盛りを過ぎていると言われればそれまでだが、
捨てられないものもある。
(と語ってしまうくらいにはあじさい好き)
* * *
「花は満開のときだけを、
月は雲りがないのだけを見るものであろうか。
いやそうではない。
降っている雨に向かって見えない月のことを慕い、
すだれを垂らして室内にこもり、
春が移り行くのを知らずにいるのも、 やはりしみじみとして情趣が深い。
今にも咲きそうな梢、
花が散ってしおれている庭などにこそ、
見るべき価値がたくさんある」
* * *
ここまでは、わかる。
まあそんなこともあるかもなあ〜、 と、思っていた。
高校の頃の「徒然草」の授業。
けれど、こっから先は、「はあ??」 だった。
ポカンだった。
草むす田舎の高校。
ジャガイモのような男子に前髪ぱっつんの女子たち。
多分全員「ポカン」だったことだろう。
* * *
(徒然草続き)
「男女の恋も、 ひたすらに契りを結ぶことだけを情緒があるというのだろうか。
いやそうではない。
逢わずに終わった恋の辛さを思い、
はかない逢瀬を嘆き、
長い夜を一人で明かして、 遠く離れた所にいる恋人のことをはるかに思い、
茅の生い茂った荒れ果てた家で昔の恋を思い出して懐かしむことこそ、
恋愛の情趣を理解すると言えよう」
* * *
全く響かないわたしたちを前に、
ここから先生はどんどん白熱&脱線していき、
(多分、この「感覚」をわかって欲しかったのだろう)
「だいたい最近の女性の服装は見せすぎる」
「あんなもの、全く風情がない」
「露出が多ければいいってもんじゃない」
そして最後に黒板をどん!と叩いて言った。 いや、断言した。
「和服の裾からチラッと覗く白いふくらはぎなんだよ! チラリズムだ!それがいいんだ!」
竹刀を持って授業にやってくるめちゃくちゃ怖い先生で、
16歳にとって、「恐るべき神」のような存在だったが、
今思えばその時彼は32歳。
(いろんな意味ですごくないですか)
先生。 あの時先生の世界をわかってあげられなくて。
「ああ納得!?」 という表情をしてあげられなくてスミマセン。
今ならまあ、わかっていると思う(多分)。
枯れゆくアジサイに美を感じられるくらいには大人になった。