「深知今日事ーふかくこんにちのことをしるー」

「今、一致しているか?」と自分に問おうーコミュニケーションにおける安心感・信頼感とは

 

 

 

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一昨日、知人から聞いた話なんですが。

 

 

 

お子さんの通う中学校の校長先生が、

朝礼で全校生徒を相手に「じゃんけん大会」をするんだそう。

 

そのじゃんけん大会にはルールがあって、

勝っても負けても生徒は、

 

「いえーい!」

 

 

と大声で言わなければならない。

 

負けた子も、とにかく

「いえーい!」

と叫んでから、座る。

 

全身全霊で、飛び上がって、「いえーい!」と言う。

言わせたい。

 

それが、校長先生の意図だそうで。

 

 

 

 

全身から出てくる喜び、嬉しさ、感動、楽しさ、ある時はがっかり

それらと、

 

自分の「声」「身体」そして「言葉」。

全てが一致している。

それらを、存分に、思いっきり全身で表現する。

 

 

 

思えば、そんなふうに最後に在ったのはいつかなあ、と思います。

皆さんはいかがですか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今、子どもでさえ、

「そうでないとき」が、結構あるように思います。

 

(わたし自身でいえば、本当に「そう」だったのは、

小2か小3のはじめくらいまでだったような。

 

大人になってからは、固まった心と身体をほぐし、

自分の本当の声と言葉を取り戻す旅)

 

 

 

 

 

 

自分の身体の奥底から、しっかりと湧いてくる声。

 

誰のものでもない。

自分の身体感覚、感情、快不快、価値観、自分の軸…それらとしっかりと結びついた言葉。

 

 

 

 

 

 

 

それらがある人は強いなあ、と思います。

極端な話、どこででも、何があっても生きていける。

そんな氣がします。

 

 

 

 

 

 

声はその人の生命のエネルギーそのもの。

言葉はその人の意識、無意識含めた心、そして精神活動そのもの。

 

 

 

「自分の声」「自分の言葉」で世界に向けて真実、発することのできる人は、

(この、真実、というところに力を込めてみました)

そうですね…

 

 

例えていえば、モデルさんの世界なんかだと、

 

 

 

 

「無地の白のTシャツとデニムでぼんやり立っているだけなのに、

存在感ありまくりで、メチャクチャかっこいいモデルさん」

 

 

 

 

みたいな感じ、でしょうか。

 

飾ってもかっこいいけど、

何もなくても、身一つで完全にイケている。

 

風が吹くようにスッキリとそこに立っていて、

存在感と影響力が、もうダダ漏れになっている。

 

 

 

 

逆に、どんなに飾っても、何かしっくりこない。

あざとくみえる。嘘っぽい。

イタイ。

変な感じが伝わってくる。

(ましてや白Tだけなんて、全く通用しない)

 

そんな人もいたりするわけですし。

 

 

 

(妙な例えでかえってわかりにくくなったかもですが)

 

 

 

 

 

 

 

意図(何をしたいのか、何を伝えたいのか?)

と身体の状態と言葉が「一致している」。

それはコミュニケーションにおける絶対条件です。

 

 

 

どんな笑顔、きれいな言葉、耳障りのいい言葉、

美しい、かっこいい(と自分が思って出す)声で語っても、

一致感なきところに相手の安心感なし。信頼なし。

感動なし。

(けれど、この、一致していない人や状態を、

とてもよく見かけるのです)

 

 

 

 

 

 

 

「今、わたしは一致しているか?」

 

 

 

 

 

 

コミュニケーションの出発点として、

(1対1であれ1対他であれ)

たくさんの資料を準備することより、

どんないいことを言おうかと考えるより、

 

 

 

いえ、それと同時に、と言っておきましょう。

私たちは常に、自分自身に問いかける必要があるのです。

 

 

 

 

 

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