先日、知人からメッセージが来てですね。
娘さんのお友達の話を聞いていたら、
「バイト先の常連さんにとってもステキな女性がいて、
凛とした雰囲気が漂い所作や動きがとってもきれいで
私達との応対もハキハキとステキで仕事もできそう!
こんな大人の女性になりたいなって憧れる雰囲気の人がいる」
で、
どうも公子さんっぽいので、写真を見せたら大当たり。
と。
なんだか自慢みたいになっていますが、
そのメッセージを見たときのわたしの心持ちはそんなものではなく。
言葉にするならば、
「ああ!😭」と膝からくず折れるような、
そんなきもち。
「ああ、頑張ってきてよかった。
痩せ我慢しつつ、時には強がりつつ…でも本当に頑張ってきてよかった」
と、そういう感じでしょうか。
(と、その知人にも送ったのですけどね)
さて、本題。
今、朝5時と言う思いっきり早い時間に、昔やっていたアニメ
「マルコ・ポーロの冒険」
の再放送をやっていますが。
子どもの頃、一生懸命見ていたんです。
そして、出てくるいろんな曲が好きだった。
でその頃、曲を作った小椋佳さんが、
「マルコポーロの冒険」の楽曲について語るラジオ番組があったのです。
それを録音して、姉と二人で繰り返し繰り返し、聞いた。
でもって、すっかり覚えてしまった。
一番印象に残っているのは、
「取材に行ったとき、砂漠の真ん中で、自動車が壊れてしまった。
立ち往生して、どうにもならない、と思った時に、
星空の広さ、自然の中でポツンと、自分の存在の小ささを知った」
みたいな話で。
そして時は流れ、数十年。
小椋佳さんとご一緒する機会があり、
わたしはここぞ!とばかりに突進。
その話を熱く語ったのです。小椋さんに。
「今でも、ふっとおりに触れ、あのお話を思い出します。
そして、旅に出る時、ちょっとキツいなと思う時…
今でも、マルコポーロのいろんな歌が背中を押してくれるような時があります‼️」
と、それはそれは熱く(笑)
すると、小椋さんは、あの穏やか〜なお声で一言。
「ああ、そうなんだ…ごめんね。僕、何喋ったか覚えてないんだけど」
さて、何を言いたいかと言いますと。
「大人は覚えてえいなくても、子どもは『それ』を覚えていて、
しっかりとその身に刻み、そしてそれはいつか子どもの指針となり、子どもを助ける」
ことがある、と言いたかったのです。
だから「氣が抜けない」。
けど「氣が抜けない!」と、いつも周りを見回して身構えて、
ポーズを作って生きることはできないので、
つまりもう「日々の生き方」ってことになる。
掛け値なしの自分軸。
自分の体験と体感から出た言葉。
(あの日の小椋さんの言葉や、小椋さんがプレッシャーに苦しみつつ生み出した曲の言葉のように)
ここまで書くと、先の「知人のお嬢さんのお友達」の言葉が
どれだけわたしにとって嬉しかったか、
わかってもらえるのではないでしょうか。
スマートとも素敵とも言えない毎日。
アヒルの水かきの如く。
そんな毎日の中でも、
光る水滴のようにこぼれ落ちる「何か」があったのだとしたら。
それが若い人に伝わる瞬間があったのだとしたら。
本当に生きてきてよかった。
この生き方を選んでよかった。
そう思えたんでした。
(報われた瞬間、と言うんでしょうか。こういうの)
そして、(今これを読んでいる)皆さんも同じですね、
ということも言いたいのです。
みんなきっと、とても頑張っている。
今回、
皆を代表して、わたしのところに、
「その言葉」が(子どもたちからの見ているよ!という言葉が)
形となって降ってきたような、
氣がしているところなのです。