 

 

 

それを、儀式や祭祀、祭りというものは果たすのだろうな、と思います。
お葬式だけでなく、結婚式、結納の儀、卒業式、入学式…
そんなものも同じく。
土地土地のお祭りも。

 

儀式、祭祀、祭りは人にとって再生の場なのだ、と思います。
再び新たなるエネルギーで生き始めるための大切な時間。
まさに「ヒーローズジャーニー」。

 

旅立って、そして変容して帰ってくる英雄の「小さな旅」なのです。

 

 

 

 

今日は何というわけではないんですが。

 

効率、といったものとは全く別のところで、
人が人として生きるに、とても大切な時間がある、
(わたしたちの心と魂を再生する仕組み、
癒し、再び復活するための仕組みというものが、
わたしたちの伝統風習には、ちゃんと昔から組み込まれているのだなと)

と思ったのでした。

 

 

大切にしたいものだと思います。

 

 

 

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