「私はなぜ生きのびることができたのか?」

との言葉は

植松努さん。

「植松努特別講演会~きみならできる!

『夢』は僕らのロケットエンジン~北海道の小さな町工場が知恵と工夫で宇宙開発に挑む」 (現代書林)

より。

「生きのびる」というのは

正確には「私の夢は」ということです。

「なぜ自分は夢を途中であきらめることなく

その夢を持ちづつけ、育て、そして形にすることができたのか」

というような意味。

小さいころから飛行機が大好きで

宇宙に携わる仕事ができたら、と思っていた植松さん。

それを口にしたとき。

「芦別に生まれた段階で無理」

「お前の選択は芦別高校に行くか、芦別工業高校に行くか、どっちかしかない」

と先生。

先生もなかなかすっきりばっさりとした切り捨て方をなさるものです(笑)

さて

それから年月が立ち、植松さんは地元北海道でロケットを飛ばし、無重力実験施設を作り

しっかりと「宇宙開発」にたずさわっていらっしゃるわけですが。

植松さんが念願かなって航空産業関連の企業に就職したとき

仲間もみな、「飛行機が好き」という人たちだったそうです。

でも

「どこが好きなの?」

「どんなのが好き?」

と聞かれて、詳しくつっこんで答えられる人はいなかったそう。

彼らの「好き」は幼稚園段階で止まっていた、と。

みな、植松さんと同じくはるか昔、その世界へ憧れを持ったのでしょうが

彼らは、成長の過程でそこへのあくなき興味や探求心、具体的な探求の時間を

「無駄」として切り捨てられ、持つことがなかった。

かたや

大学にはいった段階で専門の授業を

「植松、お前には必要ないから、ほかの人に教えてやれ」

と先生から言われるくらいにその世界に「どっぷり」浸って大きくなった植松さん。

小さいころ探究し、妥協なく「好き」をやり続けたことが

余すことなく今の「宇宙開発」の土台となって生きている植松さん。

「多くの大人が『夢』を奪おうとした。

子どもが探求のために伸ばそうとする『とげ』を切り落とし。

結果、子どもはつるりと丸くなる」

植松さんが宇宙開発をやろう!と思ったきっかけは

以前書きました。

(よろしければこちらへ)

「他の人の夢を奪うのはなぜか?

それは自分に自信がないから。

自分に自信が持てれば、やさしくなれる。ほかの人の自信を、夢を奪わなくて済む。」

とげを自由に伸ばすことを禁じられた子どもが大人になって

他人の「とげ」をまたぞろ引っこ抜こうとする。

…恐ろしいことです。

夢を奪われるということは

魂を、その人がその人であるということを奪われることと等しいのではないでしょうか。

(自分はそんなこと、していないだろうか??

とつい振り返ってしまいました)

このDVD

多くの親御さんや先生方にも見てほしいDVDだと感じています。

「その先を見せる」

数学が苦手だと、なんとなく思っています。

「成功体験」がまったくないわけではないんですけれど。

確か中2の秋くらいまでちんぷんかんぷんだったんですが

さすがにこれではヤバい!と勉強し始め、やがて問題を解くのが面白くなって

テストの点数もぐんと上がって

「勉強が楽しいってこういうことか」と、初めて実感したのは

数学がきっかけだったと思います。

でも、今となってみればやはり苦手…。

なんというか、あまり縁のなかった教科、という感じがします。

あんなに面白くて、できていた時期もあったのに

数学との関係に関しては「残念だったな…」というところでしょうか。

さて

知人の先生。

この方、中高一貫校の先生で

ついこの3月まで、高校三年生の担任として受験の修羅場を戦い抜き

感動の卒業式を終えられ、ほんののしばしの「戦士の休息」を経て

今度は小学校からきたばかりの

「ひよこ」くんたちの担任として四月をお迎えになったところです。

「高校三年生と中学一年生、違うでしょう~」

とわたし。

「小さいです(笑)」

「ですよね~」

えっ、こんなことから説明しないといけないの?

という新鮮な発見の日々にいらっしゃるようです。

「言葉の使い方ひとつとっても、『これでいいのかな?』『これで伝わるのかな』と考えます。

歌のお兄さんになったつもりで接してますよ~」

こういう学校の先生方は、表現力に関しても更に磨かれる場面が多いのだなと

その幅広い対応力に敬意を表します。

さてそして

初めての授業の時間。

内容は「正負の数」。

(この方の専門は数学です)

「まずは、算数から数学に名前が変わったね~、というところから入ります」

どうしてだろう?どんなところが違うんだろう、という問いかけで、興味を掘り起こすところからはいるのですね。

そして、本編。

「小学校の時に、みなさん、いろんな数をならってきましたね。整数、分数、少数…」

はい、そうです。先生。

(完全にわたしも中一目線になっています)

「そして、今日から学ぶのは『正負の数』です」

黒板に、数字の線を描く。

「こんなの、みんな、どっかで見たこと、ない?」

「ありま~す。温度計です!」

(と、生徒さん、元気に答えたそう)

それからずっと、そういうお話が続きます。

ご本人曰はく「ここは数学的には本来あんまりひろげなくてもいいところなんですけれどね」。

海抜0を起点に山は高くそびえ、海溝は下へ降りている。

陸上競技の「追い風(+)」と「向かい風(-)」。

ゴルフ。

などなど…

これを

図や絵を使って、ひとつひとつ、子どもたちと丁寧に「イメージ」していく。

「プラスの風っていうことは、風はどちらから吹いているの?」

「こっち~!」(一斉に)

「そうだね~」

(走っている人の絵の後方に、雲がふうっと息を吹いている【北風と太陽の北風みたいな?】絵を貼る)

「マイナスの風ってことは?」

「逆です~」

「そうだね~」

(雲の絵【リバーシブル仕様】を走者の絵の前方に張り替える)

楽しい。

聞いているだけでも楽しい。

正と負の数の概念がとてもわかりやすいのもそうなんですが

何より、今自分の中に起きているこの熱い「モチベーションの高まり」は、そう。

「この先に、どんな世界が広がっているか?」

が一瞬見えた、そんな感じでしょうか。

正負の数からはじまるこの

「数学」の世界。

今から自分が学んでいく、この不思議な、難解な世界の向こうに

それがちゃんとちりばめられ、息づいている世界がある。

生活のあらゆる場面で息づいている。使われている。

自分が学ぶことは、ちゃんとこれから自分が生きていく大きな世界と「つながっている」。

う~ん、うまく言葉になりませんが。

「数学」に関して

純粋な興味と、「わたしもその世界を知りたい」「探究したい」というモチベーションを

初めて感じました。

中学の時に感じたあの昂揚感は

「受験に落ちる」という怖さと、後半は「問題を解く」ことへのゲーム的な楽しさでした。

あれはあれで楽しかったですが。

「先を見せるって…大事ですね」

とわたし。

自分に言い聞かせるような声だったと思います。多分。

それをすることの先に何があるのか?

何とつながっているのか?

それが見えているとき、人はずっと軽やかに、意欲的に、たくましく、そして何よりはやい速度で

目の前の目標をクリアできる。

「メタアウトカム」が見えていることは大事。

(アウトカム=手に入れたいもの  メタ=~を超えて)

わたしの仕事の世界ではしごく当たり前の概念ですが

こうやって授業のお話を聞きながら、あらためて

この丁寧な「最初の1時間」こそが

彼らの中にどんな根をおろし、どんな土台となって、彼らの学習のモチベーションを支えていくのか

とても楽しみになってきたのでした。

ある子にとっては、下手すると一生を左右するような時間になりえる。

どんなふうにそれと「出会わせて」あげるのか。

…先生とは、何とも責任重大な、そしてなんとも心躍るお仕事です。

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「レディネス」

先日は月一回の就職サポートのコミュニケーション講座で

若い人たちと一日過ごしていました。

終わってから

キャリアカウンセラーさんといつものように雑談をしていたのですが

その方が

「教員時代によく使っていた『レディネス』という言葉をつくづく思いだします」

とおっしゃったのが印象的でした。

(この方も、私と同じく、以前教員をやっていらっしゃったのです)

その日も、満杯、若者6人のカウンセリングを終えられたその方は

お茶を片手にふ~っと息を吐くと

しみじみと。

どんなにこちらが頑張っても

それが本人に伝わり、染みこみ、何らかの作用を起こすには「時期」がある、と。

「今は、とっても楽になったんですよ。カウンセリングをしながら

『時期は来る』と思うことができる。焦らないで待つことができる」

そういえば

知人のコーチ。

今、あるところで連続の講座を担当しています。

年代、背景ともに違う、多彩なメンバーでの講座ということで

さまざまな工夫をこらして講座を創っていらっしゃる様子が

以前から伝わってきていました。

そして

今日、その方からのメール。

「じわじわとボディブローが効いてきているみたいです^^」(ご参加の方々のことです)

思わず笑ってしまいました。

この方独特のユーモアたっぷりの表現です。

早速に返事を返しながら

コーチングですとか、そのほかもろもろ…つまり

変容、成長を意図して人とかかわるということは、(特に子どもに)

まさにそういうのもかもしれないなあと思いました。

その子の3年先、5年先、10年先に「ボディブロー」が

じわじわと効いてくる…。そのくらい、遠大な計画でもって、遠くを見据えつつ、いまのかかわりをただ続ける。

たとえ、今は伝わらなくても、それでも、その日へ向かって私たち大人は

黙々と種を蒔き、水をやり続ける。

芽が出て、花を咲かせるその日のために。

「天が下のすべての事には季節があり

すべてのわざには時がある」

という聖書の一節がふとよみがえってきたことでした。

「スリープしている子どもの体」

昨年末から
専門学校でコミュニケーションの授業をしています。

総勢90名の男性?男子?どう呼べばいい年齢なんでしょう。
(女性も数人いるんですけど)
ちょうど18~20歳くらいのエネルギーの渦は色々な意味で面白いものがあります。

まず初日に思ったのは
「反応が、ない」ということ。
わかってるんだかわかってないんだかわからない。
表情筋が動く子が非常に少ない。
目の奥まで覗き込んでも、応答の「きざし」が見えない。
ひと集団のかたまったエネルギー(停滞のエネルギー)というのは
これはこれですごいものがあります。

逆に
そのエネルギーが「動き出した」ときの
心地よさには格別のものがあります。
たとえ、体は静止していても、らんらんと目を見開き
食いついてくる100の視線とそのエネルギーは
それだけで教室の温度を上げるのに十分なのです。

ですから
コチラの仕事は、その状態にもっていくこと。
こちらも、それなりのスタンスや軸や、エネルギーが必要になってきます。
まず、眠ったからだと心を動かさなければ
伝えたいことも何も、彼らの中には染みこまないわけで

その一手間は
大人の方々への研修とすると
少し質の違う、大きなエネルギーを必要としました。

先日、このことについて
ある方がこういうことをおっしゃいました。

「なんというか…スリープ状態になっちゃうんですよね」

この方は
ご自分が若者にまじって大学生をしていらっしゃるという方で
日々「学生」の立場で授業に参加しているという体験をしているところの方なのです。

「なんだか、『もういいや』というふうになってしまう
反応できなくなってしまう」

体も心もスリープ状態。
これは、まさにわたしが初日に、90名の若者たちから感じたことでした。
わたしの語りかける声もきっと、遠くどこか水の底で聞いているような。
わからないのでもないし、もちろん悪気があるわけでもない。
ただ、体が(そして、そことつながっているところの)心が「寝ている」感じ。
最小限のエネルギーだけを使って動いている。
だから、応答するのにとても時間がかかるのです。

周囲で起こる出来事も
同じ部屋の中で誰かが困っていることも
自分のすぐ後ろで何か物が落ちる音も
関係ないわけじゃないけれど
なんとなく、反応するのがかったるい。応答するのがかったるい。

これは、一体何なんだろうなあ、と
2回目の授業で、見事変容した彼らを見ながら思いました。
人って、いつからこうなるんだろう?
どうしてこうなるんだろう?
(スリープ状態に、ということです)

そんなことの答えはもちろんわからないんですが
彼らが「眠り」のその中で
実は
目覚め、走り、叫び、触発され、表現したがっていること
そのきっかけを待っていることだけは
はっきりとわかったのでした。

「数学の神様」

クライアントさんに

数学の先生をしていらっしゃる方がいます。

わたしは、数学がめっぽう苦手だというセルフイメージを持って今に至ってしまったので

この方とお話をするときには

いろいろな意味で楽しいのです。

数学をこよなく愛し

幼い時から親しみ、なおかつそれを仕事にしている方の

ものの考え方の方法はどんなものだろう

と、自分との差異をふくめ、とても触発されることが多いのです。

補習で問題を解いている生徒さんが

とても「いい表情」をするのだそうです。

問題にあたっているときの表情は、無防備。

ただ集中している。

そして、解けた瞬間、とてもいい表情をする。

心の底から喜びが湧き上がる、そんな顔を、どの生徒さんもするのだそうです。

幼い子どもが

花や、虫や…そんなものを、ただじっと、見つめていることがあります。

世界に、そのものと自分しか存在しないかのような

そんな集中。

ヘンな自意識みたいなものは何もない、ただ無心な表情。

自分にもそんな瞬間があったなあと、かすかな記憶はあるのですが

今、その境地になれといわれてもなかなか。

生徒さんは

数学の問題をとおして、その世界に行っているのだなあとそんなことを思いました。

その方との数学のお話は続きます。

「数学のどんなところが好きなんですか?」と月並みな質問をしてみました。

「数学を学ぶ意味とか…実は、あんまりそういうことは考えたことがないんです。

問題を解く、その感覚がとにかく好きです」

これは…これぞ、真の「好き」な人の言葉かもしれないです。

「問題を解いていて、数学の神様が降りてくることがあります」

と、その方もおっしゃいます。

難しい問題をほおっておくと

夢の中などで、解法が出てきたりするのだそう。

発明家の話で、よくそういうことを聞きますが、本当にあるんですね。

はあ~。一度でいいから出会ってみたかった。数学の神様。

お話を聞きながら

この方の自己表現の方法の一つとして「数学」があるのだなあ、ということや

何かをつきつめ、そのことに一心不乱に取り組む

その「体験」を通じて

人は自分の「スタイル」を

世の中と対峙し、かかわりあっていくための「たくさんのリソース」を

思考方法や、困難を乗り越えるときの方法や…そんな宝を

手に入れるのだと感じたことでした。

そして、それはなんでもかまわない。

スポーツであったり、この方のように「数学」であったり。

ただ、若いうちにその「何かに夢中になって、自分の限界を超えようとぎりぎりまで頑張った」体験を

しておくことが、とても大切なのだなあと。

今、この方を通じて

たくさんの生徒さんたちが

数学という世界の魅力を体験し、無心にその世界を旅する体験をしています。

それは、この方でなければできないことです。

本当に数学が大好きで、そのことに寝る間も惜しんで時間を使い

夜のしじまに「数学の神様」とダンスを踊った、その感動を身体で知っているこの方だからこそ

それを生徒さんに伝えることができるのだろうな、と思います。

「数学は、異世界への入り口です」

そう、静かに、そして昂揚感に満ちた口調でおっしゃるこの方の声を聴きつつ

子どもに私たち大人が本当に伝えないといけないことはきっと

こんなことなんだろうな、と思ったことでした。

「てんがらもん」その後

 

 

 

 

 

 

 

一昨日書いた「てんがらもん」という言葉の話↓

 

https://ameblo.jp/businesskouko/entry-10678745559.html

 

 

 

これに、メールをいただきました。

その方の了解を得てご紹介します。

 

 

 

 

「さて

 

 

てんがらもん。

 

もうかなり昔、

奄美のほうの正月や盆や親戚が集まる席で、

障害のある子どもは家の一番上座に座布団を高々と敷き

皆で囲んだという話を読んだことがあります。

 

 

『親戚の難儀やつらいことを

その子が背負って生まれてきてくれたのだから

親戚皆でその子を大事に家の中心において

もてなし感謝する』

 

 

という話でした。

 

 

確か新聞の古い記事だったと思います。

温かい気持ちになり、感動しました」

 

 

 

 

 

 

てんがらもん~天授者

 

 

 

 

 

 

 

この言葉の意味を知って以来

 

自分の中をいろいろな思いがめぐっています。

 

 

 

自分の中のあれこれ。

 

 

自分の中のさまざまな部分もすべて「天からのもの」なのだろうなあ、ですとか。

(今、少しマイナスに感じているような部分もすべて)

 

 

なんだか、自分の中の「てんがらもん」な部分が

とてもいとおしく、そして、そこにこそ大きなパワーが潜んでいる感じが

今、しています。

 

 

 

 

そこにこそ、わたしがわたしである理由がある。

そんな気がしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「天からの者~てんがらもん」

 

 

 

 

 

 

セミナーに行った先のキャリアカウンセラーさんと

発達障害の話になりました。

 

 

 

彼女とはもう4年来のお付き合いで、

1日が終わった後の心地よい脱力感の中

いつもいろいろと熱く語り合うのが恒例となっています。

 

 

 

 

 

彼女のところのセミナーをやっていて、

いつもこの「発達障害」のことについては話題に上るのです。

 

若年者の就職支援のためのセミナーなんですが

「もっと早く、なんらかの働きかけがあったら」と

痛感せずにはいられない若者たちと、

出会うこともあるのです。

 

 

 

 

これまで、

延べ1000以上の人の若者たちのカウンセリングを

日々行ってきた彼女にとっては

その思いはもっと大きいようです。

 

 

 

 

長いこと、

「人と同じでない」「人と同じことが出来ない」子どもとして

さまざまな場面で「思い知らされて」成長し、大人となった若者たちは、

 

彼女の前に現れたとき、

いちように相当傷つき、自己肯定感を低くして

やってくるのだそう。

 

 

 

 

 

聞いていてふと思いつき。

 

 

 

 

「話は変わるんですけどね」

ふと、最近見た「歴史秘話ヒストリア」の話を彼女にしたくなり。

 

 

 

 

内容はといいますと、

江戸は文政年間。

 

 

狸を愛してやまず、家の中でたくさんの狸と住んでいた人がいた。

(長屋なので、なんて近所迷惑な)

 

 

ところが、

火事で狸を全部うしなってしまう。

その落胆はもう一通りではない。

 

すると、周りの住人たちが、

お金を出し合って新しい狸をプレゼントした。

(周囲もどうみても、裕福な暮らしではないだろうに)

 

 

 

 

家の中で、畳の上でたくさんの狸と住んでいる隣人なんて、

今だったらお役所に「なんとかしてください!」と

訴えが行きそうな感じですが、

 

 

一風変わったそういう人たちを、

 

「変わってるなあ」

「しようがないなあ」

 

と思いながらも

受け入れ、包み込み、助けながらいっしょに生きている

その時代の雰囲気がとても心にほっとするものとして伝わって来。

 

 

 

 

「昔の日本は幅があったといいますか、

『ちょっと違う』ことを

おおらかに受け入れる土壌があったんですねえ」

 

 

とわたし。

 

 

 

 

すると

その話を聞いていた彼女がいきなり

「公子さん、『てんがらもん』って知ってます?」

 

 

 

 

てんがらもんって、あれですよね。

昔はよくその言葉を聞きましたね。

鹿児島の方言なんですよね。

 

「あいは、てんがらもんじゃっで(あいつは、てんがらもんだから)」

 

というふうに使いますよね。

意味は「元気もの、乱暴もの、破天荒なもの」という感じでしたっけ。

 

 

 

 

すると、

「こんなサイトを見つけたんですよ」

 

 

 

と、彼女が見せてくれたのは

「鹿児島発達障障害児親の会」

というサイトでした。

 

そのサイトの名称が「てんがらもん」というのです。

そのサイトにあったこの一言に

思わず目が引き寄せられ、動けなくなりました。

 

 

 

 

「てんがらもんとは『天授者』

 

 

鹿児島では、活発な子ども、目をひく子どものことを

『てんがらもん』といいます。

 

 

 

発達障害という言葉もなかったずっと昔、

 

郷里の先人は、この変わった子どものことを

『天からの者~てんがらもん』と名づけました。

 

天からの子どもですので、おろそかに扱うことは出来ません。

親も地域も無意識のうちに支援や配慮をして

『てんがらもん』を見守り育ててきました(後略)」

 

(てんがらもんさんのサイトより抜粋)

 

 

 

 

 

 

天からの者~てんがらもん

 

 

 

 

なんと、なんと美しい言葉なのでしょう。

なんと美しい響きなのでしょう。

 

 

 

 

 

 

この美しい言葉で

異能を発揮する、

(ゆえにあるときは、変わった、扱いにくいとされる)

子どもたちを表現した薩摩の先人たちに感動すると同時に、

 

その子どもたちの「本質」を

こんなにも適切に知っていた先人たちに

畏怖の念さえ覚えたのでした。

 

 

 

 

 

 

これは何なのだ?

この最高の感度のセンサーは。

 

 

 

そして、

「てんがらもん」という言葉を生み出した人たちのDNAを

文化文政の江戸の人たちと同じ日本人としてのDNAを

わたしたちも持っているはずなのです。

 

 

 

 

 

「天からの者」

 

 

 

 

この言葉、何度見ても

身体の奥がしめつけられるような

祈りたくなるような切ない感動をもって

私の胸に迫ってくるのでした。

 

 

 

 

(「鹿児島発達障害児親の会」サイトhttp://www2.synapse.ne.jp/tengaramon/

 

< p target=”_blank”> 

 

 

 

 

※続きの記事

 

「てんがらもん。その後」

https://ameblo.jp/businesskouko/entry-10680296917.html

 

 

 

 

 

「象の目方をどうやって量るか」

昨日は鹿児島の薩摩川内市にあります

「ポリテクカレッジ川内」さまに

打ち合わせのために伺っていました。

ここは、19歳~20歳の若い方々が

「基礎的な科学知識とコンピュータを中心とした高度な専門技術に対する理解力と

適応性を併せ持つ、テクニシャン・エンジニア(実践技術者)」

となるべく日々研鑽を積んでいらっしゃる学校です。

さて

おおよそこれまでのわたし自身の人生とは無縁こういった世界。

とても面白く、興味深い事柄でいっぱいでした。

まず、見学したのは英語の授業。

英語の授業をみせていただけると聞いたときから

なんとなく、普通に自分達がこれまで学んできたような英語の授業を想像していたのです。

「基礎英語」みたいな、なんといいますか、普通に文法や会話を学ぶといった感じの。

教室におじゃますると

ちょうど、数人の学生さんが前に立ち、スクリーンに写った映像の説明をしているところでした。

何をしているところかを。

それは、数枚の絵からなっているストーリー。

一枚目は

「象が数人の人につれられて、はかりに乗ろうとしているところ」

続いて

「象が、運河(川?)に浮かんでいるボートに乗せられようとしているところ」

三枚目は

「象がボートに完全に乗り、ボートの側面に水面の高さの印をつけてるところ」

おおっ、懐かしい!

この話のオチはわたしでもわかるぞ、と思いました。

なぜなら子どものころ、これと同じネタ(はかりに乗らないくらい重いものの目方をどうやって量るか)を

「一休さん(アニメ)」でやっていたのを思い出したからです。

絵は、さらに4枚目、5枚目へと続きます。

象をのせて沈んだしるしのところまで、ボートに石を乗せている絵。

そして、その石を小分けにしてはかりではかっている絵。

さて

「オチを知っているぞ!」と喜んだわたしでしたが

その授業のテーマはそんなことではありませんでした。

その「象をはかる方法(そのプロセス)」を

英語で説明する、というものでした。

す、すごい。

教壇の先生が、どんどんポイントを解説してゆかれます。

そう、普通の英語ではなく、技術者として使う英語の表現を学ぶためものだったのです。

聞きますと、彼らがこれから進んでいく世界は

英語で書かれた解説書(でしたっけ?説明書でしたっけ)を

読む必要のあることもとても多いのだそうです。

学生さんは、電子辞書片手に黙々とメモ…。

(これがテストの課題になっているらしくみなさん本当に集中していらっしゃいました)

詩でもなく、文学でもなく

ここで教材となるのはこういう題材なんだなあと

とても新鮮に感じたことでした。

さて

もうひとつ

ついでに「ロボット」を見せていただいたのです^^

わたしはロボコンが案外すきで

テレビあるときは結構見ているのですが

あの、ロボコンに出てくるようなロボットを、間近で見たのは初めて。

しかも、手に触れて、操作するところもすぐ横で見られるなんて…。

平らにおいてあるCD状の円盤をキャッチし

場所を移動して、後ろにある溝のようなところに縦にたてる、という作業をこのロボットが行います。

ううぃ~~ん、ガシッャン、と音を立てて、

ロボットが直線を描いてすばやく移動し、CDをゲット。

「がっこん」と向きを変えて

そのまま目的地までまた「ううぃ~~ん、ガシッャン」。

アームをまっすぐにたてて「王手!」とばかりの勢いでCDをみぞに立てます。

その動きをじっと見ていると

だんだんロボットが「得意げ」に動いているようなきがするので不思議です。

このロボットをつくるためには

「機械のしくみを考える力」(からくり部分)

「そのしくみを動かすプログラムを作る力」

が必要なのですね。

もちろんそれを形にする手の技術も必要です。

それに、想像力。その他もろもろ。

そのロボットの持ち主の、2人の学生さんにお目にかかったのですが

この頭の中に、そのすべてがあるんだなあ、と思ったら

つくづくすごいなあ・・・と。

なんにせよ、何かに集中し、自分の力で一から形にするという場を体験し

その感じを味わっている若い人の目や雰囲気はステキです。

独特の高揚感や、じれったさや、自分の中から何かがワーッと湧いてくるようなあの感じを

味わったことがあるというのは、一生の宝だと思うからです。

ここは

そういう世界を味わっている若き人たちの場です。

もうすぐはじまる、彼らとの数ヶ月が楽しみです。

「これが生きているってことかなあ~教え子のダンス」

なんとも格好のよくないタイトルですが

教え子のダンスを見に行ってきました。

とてもかっこいいイベントだったので

このタイトルで紹介していると彼女が知ったら嫌がりそうな気もしますが^^…

以前もブログに書きましたが

彼女は、プロのダンサーです。

そして、その彼女からこんなメールが来ました。

「私の踊りの本質というか

大切にしていることが発揮できるなかなかナイ機会なので

観に来ていただけると嬉しいです」

前回会ったとき

まさに彼女はそのことについて、考えているところでした。

「自分が踊りで大切にしていること」について。

これは

観にいかないわけにはいきません。出かけていきました。

中村公子のコーチングna日々♪

「これが、生きてるっていうことなのかなあ」

それが、はじめに感じたこと。

ジャズバンドとのライブセッション。

腹にびんびん伝わってくる生の音の中

コの字に作られた客席の真ん中で踊る彼女達。

とても不思議な感じを受けました。

そうですね…

まるで、どこかの街角にいるようなかんじ。

とってもステキなんです。そして、いい意味で「特別な感じ」がしないのです。

一日が終わって、どこからともなく集まった街の住人が、いつのまにか踊りだしている…

日々の生活の場面から湧き出てくる嬉しさや楽しさや悲しさや

そんな想いがリズムとなって自然と湧き出てくる踊り

なんだか、そんな一場面を観ているようでした。

それは、まさに毎日の生活の中から、そして人生から「湧き出てくる踊り」。

ああ

生きてるなあ、彼女。

今、全身で生きている。

そう思いました。

7人のダンサーさんがいて

みなされぞれ特徴のある踊りをします。(本当に、内面が出るんでしょうね)

その中で、わたしの教え子の踊りは

喩えていうなら(わたしの勝手な感じ、ですけれど)

中村公子のコーチングna日々♪

「静」の中に、無限の「動(広がり)」を感じる踊り、です。

体の表面は止まっているのですけれど

その奥の奥、体の芯からリズムが律動となって

わあ~っと溢れ出てくるのが見えるのです。感じるのです。

押えた動きの中

例えば、肩をほんの少し動かすだけなのに

何かが伝わってきます。

「どくっ、どくっ、どくっ」

脈打つ波。鼓動。

瞬間、会場の空気がざわっと動く。

一瞬、つい「能」を連想してしまいます。

立っているだけなのに、そこにいるだけなのに、会場の隅々までに「影響をもらたす」彼女。

ある空気をまとってたっている彼女。

「場にいかに影響を与えるか」

仕事柄、人様にもその方法をお伝えしなければならないため

常日頃考えていることなのですが

彼女の踊りを見て、また一つ、腑に落ちた気がしました。

まとめて言ってしまえば

「今、その瞬間に生きている」こと。

五感のすべて

細胞の一つ一つまでが、その瞬間にいて、音を聞いて、感じて、自分が伝えたい世界に

100%いる

そして

その瞬間を全身で楽しんでいる

音にあわせて体が動くことの、ただその幸せを味わっている

(よくみせよう、成功しようなんて意識は完全にどこか山の遠くへふっとんでいて)

「伝える」とは

「伝わる」とは

どういうことか

彼女からわたしが感じたのは、そういうことでした。

こういう状態に

誰でもなることができたらきっとステキでしょうね。

あんなに人生を

生きることを楽しんでいる人がこの地上にもっとたくさん出現するなんて

きっと、本当にステキです…

「この瞬間のために生きてきた」

昨日は、わたしの「ツォルキンバースデー」でした。

それは何か?詳しく説明するのはちょっと難しいのですが^^

知人にマヤのコズミック・ダイアリーの講師がおり

その方の影響でたまにダイアリーを見るのですが

マヤの暦によると、260日にいっぺん、誕生日がめぐってきます。

そして、その生まれた日には、「意味」(役割?名前?)がついています。

(この説明も、あまり正確ではないと思いますが…)

わたしは「白い水晶の世界の橋渡し」という日に生まれました。

以下、「柳瀬 宏秀さん」(マヤ暦の大家?)から届いたメール添付。

「ハッピー ツオルキン バースデー!!

ツオルキン・バースデーの日は、
銀河の署名を確認する日でもあります。

ツオルキン・バースデーを
祝うことで、ひとりひとりの中で、ツオルキンが、
刻まれます。

『KIN 246 白い水晶の世界の橋渡し

協力 捧げる 普遍化する
cooperation dedicate universalize
機会 死 等しくする
opportunity death equalizes』

KIN246

私は 等しくするために 捧げる
機会を 普遍化しながら
私は 協力という 水晶の音とともに
死の蓄積を 確信する
私は 果てしなさ(無限)の力に 導かれる

おめでとう
これから、260日の周期を、ツオルキンの周期として、
感じ始めてください。

(中略)

KINのエネルギーを語り、伝えてください。
そのKINのエネルギーを宇宙に満たし、
自分とまわりの人を、その摂理で包み、
自分と地球、そして、宇宙とが、水晶の結晶状態のような協力関係を、
生み出すために語り、伝えてください。」

そんな、260日に一度の日の昨日は

いつものようにコーチングセッションをし

その方のすばらしい、夢の実現の世界へと、ともに参加させていただき

(NLPのワークをすると、本当に一緒に体験してしまいます)

そして、午後は2人の人に会っていました。

2人とも、若い女性です。

うち、お一人は昔の教え子。(私が中学校教員時代の)

彼女はプロのダンサーで、見るからに、それはただものでない感じをはなっています。

すらりと伸びた肢体。

ほっそりとした体でゆったりと、何の力も入れずに

すんなりと地面に立っている姿。

重心がとても低いところにあって、しっかりと地に足が着いているので、上半身には力がいらず

とても自由で優雅な体の動きになるのですね。

しなやかな鋼(はがね)。

鍛え上げると、こんなにステキな体の使い方になるんだなあ~と

(わたしはただでさえ美しいものを見るのが好きですので!)

もう、彼女を見ているだけで、見ほれるようなニコニコ顔になってしまうのでした。

彼女が歩くだけで、周囲の風がふわりと動く、そんな感じなのです。

さて

そんな彼女とはじめは世間話をしていたのですが

そのうち仕事の話になり

彼女がダンサーらしく「体感覚」バリバリ優位の、ゆっくりとしたテンポで

「感じ」をゆっくりと言葉に出します。

「センセイは…どうしてますか…?」

きらきらした彼女のマゼンタのつめがふうわり動いて、カップを握ります。

何を??

「センセイ…仕事とぷらいべーとの区別、ありますか・・・?」

ないなあ^^と即答のわたし。

彼女が口にしたのは、そうですね・・・大きく言えば

「自分が仕事で(=生きる上で)大切にしたいこと。譲れないこと、自分の表現したいこと」と

現実をどう織り交ぜつつやっていくか、自分の意識をどう作っていくか、というようなことでしょうか。

わたしは、自分の今のあり方、考え方、やっていることを

お伝えしました。

「わたしは…ぜんぶを融合できる道を自分で作っている最中だよ」

というようなことを、でしょうか。

彼女は下を向いて静かに聴きいってましたが

やがてすうっと視線を前に動かし、遠くを見ながらうんうん、と一人小さくうなずいて

それからクスッと笑ってこちらを向きました。

「センセイ、ありがとうございました…。元気が出ました。勇気が出ました」

どこが、何が彼女の中にHITしたのかはわかりませんが

それまでの「もんもん感」とすると

驚くほどストンと、スッキリした彼女の感じは伝わってきました。

そして、彼女はこんなようなことを言いました。

「センセイ…こうやって、私たちの先を走ってくださっていて…ありがとうございます

センセイが走ってくれてるから…勇気が出る」

ああ、そうだ…

わたしは、この瞬間のためにがんばってきたのだ。

そう、思いました。

子どもはやがて巣立っていく。

大きくなっていく。そして、広い世界に出て、現実と対面し、もまれ…様々な体験をして

飛躍的に大きくなっていく。

そのときに

わたしはやっぱり、

「先に」いたかったのだ。彼らの役に立ちたかったのだ。

「先」って、ちょっと変な表現ですね。

共に、でしょうか。共に、走り続けていたかった。

うまくいえないのですが。

ただ

「このためにやってきたんだ」と

そう感じた、のです。

大きく美しく蝶のように成長した彼女。

全身で自分を表現して生きている彼女。

道なき道を自分で作るという生き方を選択した彼女。

その彼女にとって

私が今でも「触発」できる存在でい続けることができたのなら

わたしは、本当に、これまでの時間が意味のあるものだったのだと

そう思ったのでした。

がんばってきて、よかった。

ただただ

そう思ったのでした。

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