「パンツァー・フォー!(戦車よ、前へ!)」

 

子どものころから
「チームのお話」が好きでした。
古くは十五少年漂流記ですとか^^。
最近面白かったのはこれ。
 

「ガールズ&パンツァー」

(アニメ公式サイトはこちら)

 

「パンツァー」は「戦車」。

「華道」「茶道」「書道」「香道」などなど…と並んで「戦車道」なるものが

女性の嗜みとして、「伝統武道」になっている…という世界のお話です。

学校では「戦車道」の授業があり、「戦車道全国大会」なんてものまである。

 

主人公は

伝統と格式の「戦車道」家元の娘、みほ。

内気で引っ込み思案な性格の彼女。

戦車と、戦車乗りの家から離れ
「普通の女子高生」になりたくて

戦車道の授業のない「茨城県立大洗女子学園」にわざわざ転校してきます。

が!

学園存続の危機に瀕した大洗女子学園。

起死回生を狙って

「戦車道」の復活と、全国大会制覇を決めてしまうのです。
(余談ですけど、大洗の街がリアルに出てきて、それを見るのも楽しいのです)

 

さて

発足したばかりの超弱小「戦車道」チーム。

そして、家元の娘ということで、チームを率いる「隊長」にさせられてしまうみほ。

みほの運命はいかに!?

大洗女子学園戦車道チームは勝ち上がっていけるのか!?

 

 

 

登場人物中、もっとも「普通」で、どこにでもいそうな
「悩めるキャラ」が主人公なのは

やはり、見ている若い人たちが感情移入しやすいからなんでしょうか。

 

自分が見つからない。

自分に自信が持てない。

そんな彼女が「自分の戦車道(笑)」を見つけていくまでの成長物語が

この話の一つの軸になっているのですが

もうひとつ、この物語でとても「魅力的」なのは

主人公以外のキャラクターの
これでもかというくらいの徹底した「我が道を行く」姿。

周りを固める仲間たちは面白いくらいに「自分の世界」を持っている。
持ちすぎている。

 

 

戦車オタクに華道の家元の子。
歴女。
バレー部復活に命を懸ける元バレー部員。
規則第一の風紀委員…

自分の愛する世界を、自分の価値観を
生きる指針を寸分も疑うことなく

そして

誰はばかることなく存分にその世界を楽しみ
享受しているメンバーばかりなのです。

(主人公はぶれぶれなのに^^

そして、一人一人がその個性をいかんなく発揮して

「戦車」という大きな鉄の塊を皆で動かす。

その「生き生き感」はもはや「爽快」ですらあり。

これもまた

このアニメを見る世代の一つの「憧れ」なのかなあ…と思ったりします。

 

「何をしていいかわからない」

「自分が何を好きかわからない」

 

セミナーで出会うそんな若い人たちを現実の世界で見、その声を聞くにつけ

アニメの中の彼女たちの姿に何かを託しているようにも見えるのです。

 

 

 

さて

みほちゃん。

仲間の助けや励ましを受けながらチームを指揮し

なんとか大会を勝ち上がっていきます。

そしてついに、自分が逃げ出してきたところの「戦車道」そのものと対決します。

(姉の率いる強豪校と決勝で対戦するのですね)

この決勝戦が、いや~、もう迫力で。

 

 

「おねえちゃん。わたし、自分の『戦車道』、見つけたよ!」

 

これが、みほちゃんの最後のセリフ。

勝敗は・・・気になる方はどうぞ、ご覧になってみてくださいね。

 

 

 

 

 

「パンツァーは人生!人生はパンツァー!」

 

 

みほが車長をつとめる「あんこうチーム」、Ⅳ号戦車D型の装填手
戦車オタクの優花里がそう歌います。

大洗女子学園が戦車道を復活させたことで
人生初めての「人間の友達」が出来た優花里ちゃん。
(それまでは「友達」=戦車でした)
彼女の「戦車解説」もこのアニメの見どころの一つなんですが。
もう、それは語る語る…^^。

作品中での彼女の魅力はわたしにとってはまた格別で
まさに
「はじめて自分が自分として『生かされる』場所を手に入れた」少女の
輝きが満載!に感じられます。
戦車に触れて、そのエンジンの音を聞いて、油の香りをかいで…
そんな毎日が
幸せで幸せで仕方がない、とういう彼女の表情を見ていると
何だかこちらまで幸せになってくる。

「パンツァー(戦車)は人生!」

そう堂々と、高らかに歌い上げる彼女の

あまりにまっすぐな、リンと張った混じりけのないその響きの声を聞いていると
(アニメのキャラだってのに)

なぜだか少し胸がきゅっとして

鼻の奥がつんとするような気分になるような。

ああ、こんなに純粋に生きられるって
「好きなもの」を「好き」と言って
全身で味わって、喜んで生きるっていいなあ、と思うのです。

おしゃべり最高!
ショッピング最高!
スイーツ最高!
そして…
何より友達と一緒に乗る戦車最高!

な彼女たちの熱い成長物語。
その合言葉は
「パンツァー・フォー!(戦車よ、前へ!)」

ずっと前に、私も仲間たちと確かに味わったことがある。確かにある。
体の奥のほうにある
そんな、とても懐かしい感覚を呼び起こされるような。
わたしにとってそんなアニメ
「ガールズ&パンツァー」でした。

「てふてふが一匹」

先日
3年?4年?ぶりくらいに、ある教え子さんと会いました。

ちなみに、いつも
「教え子」という言葉を書くときに、体の中にぐん、と抵抗が起こるのですよね。
彼ら、彼女らから山ほど「教えられた」ことはありますが
今となっては
自分が「教えた」なんておこがましい、とつくづく思うのです。
でも、他になんと表現していいかわからないので
(もう「生徒」じゃないし)
とりあえず「教え子」で。

彼女が今、オーストラリアに住んでいることは
彼女のブログから知っていました。
久しぶりの彼女は
大きなくるんとした目もつやつやの頬も昔と少しも変わらず。
彼女と初めて会ったのは、彼女が13歳の時なんですが
その時からこの目、この頬でした。

彼女の前に座り
あらためてまじまじと顔を見てみます。

少し、ふっくらとして、表情が柔らかくなったかな…
と思った瞬間
左薬指に指輪を発見。
細いラインの上に、まんべんなくダイヤがちりばめてある
とても繊細なデザインのものです。

「先生、わたし結婚したんです」
と彼女。

気ままな外国暮らしを堪能しているんだな~
くらいに思っていたんですが
彼女は向こうで新しい家族をつくり
旦那さんとともに、しっかりと新しい人生を踏み出していました。
ああ、だから、この表情…と、勝手に納得。

2時間と少しでしたが
たくさん話しました。
それぞれの近況から共通の知人、友人の近況
彼女の海外暮らし&国際結婚から端を発した
言葉の話、国ごとの文化の話、歴史の話…
それから
大きく「人生」の話。

そのすべてがとても楽しく興味深く、そしてなんとも繊細で心地よい。
あれ?これは…。
「教え子」だから楽しいんじゃなくて、この人と話しているのが楽しい。

彼女が15歳の頃だったでしょうか。
わたしはもう教員を辞めていたのですが
彼女が手紙をくれたことがありました。

「先生、わたしの目はまだ、あの頃の目のままでしょうか」

初めて会ったときの、その目のあまりに印象的な。
世界の事象を静かに、言葉もなくじっと見据えているような
まるで「世界の真実」を探ろうとしているかのような
深い湖みたいな目に
そのことを伝えたことがあったのです。
「あなたの目はいい」と。

自分では気づいていないでしょうが
そして、そんな手紙を出したことも忘れてしまっているかもしれませんが
彼女はそのままに大人になった気がしました。
生きる上で大切なものは何か。
どうしたら人を大切にできるのか。
世界と自分はどう関わって行きたいのか。
自分の軸をしっかりと持った、やわらかな魅力的な大人になっていました。
人の痛みを自分のことのように感じられる
優しい大人になっていました。

「てふてふが一匹 韃靼海峡を渡って行った」 

安西冬衛のこの詩を
私自身、卒業に際して恩師からもらったのですが。

あんなに小さかった「てふてふ」は
海を越え、たくさんの旅を重ね
そしてちゃんと「目指すところ」に着いたようです。
もちろん、これからまた幾つもの新しい旅が
待っているのでしょうが。

この季節になると
渡って行ったたくさんの「てふてふ」たちのことを思い出します。

彼らの旅が穏やかで
幸せに満ち溢れたものであるよう
今日も願わずにはおれません。

「ダイ・イン?(笑)」

 

友人宅にて。
高2のお兄ちゃん(手前)と、中3の弟(奥)です。
音ひとつしない静かなリビング…

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一瞬
死んでるのかと思いましたよ(笑)
2人とも、身動き一つしないんですもの。

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まあそんなわけはなく
もちろん何かの抗議活動でもなく^^
熟睡中?だったわけですが。

こんな格好で
よくも何分もいられるものです。

全力で見て、聞いて、感じて、走って、食べて、怒って、笑って…
彼らを見ていて思うのはそういうことです。
何をするのも「全細胞総動員」。
はたから見ていて、その集中力たるや
(親曰く、自分のやりたいことだけだそうですが)
ものすごいものがあります。

木の実を無心にポリポリしている
野生動物(リスなど)かと思うときすらあり(笑)

それだけ毎日「全力で」生きていると
こういう状態になる(なれる)んでしょうね。
(ことっと糸が切れたように
休むのもすごい集中力)

ちょっとうらやましいな、と思います。

「体罰のゆくえ」

「Coaching―コーチング―」という言葉と出会って約10年。

―人の能力をいかに伸ばすか?―

という点についアンテナが立ってしまい
何を見ても
そういう観点で見てしまうのは職業病です。

病院に行っていても
カフェに行っても
居酒屋に行っても
ダンスのレッスンに行っても
パーティーに行っても

人の動きや、スタッフ間のやり取り、体の動き、気配り等々
醸し出されるている場の「空気」「雰囲気」をつくっている
大きな意味での「コミュニケーション」の流れや
「そうなっている」因果関係を見るのはとても得意です。
そしてしょっちゅう
「いいね!」ですとか「…惜しい!」と
心の中でこぶしを小さく振ったりしています。

近くのグラウンドで夕方
少年チームがサッカーの練習をしていることがあるのですが
走りに行ったついでについ、ぼ~っとみてしまいます。
ここのコーチは
まだ若い方なのですが、とても素敵な教え方をなさる。
一言でいうと
「質問型」指導。

「今、ここにボールが来たよね。どう動いたら一番効果的かな?」

いろいろな意見が出る。
中にはわたしが聞いていても「使えないでしょ」という意見も出るけれど
そこには突っ込まないで「おう」と受け取るコーチ。
まずは「自分の考えを声に出す」癖づけをするのが優先なんですね。

「だよね。じゃあ、そう動いてみて」

実際動いてみて、うまくいかないとまた考えを促すコーチ。
そしてアドバイス。
うまくいったところには
「そうそう!その調子!」

ふうん。
今はこんなふうな指導者が、
つまり「指示、命令、叱責型」ではなく
「コーチング型(質問、承認、アドバイス型)」の指導者が
増えてきているんだなあ…
自分がスポーツの指導をされていたころとは
隔世の感があるなあ、いい時代になったなあ、と
その風景を初めて見てしみじみと思ったのは5年ほど前。
こんな地方の小さなサッカーのチームでも
コーチング型の指導者がいるのだから
こういう指導方法が相当普及してきているのだろう、と思ったのでした。

運動はあまり好きではないので
スポーツのことは全く詳しくないのですが

「『言語技術』がサッカーを変える」 田島幸三  
「日本人を強くする」 岡田武史 白石豊   

これらはわたしにもわかりやすく、興味深く読みました。

「『言語技術』がサッカーを変える」

「ベンチをみないイタリアチーム」
かたや
「フリーズする日本選手たち」
という対照的な話から始まるこの本は
当時日本サッカーの弱さであった「自己決定力」
(究極の状況で一人一人が自ら考えて決定を下す力)

を育成するために、まずはコーチ陣が「言語技術」を伸ばすための
トレーニングを受ける、という内容です。
「考えながらサッカーをする選手」を育てるために
コーチ陣が「考えさせる指導」ができるめの言語技術や概念を学ぶ
その視点や方法はとても参考になるところも多く

「ここは軍隊ではない。わたしは命令などしない」

というオシム監督の言葉とともに
当時、研修先でも視点の一例として
お話させていただいたりしたこともありました。

さて
それからさらに数年がたち
「体罰」という言葉が大きくクローズアップされている今。
今朝なにげなくテレビで紹介されていたアンケート結果を見て驚いたのですが
そのアンケートに答えた選手の8割が「体罰容認」。

(プロ野球選手と東京六大学の選手、約550名からのアンケート結果。
 体罰を「指導者から受けた」中学、高校でそれぞれ5割弱。
「体罰は必要」「ときとして必要」との回答が83%。桑田さんの調査結果でしたか)

とにかく
単純に驚いてしまったのです。

…ぜんぜん、変わってない??

「できない」ときに、怒鳴ったり
ときには殴ったり蹴ったり…という指導(?)が
今も継続しているとは、しかも、結構な数でそれが今も「普通」なのだということに
ほんとうに、とてもとても驚いてしまったのでした。

「コーチ(COACH)」の語源は『馬車』
「その人を、望むところまで連れて行く人」。

コーチとは
目の前の大切な人が、望むところへスムーズに行けるようにサポートする人のこと。
そのための「方法」を数多く持たなければならない、と思います。
指導のためのスキルの「引出し」。
決して、たった一つの「かつてうまくいったやりかた」だけでなく。
「自分がやってもらってうまくいったやり方」の他に。
すべての患者さんに、同じ方法で治療をするお医者さんはいません。
自分に効いた薬をすべての患者さんに処方する人も。

指示も命令も、そしてもちろんときには叱責も必要。
そして?それ以外には??
あなたのコーチとしての「技」は?
「スキル」は何ですか?

その柔軟性がどこまで持てるか。
それは、究極、自分自身のプライドや心理的な「ホメオスタシス」と
どこまで向き合えるか、ということでもあると思うのですが。

そのあたりは
すべてのリーダーに共通の点である気がします。

「光と水と」

よくいくカフェの店員さんとはすっかり仲良しです。
先ほど、成人式の写真を見せてもらいました。
昨年末から

「今年は成人式なんです」
「わあ~、おめでとう。写真を見せてくださいね」

といった会話をしていたのでした。

「写真、見せて!」
の声かけに
それはそれは嬉しそう~に
スマートフォンを取り出して、見せてくれたのは
赤と黒が大胆に模様を描く上に
牡丹がぱあっと咲いている
それは個性的で、すてきな振袖の彼女。
落ち着いていて華やか。
古典的なのに、とてもモダンな感じ。

「これ、母の振袖なんです」

それはすごい。
これを当時選んだお母様もすてき。
お母様の振袖を大切に、受け継いで着ている彼女もすてきです。

全身が写ったの見たいな!?
後ろからの写真は!?

などなど…矢継ぎ早な私のリクエストに応えて
画面を動かしながら
彼女は言います。

「もう、本当に本当に楽しかったんです!
みんなからかわいいねっ♪て言われて
ちやほやされて!
あ、これ、家の庭で撮ったんですよ!」

そう語るその表情は
そうですね…まるで太陽をいっぱいに浴びた
タンポポの花が咲いたような
あたたかくて染み入るようなかわいらしい笑顔。
こちらまでなんだかあったかくなってくる。

全身でその「感じ」を受け取りながら
ああ、こういうのいいな、と思いました。

あふれるくらいちやほやされて
褒められて
「お前が世界で一番かわいいよ」
って言われて…。
そういうの、いいな~。
それを、満面の笑顔で『嬉しかった!』と言える。
そのこともなんとすてきな。

花が美しく、たくましく育つには
絶対必要です。そういうものが。
溢れんばかりの光と水と。
そしてそれらが、無条件に与えられたという体験。
なんの理屈も交換条件もなく
何もしなくても、何もできなくても。
ただ、自分が自分であって、ここにいる。
そのこと自体に無条件に与えられる「承認」。
(成果承認に対して「存在承認」なんて言い方をしますね
コミュニケーションの世界では)

それらは
この世界への絶対の信頼。生きて行く上での安心感をつくります。
人が生きて行く上での根幹をなす土台です。

以前から感じていた
彼女の
年に似合わぬ安定感。
まっすぐにゆきたい先を見つめる目。
どっしりと構えた存在感の理由がわかった気がしました。
溢れんばかりの光をを一身に浴びてすくすくと育ってきたのでしょう。
お母様の振袖の件からもなんとなくわかる。

あ~、この人はちゃんと一番大切なところとつながっている。
これは絶対にゆるがない。
これから何があっても、自分を信じて
世の中の光を信じて歩いてゆけるんだろうな。
そう思いました。

彼女はこれからの人生で
今度は他者に対して
惜しみなくあふれさせることのできる人になるのでしょうね。
光と水を。

漂う若者。
迷う若者。
仕事でたくさん出会います。
迷うのはいいんですが
自分の中に、何の「つながり」も「いつでも立ち戻れる根っこ」
がない状態で迷うのは本当にツラいだろうなと思います。

親が、大人が子どもにあげられる
(その手に持たせなくてはならない…いえ、体に刻んであげないといけない)
一番大切なものは何なのか。
それをしっかりとあげられる大人でいたい。

彼女のたんぽぽ笑顔を見ながら
そう思いました。

「世界との蜜月」

11月の末なんですが
知人が先生をしているダンススタジオの発表会を見に行きました。
「発表会」といっても
大きなホールで大々的なもので

「すごい~♪」

ときょろきょろ周りを見回しながら。
ロビーにあふれる
花と金銀のバルーンと渦巻くリボンの洪水の華やかな雰囲気に
ドキドキします。

知人はそこでボーカルの先生をしており
でも、踊りも踊るし、教えるし、振り付けもする、ということを
受付でもらったパンフレットで初めて知り。
知らない彼女の顔をはじめて垣間見て
ますますドキドキした気分になります。

さて
彼女の踊りや振り付けにもそれはそれは感動したのですが
今日はそこではなく
もうひとつの「感動」について。

プログラムの中に
小さい女の子たちの踊りがあったのです。
それはそれは、小さい。
あの~、オムツ、とれてます??というくらいに、小さい。

まだポーズも決まらないし
形もリズムもぐちゃぐちゃ
まあ、はっきり言って「踊り」にはなっていない。
けれど、場内を一番沸かせるというよくあるパターン。

でも
本人たちは
「最高にセクシーに!」
「最高にキュートに!」
この世で一番かわいいのは、うまいのは、きれいなのはアタシ!という勢いで踊っており
それがとってもかわいらしい。
どの子も
全身ではじけんばかりに
踊ることを、演じることをただ楽しんでいる。
ふと…

涙が勝手にぽろぽろと出ている自分に気づきました。
あら…これは、何?

体の中に沸き起こった熱い塊から声がします。
自分にも、こんな頃があったはずだ。
そして、誰にでも。
周りから見てどうとか
人と比べてどうとか
そんなものがいっさいない世界にまだ住んでいた頃が。
覚えている。覚えている。

幸せな、世界との蜜月のとき。

そして、声はこう続きます。
「今、そう生きて何が悪い?」

それは確かにわたしの声なのですが、同時にたくさんの人の声でもあるような気がしました。
自分の体験をこえた
まるでどこか深いところから湧き上がってくるかのような。

人は、生まれた楽園から一度追われ、そして
たくさんの長い旅を経て、今度は自らの力で見つけた新しい楽園へ
「戻る」ということを生涯かけてやるのでしょうか。

前日
ちょっとした「迷い」を話していたクライアントさんに
その場でメールを入れました。
「あなたはあなたのままで!」

言葉と、言葉以外の、この瞬間の熱い何かが伝わることを願いつつ。

「宇宙戦艦ヤマトに思う大人の本気」

今朝テレビをつけていたら
心ふるえる懐かしすぎるフレーズが流れてきまして。

「さらば~地球よ~たびだ~つふねは~」

宇宙戦艦ヤマトです。
子どもの頃好きで、がっつりとみていたのでした。
秋口の夕暮れ
再放送に間に合うようにとランドセルから中身が飛び出さんばかりの勢いで
走って帰ってましたっけ。

「え~、なになに!?」と
ついテレビの前に寄って行って、座り込んでしまいました。

ヤマトを作曲した故、宮川泰さんの息子の宮川彬良(あきら)さんが
お父さんの曲を語る、という趣向の番組だったんですが
その曲のどこがすごい、ですとか
どういう構成でなりたっている、という解説とともに
いくつかの劇中曲(というんでしょうかね)が演奏されまして、それが…
なんとも恐ろしいくらい、自分の体の中にはいっているのです。
自分でもぎょっとしました。
テーマ曲の基本のメロディをもとに
さまざまななアレンジで場面ごとに曲が作ってあるわけですが。
その曲が使われた場面までが、はっきりしっかりと浮かぶ。

オレンジ色のまがまがしいくらいの重暗い夕日をバックに
くっきりとそのシルエットを浮かび上がらせるヤマトの印象的な絵。
そのときに感じたあの
「重暗い」感じまでしっかりと思い出してしまい。

ブラックタイガーの曲を聴いたときには
あまりの懐かしさに
「ぎゃっ…」
と声が出てしまいました。
ブラックタイガー…この数十年、まず思い出さなかった単語です(笑)。

(ブラックタイガーは
ヤマトに搭載されていた戦闘機で
それがヤマトから一斉に発進し、宇宙空間で戦いが繰り広げられる際
必ずかかっていた曲があったのです。
今思えば、黄色に黒のラインの入った
しかも顔みたいなものまで書いてあったなかなか変な戦闘機だった気がしますけど)

…ナツカシイ。

「この曲にはウエストサイドストーリーの要素が入っていますね」
「こんな構成の曲は『リンゴの唄』のほかにはないですよ」

わたしは音楽のことはまったくわからないのですが
ひとつひとつの曲の裏に隠されたそういう話はとても面白く。
当時、多くの工夫をして、そして楽しみながら
ワクワクしながら
「宇宙戦艦ヤマト」という一つの世界観を
音楽を使って壮大に演出をした作曲家の思いや姿を
とても興味深く聞いたのでした。

子どもだった自分の中に染み入っていったたくさんの曲。
体の中に、使われていた楽器の一つ一つの音までがぐん、と
入り込んで記憶されています。
何の音かはよくわからないけれど
細部が違えば「ちがう!」と指摘できるんじゃないか、というくらいに。
今でもそれらの曲を聴くと、心が真っ暗な、広い宇宙に飛んでいきます。
そこを漂う小さな人間たちの不安や孤独や…そんな当時言葉にできなかった感じを
今もきゅっと感じます。

それだけの仕事を
してくださっていたのだな、と思いました。
子どものアニメなのに
全然手を抜いていない。思いっきり本気。


あんなに心震わせた世界の
「しかけ」を今、この年になってみることができた気がして
「ああ、そうだったのか」と、とても納得して
そして

「ありがとうございます」

と、心からそう思いました。
よいものを残してくださって
こどもだった私たちに「本気で」見せてくださって。

大人の本気は
かっこいい。

「走り続けているんですね」

昨日

十数年ぶりに教員時代の教え子から便りが届きました。

昔もらった葉書きの字と全く変わらない個性的な字で。

「インターネットを巡っていたら

公子先生のホームページを見つけて驚きました」

そりゃあそうだろうなあ。

確か、最後にあったのは東京で。

花小金井の彼女のアパートで。

わたしはウエディングプロデューサーの資格を取りに行っていたところで。

それがどうしてこんな仕事に??と

さぞ驚いたことでしょう。

ちなみにそのとき

彼女はなりたてのアニメーターでした。

教員と生徒として彼女と過ごしたのはわずか一年間なんですが

その中でも彼女は本当に「個性的」な少女でした。

絵をかくのが好きで

当時から「なかなかにディープな世界観」に満ちた絵をかいていました。

その彼女に美術を「教えて」いたのが私なのだから恐ろしい。

(その学校は生徒数100に満たない小規模校だったので

免許以外の教科も教えなければならず、それで免許は国語ながら

授業を担当していたわけです。本務より楽しいくらいでしたけれど)

思えば、その頃から

創作にいつも、実に才能を発揮する女の子でした。

演劇の小道具から使う曲の作詞まで…

こちらが口を出すことはほぼなく、自分で方法を考え、それなりにものにし

形にしてしまうのです。

そしてそれは「使える」ものになっている。

思えば

あの頃から彼女は

「独立」していた人だったんだなあ、と思います。

うまくいっても、うまくいかなくても

自分の考えを、試してみる。

他の人のアイデアではだめなのです。

そのこと(自分のアイデアをアウトプットしてみる)こと自体が、

アウトプットの場があること自体が彼女にとってはとても大切で

彼女らしくあるために必要なことだったのだと

今から思えばよくわかります。

いつも大きな目でじっといろいろなものごとを見つめている子でした。

いつも、いろいろなことを深く考えている風でした。

あれは、究極

「自分とは何か」を考えていたんだろうなあ、と思います。

自分とは何か、どう生きたいのか?自分らしい生(せい)の表現は何か?

その彼女の魂からの欲求が

たまに現実や周囲との間で摩擦を呼ぶこともありましたっけ。

それはまるで彼女の中で

「パキっ…!」と破壊音を立てて何かが破裂するかのよう。

「もっと楽でいいじゃん」

「もっと単純でいいじゃん」

「そんなに難しく考えなくても」

そういう「普通に」満ちがちな雰囲気に、彼女はとたんに反応してしまうのです。

そんなときの彼女の目を今でも思い出します。

大きな茶色の目がイライラしながら語っていました。

「わたしはもっと生きたいのに…!

自分として生きたいのに!」

本当にそんなポーズをとっていたわけではないのでしょうが

わたしにはなぜか

彼女がぐっとこぶしを握って立ち尽くす姿となって思い出されるのです。

すべての思いを握りしめて立つ女の子。

時はたち

彼女は望む世界へと行き。さらに15年。

はがきにあった彼女のHPを見ました。作品がアップされているブログを見ました。

…涙が出ました。

彼女の個性がいかんなく発揮されたたくさんの絵。

マンガ。短編アニメ。

本当に彼女らしい。彼女らしくて笑ってしまいました。

変わってない!

ここでは、どれだけ凝ってもだれにも文句は言われないね。

どれだけこだわっても大丈夫だね!

そんな思いで画面を見つめました。

いや、そのこだわりにこそきっと価値がある世界。

彼女はまさに、自分の「本質」が最も生かされる世界に

自分を置くことを成し遂げたのだなあと。

そして

今も走り続けている。

「先生、私はまだしつこくアニメーターをしています」

ええ、ええ、そうなんですね!

そんな、なんともいえない気持ちではがきの文字を読みました。

今日も彼女は走り続けている。

それは彼女が自分の人生を自分らしくいきている証。

遥か昔

こぶしをぐっと握って立ち尽くしていたセーラー服の女の子は

今や

ペン一本で自由自在に世界を紡ぎだす

魔術師になってしまいました。

その才を存分に生かして。

自分の「力」を、「感性」を信じ続け、自分の旅を歩み続けた彼女に

心からの拍手を送りたいと

そう思います。

「能の『披き』」

 

 

 

 

「自分という「狭い世界」の中だけで納得したものをやっているのでは

世界は広がらない。

自分の枠が広がることもない。

 

そのことの意味、理屈はわからなくても、

 

「決まったこと、やれと言われたこと」

 

まずはやってみる。がむしゃらにやってみる。

その、「与えられた場面」を乗り越えることで

初めて見えてくる世界というものもあるのでしょう。

そこではじめて育つ「精神」というものもあるでしょう。」

 

 

と、一昨日、ブログに書きました。

 

 

(こちらです)

 

 

 

 

これを書いたのには

「能」における「披き」というシステムについて読んだことが大きいのです。

 

 

 

「疲れない体を作る『和』の身体作法~能に学ぶ深層筋エクササイズ」

      (安田登【下掛宝生流能楽師】  祥伝社)

 

に、

「披き(ひらき)」という能のシステムのことが出てきます。

 

 

 

能を学んでいて

ある程度練習が進んでき、基本的なことが大体わかってくると

あるとき突然「断崖絶壁に立たされる」のだそう。

それが「披き」。

 

 

 

「自分の実力ではとてもできそうにない曲を『やってみろ』と命じられるのです」

 

 

 

 

「謡おうと思えば謡えるし、

舞えと言われれば型をなぞることはできる。

 

しかし、とても自分にはできない、

そんなふうに思われる曲をやれと命じられます。

技巧の問題ならば稽古時間さえ増やせば何とかなる。

そうでないから難しい。」

 

 

 

やればやるほど「できない」という確信が押し寄せつつ

先生からは何のアドバイスもなくただ「ダメだ」と言われ続け…

それでも「お披き」の舞台の日は刻々と迫ってくる。

 

とにかくがむしゃらにやるしかない。

稽古を続けるしかない、のだそう。

 

なんともきつい状況です。

 

 

 

 

 

「ほとんどの人は、まったく不本意なままお披きの日を迎えるでしょう。

そして、無我夢中で舞台を勤める。

当然、結果は不本意です。」

 

 

 

 

すごい場面です。

 

 

 

 

心中さっしてあまりまり…です。

が。

 

 

「そのとき、その人は何かをぴょんと飛び越えているのです。

そのとき、その人はまた

新たな『初心』を迎えたのです。」

 

 

 

能の世界の「初心」とは。

 

自分のこれまでのセルフイメージや状態を

「バッサリと裁ち切り」

さらに新しい成長の可能性の世界に足をふみ入れること。

 

「自分はこのようなものだ」

「こういうことができる」

 

という「安心・安全」の慣れ親しんだ枠から出て

さらに大きくなっていくために欠かせない気持ち、ということのようです。

 

 

 

 

「元来が弱い私たちは、

自分で『初心』に飛び込むことなんてそんなに簡単にできません。

披きというものを使って『初心』に無理やり向い合せる」

 

 

 

 

 

思い出してみると

自分なりに「枠が広がった」と思えるのは。

 

仕事で失敗をしてしまった後や

「どうしていいかわからない」「けど、やらなくちゃ」

という仕事をとにかく、やり遂げたとき、などだなあ、と確かに感じます。

 

そのときは苦しかったけれど

そして、満身創痍で結果もさんざんなものだったけれど

でも、そこに初めて刻んだ「一歩」という「跡」の大きさ。

 

 

 

 

その瞬間、もはやその世界は既知のものとなり

 

恐怖は消え

「これからどう工夫していけるだろう」

という創造の翼に自由にのっかている自分に気づいたきがします。

 

 

 

 

 

話が元に戻りますが

(前回のブログの学生さんの話にです)

 

 

あの学生さんが

今回の「披き」を、頑張って自分のものとしてほしい

まだ見ぬ自分と出会うためのかけがえのない、

よき機会としてほしいと心から願ってやみません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ならぬものはならぬものです」

知人がこんな話をしてくれました。

知人は専門学校の先生なのですが

「学生が、『自分の気持ち』を優先したがる」

と。

大きなことから小さなことまで

その方曰はくその学生さんは「いちいち反論してくる」らしい。しかも速攻で。

「明日は9時に登校してください」(知人)

「9時過ぎじゃだめなんですか?」(学生)

「できなかったレポートは、終業時間まで学校で書いてください」(知人)

「帰って家でやっちゃだめなんですか?」(学生)

「(レポートを)どうしても書く気になれないので、これ以上は書けません」(学生)

そのたびに知人は

「どうして?」と理由を聞き

(この場合、遅く登校したい、学校でレポートを書きたくない、の理由は

「他の学生の目について恥ずかしい」というものだったそう)

なぜそうしなければならないのかを説明し納得させる、という一段階がそこにはいる。

「学校でレポートを書く、ということを納得させるのに45分もかかったんですよ!」

と知人。

うげ…。45分。

そう、「納得」。

「納得」しないと、できないのですね。

話を聞いていると

場所は「学校」で、相手は先生で、自分は学生である。(教え導かれるものである)

という基本的な「立場」が学生さんの中には「抜け落ちている」ように感じます。

「小さいころからものすごく、ある意味『尊重』されてきたんでしょうかね」

とわたし。

常に気持ちを聞かれ

「どうしたい?」と問われ

やりたくないことや

自分の感情として「納得」できないことは一切やってこなかった。

肥大してしまった自分の「気持ち(感情)」に振り回され、がんじがらめになって

自分でもどうしようもなくなっている、その学生さんの姿が見えてきます。

反面、自分をしゃんと立たせ、律するための「精神」は育ってこなかった。

「問答無用」。

これにどんな意味があるのか、そんなことを考える前に

ただそれをやる、やってみる、体を動かしてみる、

という時期が

幼いころはあっていいのだと思います。

鹿児島でいうところの

「議をゆな」(屁理屈を言うな)

会津でいうところの

「ならぬものはならぬものです」

というところでしょうか。

そしてかつては

学校教育の中にも

地域の教育の中にも、そういう場面がうまく組み込まれていたのだと感じます。

(鹿児島には「郷中教育」というものが普及していましたし)

自分という「狭い世界」の中だけで納得したものをやっているのでは

世界は広がらない。

自分の枠が広がることもない。

そのことの意味、理屈はわからなくても、決まったこと、やれと言われたことを

まずはやってみる。がむしゃらにやってみる。

その、「与えられた場面」を乗り越えることで初めて見えてくる世界というものもあるのでしょう。

そこではじめて育つ「精神」というものもあるでしょう。

その学生さんの中には

そういう体験がなかったのだなあ、と感じました。

決まっていることをやってみる、繰り返してみる。そういう

「型」が体の中にはいっていない。

そういう型を体に、心に「糧」として染みこませることのないまま

大人になった。

「言っちゃってくださいよ。すぱっと。

『議をゆな!』って

『ならぬものはならぬものです』って!

その学生さんの人生初の『壁』になってあげてくださいよ」

と言ってみました。

その学生さんが

今直面している「課題」をとおして

自分の力で新しい世界への扉をけることができるように。

そこまで行けるよう祈りながら。

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