つまり、日本人の「自然の摂理」を五感で見て、聴いて、感じてキャッチして表現できる繊細な力が、世界に認められているように感じる

 

 

 

日本の「伝統的酒造り」が無形文化遺産に登録決定しましたね。
我がふるさと、鹿児島にもそれこそたくさんの焼酎蔵がありまして、
みなさん、本当に嬉しいことだろうなあと思うことなのです。

 

で、早速に「酒作り」の特集番組を見て、
「すごいなあ」とその凄さを噛み締め、味わっていたところでした。

 

 

 

 

日本人の食と健康に欠かせないたくさんの伝統的発酵食品。
その元となる
【麹菌(アスペルギルス・オリゼ)】は国菌。

 

で、
それをずっと「繋いで」きた種麹屋さんが出ていました。
三百年前、室町時代からずっと、種麹を「植え継いで」育ててきた。
今でも、その人たちが育て増やした「種麹」が
日本中に渡っている。

 

 

自然に蔵にあった菌を、「育てる技術」を室町時代から持っていた、と。
すごい…。
すごすぎます。

 

 

 

 

 

そして、杜氏さんの言葉。

 

「五感を駆使して、麹の状態を見極める。
触ってわかることがたくさんある。
熱。水分のこもり具合…

 

麹が自分の力で。
自力で、自分で自分を作っていく。
それの環境を整えるのが親、っていうふうに思えば、
子どもの力に応じて、それを生かした育て方が重要」

 

 

 

 

この言葉が、一番胸に「ぐっと」ときたんでした。

 

結局、人間は、
「自然」に学んで、大自然の動き、はたらき(摂理)をよーく見て、
それを「法(のり)」として(方法、でもいいか)動くのが、
一番間違いがないんじゃなかろうか、と。
全てにおいて、です。
教育。
医療。
商い。
政(まつりごと)。

 

 

 

かつて。
わたしたちには、それをするだけの「ゆったりとたゆたう時間」と、
それをキャッチするだけの繊細な感覚。
そして、大自然への畏敬と感謝があったんでしょうね。

 

 

 

 

仕事の前、神棚に全員で手を合わせる杜氏さんたちの姿を見ながら、
「仕事」というものはなんでも、
昔は「祈り」と隣り合わせ(というか、同義)だったのかもしれない、
とも思えました。

 

祈り、という言葉がピンとこないというならば、
「感謝と切なる願い」
でしょうか。

 

 

 

自分一人の力では何も生み出すことはできず、
「いただいているのだ」ということがわかっている。
自分も「大きな摂理」の一部となって、
大切な人たちの健康や心の充足や幸せのために
「これ」を送り届けるのだ、という願い。

 

 

 

酒造りのような、自然の力を借りるものだけではなく、
全てにおいて、そういうスタンスが根底にあったのではないか、
と思えます。

 

 

 

 

今日はまとまりませんが。
自分自身もそういうふうに仕事をしたいと思いますし、
そういう姿勢で「素晴らしいものや場」を生み出し続ける
たくさんのプロフェッショナルたちが、
わたし自身の身近にもたくさんおり、
(多くの人たちの顔が浮かびます)

 

 

また日本の国全体としても、こういった多くの方々の恩恵を
被る(こうむる)ことができる環境にあることを、
幸せに思うことなのです。

 

 

 

 

この秋「すごいぞ日本文化」と思ったこと(蹲踞と菊と慶応元年)

 

 

 

少し前、11月下旬にFacebookにあげたんですが、

こちらにも書いておきたく。

では早速ですが、この秋感じた「すごいぞ日本!」シリーズ、3本です。

 

 

❶大相撲、呼出さん(若い子)の蹲踞《そんきょ》がすごい!
❷鹿児島名所、仙巌園には65年前から咲いている菊がある!
❸その仙巌園内の博物館『尚古集成館』が慶応元年当時に戻っているぞ!

 

*  *  *

 

❶大相撲九州場所での話。

「本日の取り組み」を書いた用紙を
行事さんが一枚づつ観客に披露する場面があるのだけど、
その横に控える呼び出しさんの「蹲踞(そんきょ)」がとても美しい。

 

多分5分くらいはかかるコーナーだと思うのだけど、
その間微動だにせず、
背筋をまっすぐに伸ばして蹲踞の姿勢をキープし続けている。
上半身は「用紙をとり、回しながら観客に示す」という結構な動きがありながら、
下半身はスッと気持ちいいくらいに
地面からまっすぐに立ち上がって安定している。

 

今、このくらいの年齢の子で、きれいに蹲踞ができる子というのは、
正直とても少なくなっている、と思う。
(もはや生活の中で、この姿勢をすることがなくなってきていますんで)

そして、
これらの「身体の使い方」ができなくなってきていることが、
心身ともに日本人に悪影響を与えているのでは、というのは、
いつも書く通り。
(わたしは「よろしくない影響」だと感じているけれど、
そこは人それぞれかもですが)

 

これは、やはり相撲の世界に入ってから訓練をするのだろうか。
それとも日々の修行精進の中で自然と身につくものなのだろうか。
(多分後者だろうとは思いつつ)

 

その旨、聞いてみたく「日本大相撲協会HP」へと行ってみましたが、
「問い合わせに個別の回答はありません」とのことで。
いづれ明らかにしたいと思っているところです。

 

 

*  *  * 

 

❷正確にいうと、65年間「ずっと咲き続けている」というわけではない。
(季節ガン無視でそんな菊があったら逆に怖い)

 

65年前、「仙巌園菊まつり」を始めた時から、ずーっと
子、その子、そのまた子…
と、一つの株から受け継いで、咲かせ続けている花がある、
ということです。

 

「今咲いているこの花、65年前から同DNAってことですよね!」

 

と、仙巌園の菊のプロフェッショナの方を前に、
つい大興奮してしまいました。
すごい。本当にすごい。

 

ちなみに、菊のプロフェッショナルさん、
菊まつり前数ヶ月は、
「もう、ビニールハウスの前で寝たい」
くらいに緊張されるらしく。

 

鹿児島の仙巌園といえば、錦江湾沿いの海端。

お殿様のお屋敷なので、一番景色のいいところに陣取っているのですよね。

けれど、それだけに台風直撃ルートにもなっている。

この間の台風でも、施設の屋根が剥がれていましたし。

そして、菊。

台風となれば、六千鉢くらいを避難だせるのだそう。

 

 

生きているものを「その日」に向かって準備し、
ピークを持ってくるということの大変さ、
伝統の重さ、責任の重さ、楽しさ、職人さんの矜持…
そんなものもじっくりと感じられる「仙巌園菊まつり」。

機会があったら見に行かれてください。

(そして、65年ものの菊はどれですか?と聞いてみてください。

きっと、職人さんが喜ばれることと!)

 

*  *  * 

 

 

❸慶応元年の壁に頬を押し当て、すりすりして

慶応元年の歪んだ窓ガラスに我が顔を映して、慶応元年の重い鉄の扉をキイキイできます!
(※すみません、キイキイはできません。叱られます)

 

と、上のようにfacebookに書いたところ、

知人から「公子さん、嬉しそうねえ」と書き込まれていたんでした。

はい、嬉しかったです。

 

この10月に全面改装し、リニューアルオープンした
「尚古集成館」。

慶応元年(1865年)に竣工した日本最古の「石造」の洋式機械工場の建物なのですが。

以前は、窓を塞ぎ、館内を黒で統一し、外光を遮断した中で、
ライトを駆使して展示の空間が演出されていましたが、
今回行ってみると…

 

戻ってました。
当時のまんまの白い壁。
当時のまんまの窓から柔らかく差し込む自然光。

 

「ああ。これって…慶応元年と同じ明るさなんだなあ」

 

としみじみ。
窓はところどころ歪んだ板ガラス。
当時は丸いガラスを板に伸ばしたんだそうで、
自然と歪みができたんだとか。
(この歪みが堪えられません)

 

 

鉄の扉も、全部そのままそこにあって、
天井を仰ぐと、なんだか昔ここで仕事をしていた人たちの
ざわめきや熱気が聞こえてきそうな。

 

ちなみに、
直径3メートル?くらいの鉄の巨大な歯車は、
「受付ブース」の外枠になっていました。

「これ、思う存分触っていいんですよね」
「どうぞどうぞ😃」

ということで、ベタベタ触ってきました。

 

 

 

「保全」と「活用」。

これが、仙巌園に課せられた使命なのだそうで。
この2つを両立させるため、
ほんっとうに「あの手この手」。
(という表現ですととても軽くなってしまいますが)
頑張ってらっしゃるんだなあと。

 

ちょっと掘ると「何か出てくる」ので
(歴史的なものがですね)
掘れない。
仕方ないから施設を作る際には「土を盛る」。

 

台風があると壊れる屋根。崩れる土壁。
それもサクサクっと修理できるわけではない。
(手続きが山ほどあるらしい)

 

 

「保全と活用」
の難しさと努力をたくさん聞いて帰ってきたのでした。

 

そして、小さなことなんですが。
この日、仙巌園の駐車場に止める段になって、
料金が値上がりしているのにちょっとびっくり。

けれど、帰る頃には、
「いいよいいよ〜、仕方ないよ〜😃
値上がり分、菊の苗買ってね♪」
という気分になって帰ってきました。

 

「知る」(共感する)ことの大切さも、味わって帰ってきたことでした。

 

(※ちなみに10月1日から入園料も改定されていますんで
行かれる方はチェックです)

 

*  *  *

 

以上、この秋の「ここがすごい。素敵な日本」シリーズでした。

どこへ行く日本人。どっちつかずの日本人。お前は何者?

 

 

 

今日から浴衣を着てみたんですが。(7月の声を聞いた途端、うずうずしてしまい)
半分は趣味、半分は仕事でしょうか。

 

 

 

 

話は飛びますが、
偶然「フットケア」の特集番組を見まして。

 

足の不調(外反母趾や、巻き爪、魚の目、たこ…や何やかやで痛くて歩きづらい)
をどうケアするか、という話と、
予防として、そもそも「そうならない」ための「靴選びや歩き方」、

といった内容だったのですが。

 

 

それを見ていて、思ったことは、

 

「なんだかんだ言っても、わたしたちは『靴』に馴染んでいないし、
『靴で歩く』ことにも扱いにも慣れていないのだな」

 

ということでした。
靴を履き始めて160年(やっと)。
身体なんて、そんなにあっという間に変わるものじゃない。

 

 

一体、何人の日本人が足のため、
身体のための「靴の正しい選び方」「扱い方」をちゃんと、
お味噌汁を作るくらいの「当たり前」レベルで
知っているだろう、出来るだろう、と改めて思ったのでした。

 

 

 

 

 

 

で、
ふと思い出したのですが。

 

相当昔の話なんですが、何かの番組で、
「オードリー・ヘプバーン」の問題が出ていて、その問題が、確か

 

「オードリーが小さい頃、足が綺麗にちゃんと成長するように親ががやったことは?」

 

というような問題だったのです。
で、いくつか選択肢があって、
答えは「足首まである編み上げ靴を、紐を締めてしっかりと履かせる」
だったように覚えています。

 

 

今思えば、向こうの人たちにとって、そういうのは、
至極当たり前のことなんだろうなあと。

 

 

 

 

 

で、日本人なのですが。

 

 

では、草履や下駄を履き、畳や板の間で「座して」暮らすことで
昔からご先祖が馴染んできた、

 

「身体の使い方」

 

は身体にちゃんと息づいているか?というと、
それももう、ない。

 

 

 

そして、今の若い子たちは「蹲踞(そんきょ)」ができず、
丹田の場所がわからず(こういう役者の卵の子に会ったことがある)、
浴衣の帯をウエストで結び(男の子です)
腰を立てて姿勢をキープできず。

 

しかも衝撃だったのは
10代から「尿もれ」を起こしている女の子がいると。
(骨盤底筋が弱いのが原因らしいのですが、
これは、和式の生活をしていればごくごく自然に鍛えられてきたものなのだそう)

 

 

 

 

で。
「どこへ行く日本人」
「どうする日本人」

 

と思ってしまったわけなのでした。
もう「和」は捨ててしまった。
どっちつかずで何者でもなくなってしまうんじゃないか?と。

 

 

フラフラと。
あっちへいき、こっちへいき、何が正しいのか?
何を軸にしたらいいか、とても深いところでわかっていないというか、
なくなってしまっている。
その精神も、「よって立つ『よすが』がない」感じ。

 

 

それらは、こういったところにも
(生活様式、身体の使い方が伝承されていないところにも)
その原因はあるのではないか??
とずっと以前から思っているのです。

 

身体の軸と精神の軸はしっかりと繋がっているわけですから。

 

 

そんなことを考えつつ、浴衣でここに座っている今。
(近所の人と、カフェの店員さんから
「何かお稽古ですかっ😃!」と声をかけられつつ)

 

 

 

 

それにしても。
「和のよそほひ」って、背中を丸めようがないなあ、と
(下腹が定まって楽だよなあと)。

 

それに、下腹で楽に全身を支えられるので
(帯で下腹をきゅっと締めてますんで)
肩に余計な力が入らなくて、大変よろしい。肩こり防止に。

 

 

 

 

日本人の中心は「肚」なんだなと。
頭(思考)と、胸(感情)と、肚(意思・精神)。
最終的には、腑に落とし、決断し、
そして「肚からの声」で伝えるのが日本人だったんだろうなと。

 

そんなことをつらつらと思っているところです。

 

 

 

人は繋がりがあれば生き生きとしていられるし、自分に対しても周りに対しても「無体なこと」はしないと思う

 

 

 

 

知人の実家のお墓は、お父様がたくさんの想いを込めて作ったお墓なのだそうで、
それは坂を登った小高い丘の上にあるんだそう。

 

で。
そのお父様が数年前に他界され、
きょうだいでこれからの家のこと、
お墓のことを話しあうこととなったこのお盆。

 

 

「お墓をしまって平地の納骨堂に」

 

 

という意見が出たのは、
お墓をこれから次に繋いでいく可能性の高い
きょうだいの一人から。

 

「お墓を見る負担を子どもたちに残したくないから」

 

と。

 

 

 

 

ああ、そうだなあ〜、
と思いつつ、
どうも一抹の寂しさを感じ、なんともいえない氣持ちを感じ。
で、口にしてみたのです。
(繊細な内容ですんで、どきどきしながら)

 

 

「それを即、『負担』と捉えるということが…。
なんと言いますか、
長い長い時代の流れってものがあったんですもんねえ。
そういう時間をわたしたちは過ごしてきた(来てしまった)んですねえ」

 

 

 

 

知人も、わたしと同じような感慨を抱いていたようで。
けれど、知人は家を出てしまっているので「負担」と言われると
確かに、と。
で、自身の思いをどう伝えよう…と。

 

 

 

 

もうね。
頭の中が飛躍してしまって、
縄文時代みたいに「お墓は集落の中心」にあったらいいのに、
なんて思いましたよ。

 

お墓を中心に家が周囲に立っている。
死は隔絶されたものではなく、軽く「地続き」な感覚。

 

 

 

話が飛びますが、
少し前の番組「ファミリーヒストリー」で、
草刈正雄が父方のルーツを探す、という回がありました。

自分のルーツの片方が完全にない、わからない、
断ち切られている、
繋がっていない、
という感覚は草刈さんにとって、
(いえ、誰にとってもでしょうが)
本当にきついことであったと想像するのです。

 

 

自分を捨てた父親への言葉にできない思いと、
それでも、叔母やいとこがいた、という喜び。
父親の幼少期や育った環境が明かされていく
=自身の「源流」が初めて明かされ、繋がっていくという
そのプロセスが映し出されていました。

 

 

 

 

 

人にはつながりが必要です。
横のつながり(今生きている人たちとのつながり)はもちろん、
縦のつながりも。
時を超えた、立体的なつながり。

 

 

わたしたちは、全方位、360度、繋がって生きている。
生きている人。今はここにいない人。
形あるもの、ないもの、全て。

 

遺伝子を受け継ぎ、
たくさんの人たちの「思い」「願い」をもらい、受け継ぎ、
今、わたしたちはここにいる。

 

 

 

そして、その「つながり」へ思いを致す力が強いほど、
「無体なこと」はしない。できないものなのです。

山なんて崩せない。
海も川も汚せない。
なんで大木を切るんや!
そこの緑をなんで潰すんや!
と。

 

 

そう考え出すと、もう、他にもたくさん…
大切なもの、大好きなものががありすぎて。
(形あるものはもちろん、知識や伝統風習含め)

そういう感覚で世界を見ると、
自分を生かしてくれている、
支えてくれている、
エネルギーをくれる、
「宝」に囲まれまくって自分が生きていることに氣づきます。

 

そしてこう思う。

この繋がりの先端で今という時代を生きている自分自身も、
すごく大切なんだ、と。
存分に生きよう、と。

 

 

 

 

話が大きくなりましたが、
お墓って、そういうものの一つではないかな、
とわたし自身は思います。
自分自身の確認の場。
つながりを確かめ、実感する場だったりありがとう、と感じる場。

 

 

 

 

そして、子どもたちって「負担」と思うかな?

思う子もいるだろうし、

思わない子もいるんじゃないかな、

とも思うのです。

特に、これからの世代。

(親が「負担だ」と決めなくてもですね)

 

 

 

 

さて、
わたしたちは、これからどこへ行こうとしているのか。

 

 

 

今回の「お墓について」なんですが、正直、
「教育、間違ったんじゃないの⁉︎」
と思いました。

 

 

知人のお家がどうこう、と言っているのではなく。
長い長い間の「日本人」全体のことです。
この160年だか、戦後80年だかのことです。
大きな、この国の「流れ」のことです。

 

 

 

一体わたしたちは、何を捨ててきたのか。
何を受け取ってきたのか。

そして、次代に何を手渡そうとしているんでしょう、と改めて考えたこのお盆です。

 

(写真は先ほど行ってきた神社の大木です。苔がいい感じでした)

 

 

「なぜコンビニの前に座っていてはいけないのか」を子どもになんと説明するか

 

 

 

 

 

 

つい最近、(誰かの記事だったか、動画だったかで)見たのですよね。

 

コンビニ前や駅の構内で、
地面にペタッと座って飲食している子達がいたとして、

「草っぱらなんかでもじかに座る。どうしてここだといけないの?」

と問われたら、なんと答えるか、と。

 

 

で、その記事だったか、動画だったか…に、こういうコメントが。

「コンビニや駅の構内だと、
公衆トイレなどに行って、みんなそのまま歩いているから汚い。
なのでダメ、と子どもには教えています」

 

 

 

本当にその通り。
けれどでは、そこがもし、ピカピカの床で、
絶対に菌やウイルスの入り込む余地のない場所だったら
座ってもいい、

ということになるのかしらん、と。

 

 

 

 

で、わたしの率直な感想は、

「理由が…いるか?」

でした。

 

 

 

 

なんというか。

「理論」。「理屈」。
よく言われる「エビデンスは何ですか?」的な。
それがないものは存在の余地なし、みたいな昨今。

 

 

そんなものは全然「通って」いなくとも、

 

「とにかく良くないの」
「それは美しくないの」

 

という精神はもはや通用しないのかしら、と。
(お天道様が見ているから、的なですね)

 

 

 

 

 

 

 

知人が「今、仏教と神道の本を読んでいます」
と。

 

 

「自分たちはどうも、以前であればあれば自然と
『もらって』(受け継いで)
きたものを上の世代からもらえていないんじゃないか、という感覚があり」

 

 

 

 

ということなんだそうで。
(わたしから見ますと、その方、全くもって、そうは思わないんですけどね)

 

 

 

で、
ご自身の子どもに何を手渡すのか、にあたって、

 

「では、自分で再度見つけるしかないか」

 

と。

 

もらえていない、受け継いでいない、どこかで断絶している、のならば、
自分で知り、取捨選択をし、
自分で再編し直さねばならない、

 

 

 

 

と思ったのだそう。

そのためには知識が必要。

 

 

 

「根っこ」を知ることが。
揺るがぬ「根っこ」。
「真善美の根っこ」を知り直す必要がある、出逢い直す必要がある。

 

 

 

それはなんだろう??
と考え、「仏教」「神道」というものにも触れてみよう、
と思ったんだそう。

 

 

 

 

 

 

 

 

これまでも何度か書いていますが。

「根っこ」を知らないもの、
根っこと繋がっていないもの、は弱いですね。
(基本・土台・型がないものは、とも言える)

 

 

 

とうとうと流れる時の中で、
自然と形作られてきた「道理」を無視して作ったものは、
どんなに「いい方法だ」と思った仕組みや考え方でも、
数年経つと、目まぐるしく変わる時の中で、
瞬く間に「合わないもの」「使えないもの」になっている感じがします。
(「時代の徒花」で笑いで済めばいいんですけど)

 

 

 

 

 

わたし達は今、大きな渦の中で、
何を信じていいかわからない。
何を支柱として生きていいかわからない。
だから、

 

 

「(有名な)この人が言っている」
「これが流行っている」
「みんながこうしている」
「『成功』している人がこうやっている」

 

 

を追いかけ、
追い求め、
右往左往している。

(この状態、「精神的孤児」という言葉で、以前書きましたが)

 

 

 

 

 

 

 

そもそも、わたしたちが、
「正しい」「これが当たり前」「ずっとこうしてきた」
と思っていることも、歴史を辿れば、
戦後ほんの80年でできた「常識」であったり、
わずか160年前には全く違っていた、ということも多々あるわけで。

 

 

 

 

 

先に書いた知人が、
「わたしたち日本人を形作ってきたもの」
(自然、風土に自然と育まれてきた文化、価値観、身体観)

 

 

の源流を求めて仏教と神道の本も読んでみよう、と思った(切なる)氣持ち
わかるなあ、と思います。

 

 

 

 

 

 

 

彼は、感じたのだろうと。
わたしたちが「こうだ」と思い込んできたことは、
案外「そうじゃないものもある」ということに。
ぐらり、足元が揺れ。

 

 

 

 

そして彼はきっと思ったのです。
自分の子どもたちを「孤児」にしたくないと。
デラシネ(根無し草)にしたくない。

 

 

 

 

たとえ世の中がどんなに渦巻いていたとしても、
自分の足で立って。

 

 

他者の作った真実ではない、自分の真実を。
「自分にとっての真の幸せ」を、
(それは自身の心にも身体にも至極自然で心地よく、なおかつ、
世界と自然に調和したものだと思うのですが)

 

 

生きる人になってほしいと思ったのだと思います。

 

 

 

 

 

 

決して色褪せない「根っこ」を。美しさを。
幸せに生き抜く力を、

 

子どもたちの身のうちにすっくと、しなやかに
立ち上げてあげたかったのかなと思います。
(本当に、何よりの宝だと思うんですよね)

 

 

 

 

 

 

※写真は、わたしの部屋の紫陽花です。愛おしきかな😍

 

 

 

 

「どうする家康」。時代考証グッジョブ!(ナンバ走りに萌えた夜)

 

 

 

 

 

 

昨日の「どうする家康」。

女の子(阿月ちゃん)爆走の回。

 

 

 

時代もので走る場面で、100M走の走り(現代の走り方)で
思いっきり全力疾走するのがいつも違和感だったのですが、
昨日はちゃんと「ナンバ走り」でした♪

 

(手を身体の横で上げ下げして、変な走り方だなあと思った人も多いのでは。

ちなみにあれが本当にそのまんま、当時の通りなのか、

もちろんわたしにはわからないのですが)

 

 

 

 

 

 

以前、この「ナンバ走り指導」の方の動画を見て
「ナンバ走り」を習得しようとしたことがあるんですが、なかなか難しくて。
(ナンバの動きを日々の動きに取り入れられると身体が楽で効率的、と聞き)

 

 

 

 

 

 

 

 

(動画はこちら)

https://www.youtube.com/watch?v=G29X8CBlzBs

 

 

 

 

昨日、確かにこの走りでしたよね。

 

 

 

 

子どもたちも、役者さんも頑張ってたなあと。
(こういう細かい考証が地味に嬉しい)

 

 

 

 

 

 

 

*  *  *  *  *

 

 

「日本に「西洋の動き」(運動・体育)が入ってきたのは、
幕末。
幕府によるフランス軍事顧問団の招聘による。

 

 

 

 

明治以前、日本人には
身体と心を分けるという概念がなかった。
(「カラダ」は死体のことで、
生きているこの身体は「み(身)」と言った。

 

 

 

それから約160年。
生活様式の変化とともに、わたしたち日本人は
「日本人の伝統的身体」「身体技術」
というべきものを忘れ去りつつある。

 

 

そして、
身体は「もの」として扱われ、
「ここを5センチ細く」
と…
自分の身体をモノとして
(商品のように)
「評価する」ようになった。

 

 

 

 

身体と心、精神はつながっている。
身体技術が受け継がれないと、
精神も受け継がれない。
(それを「感じたことがない」「感じられない」わけなので、本質は伝わらない)

 

 

160センチに満たない身体で
40キロのセメント袋(当時は重かった!今は25キロらしい)
を担いで軽々と山道を登っていた父の
腰肚を要とした使い方、腰の座り具合、力の出し方。
足のひかがみ(膝裏)の使い方等々…

弟には受け継がれていない。
(もちろんわたしにも)

 

 

 

 

 

日本人はどこへいくのか?」

 

 

 

 

 

 

*  *  *  *  *

 

 

 

 

昨年春のわたしのセミナー
「日本人の身体と精神と言葉の話
ーわたしたちはどこへ行こうとしているのか?ー」

 

からちょっと抜粋してみました。

 

 

 

 

 

 

最近思い始めた『20年後』にどんな姿で立っていたいか(同年の方々、どうですか?)

 

 

 

 

 

伝統料理を発掘、継承している人たちの活動を取材した番組があったのです。
その土地の女性たち(80代,70代)を中心に、料理をする様子が出ていたんですが、
それを見ていて、

 

 

「80代と70代って…こんなに違うのか」

 

 

とびっくりしたんでした。
何が違うかと言いますと、立ち振る舞いやコメントが、

 

 

 

「テレビ向け」

 

 

 

かどうか、という一点で。

 

 

 

 

 

 

 

 

その番組に出ていた70代の方のコメントや振る舞いは、
完全に「テレビでよく見るやつ」。

 

 

例えば…
「◯◯(食材の名前)の声をよーく聞くんですよ〜」とか、
「子育てもそうでしょう〜?」などなど。

(確かにそうなんでしょうけど、どうも、その人が「いつも使っている」言葉には聞こえず。

それに食材の声を聞くって、もはや使い古された表現にも感じるのですよね)

 

 

 

 

食材を混ぜるレポーターに、甲高い声で
「そうそう〜♪上手上手〜♪」と言いながら5本の指をぱあっと広げて、満面の笑みで、
顔の前でパチパチと手を叩く仕草。

 

若い女の子のタレントさんがよくやるのを見ますけど。
(何というか…ちょっとそぐわなく感じたのですよね)

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしの中で、70代80代というのは
人生の年輪を重ねた、尊敬すべき「人生の先輩」であり、

酸いも甘いも噛み分けた、なんというか…
しっかりと軸を持って、大地に根を張った大木のような、
というイメージがあり。
(イメージというより願望、期待、願い?)

 

 

 

で、
はたと氣づいてしまったのでした。

 

「そうだよなあ…70代といえば、もはや『テレビの洗礼』真っ盛りの中で育っているわけだもんなあ」

 

と。

 

 

 

 

何がいいか。
何がかっこいいということか。
何が受け入れられるか。
どうあるのが幸せか。

 

物心ついた頃から、それは全部、「テレビが決めてきた世代」の走り。

 

 

 

 

 

 

 

その後、この会を立ち上げた
80代の女性のインタビューがあったのですが、
こちらはもう…低めの声でゆっくりと静かに話されるその感じに、
「自分の芯」から話をされる感じを受け。

きっと、テレビであろうが、誰であろうが、
この佇まいで、この声で、この言葉なんだろうなあと。
(枝振りの良い古木のようなかっこよさを感じたことでした)

 

 

 

 

 

 

 

 

たった10年のことで、
こんなにも違ってくるのか??

 

と。
日本という国の何か、歩んできた道の縮図を見てしまったような氣になったんですが。

 

 

 

 

 

さて。
70代と80代では…と書きましたが、
80代だからいい、90代だからすごい、ということではなく、
若いとダメ、ということでもなく。
多分に「個人差」だよなあと思いつつ。

 

 

 

それでも、ちょっとびっくりしてしまったので書いてみました。
(それに、言葉や所作に関して、わたし自身の「好み」が大いに入っているので悪しからず、なんですが)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに、
わたしがこの場面を見た瞬間、浮かんできた言葉を真正直に書きますと、

 

「ああ、70代もダメだなこりゃ〜」。

 

(誠に誤解を招きそうな言葉です。

「先達だと思ってたのに!」「頼れる先輩だと思ってたのに!」「自分たちと一緒かよ〜」

というショックが言わせた言葉ということで、大目に見てください。
くれぐれも世代ではなく、個人差ですし。わたしの「好み」の話ですし)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて。

 

最近、「これからどんなふうに歳を重ねていくか」。
もみじが紅葉するように、身体も心も、さらに成熟していったその先に。

 

 

 

自分は、どんな姿で立ち続けるか。
立ち続けていられるか。
立ち続けていたいのか。

 

ということを、たまにですが考えるようになりました。

 

若い時にはただ、そこにあるだけで美しい。
溢れる生氣。
細胞から放っておいても発するみずみずしいエネルギー。
若いときは、誰だってそこにいるだけで、目を引く魅力に溢れている。

 

 

 

 

 

 

けれど。
これからますます「ごまかしのきかない」年代に入っていくなあ、と思います。

 

花が落ち、
深い深紅の紅葉のその後、

木の幹、枝…それらがただ厳然と、そこにある。

なんの飾りもなく、否応なしに晒されるとき。

 

そんな時、自分はどんな太さの幹を持ち、どんな枝ぶりでそこに立っているのだろうか。
過ごした時間が作り出した根の形が、幹が、枝ぶりが、
願わくばしっかりと自分の魅力になるような…

 

 

 

 

 

そんな時間を過ごしたいし、そういう姿でありたい、
(し、次の世代の前にそういう姿で立っていたい)
と思うのですれけどね。

 

 

 

 

 

 

 

*  *  *  *  *

 

※これはどこの桜でしたか。
ちょっとすごすぎる例を貼ってしまいました。

 

 

オリンピック柔道。日本の天野審判が美しい

 

 

 

 

 

オリンピックで柔道を見ていると、解説者がこぞって褒めるのが、

日本の「天野審判」。

 

 

「天野審判は容赦ないですからね」

「これが審判としてあるべき姿なんです」

「天野審判は公正にやってくれます」

(他の審判もそうだろう、と思いつつ、そう言わしめる「何か」

があるんだろうなあと思ったり)

 

 

 

 

そんなに褒められたら気になります、

ということで調べてみました天野審判。

 

 

*  *  *

 

天野安喜子(あまのあきこ)さん

東京都江戸川区出身

国際審判員であると同時に、江戸時代からの花火のかけ声「かぎや~」で知られる

老舗「宗家(そうけ)花火鍵屋」15代目でもある。

 

*  *  *

 

 

 

な、なにそれ〜!

かっこいい(目は完全ハート)

 

 

以下「広報えどがわ」から。

http://topics.smt.docomo.ne.jp/…/mykoho…

 

*  *  *

 

”令和の巌流島”と報じられ、

すでに伝説と化しつつあるこの試合を裁いた主審こそ、

区内に事務所を置く宗家花火鍵屋の15代目にして柔道審判員、

 

また、東小松川の道場で少年少女に柔の道を伝える

柔道指導者でもある天野安喜子さんです。

 

 

 

「試合後、勝った阿部選手と敗れた丸山選手の双方が

正しい礼法の下に畳を降りたのを見届けた瞬間、

『柔道をやっていて本当に良かった。

この勝負に間近に立ち会えて本当に良かった』

と感動したことをよく覚えています」

 

 

 

世紀の決着の瞬間をそう振り返る天野さん。

 

しかし、本当に心から肩の荷が下りたと感じた瞬間は

さらにもう少し後。

「試合後の記者会見で、敗れた丸山選手が

『まだ柔道人生は終わっていない』『もっと精進する』

と宣言したことを知ったとき」

だったと言います。

 

 

 

「数年間にわたってひたすら目指し続けてきた

五輪への切符を逃したという事実。

 

それが敗れた丸山選手にとってどれほど辛いことだったか。

それでも負けを受け止め、次の目標に向かって進むと

彼は言ってくれた。

 

近年、特に私が心掛けている”勝者も敗者も悔いが残らない、

選手のための裁き”が報われた瞬間でした」

 

(中略)

 

審判員としての道を歩み始めた当初から、

天野さんには明確な理想の審判員像がありました。

それは、

 

 

「選手たちが

『天野は怖いくらい公平な審判で、アピールも小細工も通じない。

ただ組み合う相手のことだけを考えよう』と集中できるような審判」。

 

 

 

五輪に限らず、

世界柔道選手権大会などの重要な国際大会を裁く審判員は、

それまでの裁きぶりが評価されて招集を受けた、

各国よりすぐりの面々です。

 

しかし大会が始まっても、全審判員の仕事は予選から逐一、

レフリーコミッショナー(審判委員)らによって評価をされ続けます。

 

 

 

それは、メダルを懸けた試合となるファイナルラウンドの主審を誰に任せるかを決めるため。

国際大会の緒戦は選手たちにとってはもちろん、

審判員にとっても決勝主審という晴れ舞台を目指して技量を競う、勝負の場なのです。

 

 

 

「あの”令和の巌流島”は国内の試合とはいえ、五輪決勝並みかそれ以上の注目の一戦でした。

 

あのタイミングで審判を引き受けることには、実は私なりにさまざまな葛藤があったのですが、

それでも打診があったその場で引き受けると即答できたのは、

 

『この世紀の一戦を他の人が裁くことになったら、とても私は素直な気持ちで観戦できない。後悔はしたくない』

 

という負けん気のような思いが頭をよぎったからです」

 

 

 

時には危険と隣り合わせの花火師の日常を送る傍ら、審判員という顔でもまた、

天野さんが勝負の世界を生き続けていることが痛感される言葉ではないでしょうか。

(終わり)

 

 

*  *  *

 

「勝者も敗者も悔いが残らない、選手のための裁き」

 

 

見極める。

判断する。

告げる。

 

 

選手の「すべて」をかけた一試合一試合を審判するということは、

自分もまた、全てをかけ、自分自身の信じる「軸」と、全身全霊をかけた覚悟が必要で、

その姿があんなにも美しいのか。

 

 

と。

「天野審判LOVE」で軽い気持ちで調べてみて、

結果、とてもさまざまなことを学んでしまっています。

 

 

 

 

 

 

 

神様がいっぱいー大相撲無観客試合の力士に思うこと

 

 

 

 

 

風邪をひいてしまい、ただでさえ頻度のゆるい更新が空いてしまいました。

やっと復活です。

 

 

 

 

*   *   *

 

 

 

 

いいご挨拶でした。

初めての「無観客場所」。

大相撲春場所の「ご挨拶」。

 

 

 

『古来から、力士の四股は

邪悪なものを土の下に押し込む力があると言われてきました。

また、横綱の土俵入りは

五穀豊穣と世の中の平和を祈願するために行われてきました。

 

 

 

力士の身体は健康な身体の象徴とも言われています。

 

 

 

 

 

床山が髪を結い、呼び出しが柝(き)をうち、行事が土俵をさばき、

そして力士が四股を踏む。

 

この一連の所作が、大地を鎮め、

邪悪なものを抑え込むものだと信じられてきました。

 

 

 

 

こういった大相撲の持つ力が、

日本はもちろん世界中の方々に勇氣や感動を与え、

世の中に平安を呼び戻すことができるよう、

一丸となり15日間全力で努力する所存でございます』

 

 

 

 

 

 

相撲の神様は『野見宿禰(のみのすくね)』だそうです。

 

神宿る肉体がたくさん。

 

 

 

 

こ、神々しい。

 

 

 

 

 

力士の皆さん。

がんがん四股、踏んじゃってください!

 

 

 

 

 

腰から動く男たち(はかっこいい)

 

 

 

 

 

エアコンの取り付け作業がものすごく面白くて、

邪魔かも、と思いつつ横で「ガン見」していました。

 

なんというか…かっこいいんですよね。

なんでも、無駄のない流れるような動きは「美しい」。

特にこの、腰に巻いたベルトにつけたバッグから、

瞬時に工具を取り出すところなんかもう…♪

 

 

 

腰回り、ほぼ360度に大から小から…

いろんな工具を入れたバッグを下げてらっしゃるんですが、

 

さっと伸ばした手が、寸分違わず目指す工具にたどり着く。

背中側のだってもちろん同じ。

今に、手にした工具を「くるっ」と一回回してから

使っちゃうんじゃないか、と思うくらいかっこいい。

 

 

 

 

「いいなあ~。いいなあ~。

わたし、腰にそういうのを下げる仕事をしたかったんですよね。

庭師さんとか大工さんとか」

 

 

「そうなんですか?(笑)」

と工事の方。

(映画村で大道具を作る人とか、

というのは恥ずかしかったので黙しておきました)

 

 

 

 

さて。

必然的に、この結構な重さの「腰のベルト」を中心に、

動くことになる、この方の動きは、

しっかりと腰が座っています。

なので無駄がない。

(腰を要として全ての動きが波紋のように出てくるので、

バタバタ感がない。無駄がない。

小さな動きで最大の効果、という感じでしょうか)

 

 

バイトでついてきている学生さんの

「ひょこんひょこん」

としたアップダウンの多いパタパタした動きとは違う。

 

 

 

 

 

「この仕事を始めた頃はもう、腰が痛くて痛くて…。

ベルトは重いし。

下手な動きをすると、腰をやってしまうんですよね。

今はどれだけ重くても大丈夫ですけど」(職人さん)

 

 

 

 

 

 

腰を落とした際の動きもかっこよくて、

以前テレビで見た、

 

 

「古武道の股関節の動きを使って疲れない移動をする」

 

 

動き方に似ている。

(武士がさささ、とにじり寄ってくる動きみたい)

 

 

狭い室内での限られたスペースでの作業も多いでしょうから、

自然と「一番合理的な」動きを会得されたんだろうなあと。

 

室内に大荷物を広げまくることもなく、

最小限のスペースで着々と進む作業の手際も面白くて、

ずっと見ていました。

 

 

 

 

 

さて。

何をするにしても、

動きが汚いのは「アウト」だなあと思います。

(自戒を込めつつ)

動きの美しさと、仕事の質、仕事のセンスは直結している。

美しい、というのは、

 

 

身体の理にかなっている。

作業の理にかなっている。

場の理にかなっている。

 

 

という感じでしょうか。

 

それは、同時に、

その人の中の、

きちっと系統立てられ、整理された段取りや、思考をも表している。

 

 

 

 

 

幸田露伴と娘の文(あや)。

露伴が14歳の文(あや)に仕込んだのは、何よりまず

「掃除の仕方」でした。

はたきの使い方、雑巾の使い方、バケツに水をどう汲むか…

つまりは「身体の使い方」。

 

 

 

「水の扱えない者は料理も経師も絵も花も茶もいいことは何もできないのだ」

  (BY 露伴)

 

 

 

かつては、日本人誰もが、普通に生活のあらゆる場面を通して

身体に『型』という知恵を刻み込む、

(授けてもらう)

機会を持っていた、と思います。

 

例えば、まっすぐ座る。

背筋を伸ばして箸や茶碗を持つ。

それも「型」。

 

 

それらは「生活の中で使う型」ではあるんですが、

実はそこを遥かに超えて、

考え方の土台、精神の土台となって

人生の様々な場面で応用、活用できる大切なものだったような氣がします。

 

 

 

 

そして今、私たちの型がだいぶ廃れている

ということも事実なのです。

型が崩れている、ということは、

「型によって得ていた大切なもの」

も崩れている、ということなのです。

 

 

 

 

腰はら文化の話を書こうと思っていたんですが、

型の話になってしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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