HSP
(Highly Sensitive Person=直訳すると「非常に敏感な人」)
の診断テストを知人がアップしており、
何とはなしにやってみたのです。
下記、HSP診断テストより抜粋。
「HSPとは、一般に繊細・神経質・内向的と
言われる人たちが持つ『気質』です。
生まれ持ったものですが決して病気ではなく、
世の中のタフな人と、そうではない敏感な人とを2タイプに分けた、
ただの概念に過ぎません」
だそうで。
48個の設問に答えると、
自分がその特質をどの程度持っているか、
が数値化されます。
例えば、感覚的な特徴の設問でいうと、
「他の人が気にならないような音でもひどく苛立たしいことがある」
ですとか、
「鋭い光が氣になる」
ですとか。
で、答えているうちに、
不思議な氣分になりました。
「世界を見て聞いて感じ取るアンテナ」というものは、
いかに人それぞれ違うものか。
と。
今、この瞬間、
自分の目の前にあるこの音も、色も、香りも、
その受け取る度合いや質感、深さがみんな、わたしとは違う。
(皆、自分と同じように見て聞いて感じているわけではない)
という、
至極当たり前のことを、
改めて実感してしまった、というわけなのです。
人間関係。環境との関わり…などなど
48の設問を改めて読みながら、
「ここに書かれている設問に関して、
全く真逆の感覚で生きている人も、いるんだなあ」
と、
しみじみ。
あなたが見ている世界と、
わたしが見ている世界は違う。
わたしの家族とわたしが感じている世界も。
同じ場所に立って、同じ体験をしても、
実は、同じものを見て聞いて感じているわけではない。
そう実感すると、
…実はだいぶ楽になったのでした。
いい意味「あきらめ」がつくといいますか。
「自分のことをわかって欲しい」なんて…
そんな無茶な(笑)
「あなたのことは全部わかってる…」
なんて、それも無茶な(大笑)
神様でもあるまいし。
だからわたし達は言葉を持ち、
会話を交わすのです。
いえ、実は、
言葉でさえも、厳密に
自分と「同じ意味で」使ってる人はいない。
わたしの言う「愛」と
あなたの思う「愛」は違う。
わたしの使う「優しい」と
あなたの使う「優しい」。
その内容成分は違う。
そこには、それぞれのの体験や、
そこから生まれた信念・価値観によって
裏打ちされたものが山ほど入っている。
朝起きた時。
初めて出会った時のような、
みずみずしい感覚と敬意を胸に、
相手の世界に入っていけたらなあ、
とわたし自身、いつもそう願いつつ、です。