「ボティトーク」の施術を受けてみました。
地層にはその時代時代の、いわば「地球の記憶」が刻み込まれており、
遺物が埋め込まれており、
そこから色々な「地球の過ごしてきた物語」を知ることができますが、
人の身体もまさにそういうものなのです。
昔、「ロルフィング」という施術がとても氣になって、
受けに行ったことがあるんですが、
(もはや場所すら覚えていないんですが。東京に近い田舎の、梅の美しい駅でした)
それは筋膜に刻み込まれた記憶を解放するものであった、
という覚えがあります。
強い衝撃を受ければびっくりしたり、恐怖を感じますが、
それは、頭の中の記憶だけでなく、身体にもしっかりと「記憶」として刻み込まれる。
身体的な衝撃だけでなく、心の衝撃も刻み込まれる。
それらが筋膜を引きつらせ、
やがて身体の歪みを生じる、
それを修正する。
というようなものであったと記憶しています。
うろ覚えですが。
「ボディトーク」。
「主訴」(最近ここが痛くてああでこうでこうなんです)
からは想像もつかないメッセージがいつも導き出されるわけですが、
(今回でいうと、
臓器からのメッセージ、
身体の周りを囲むエネルギー体のバランス、
二代前までを含む家族間の感情の解決すべきこと、などなど…
遺伝子から宇宙まで、
その系統立てられた構造の壮大さには舌を巻くものがあります)
それは全て「私の身体が語っている」のです。
実は、身体はこんなにも「知っている」。
身体はほんとうに「自然のもの」なのだな、と感じます。
木々がその年輪に季節の変化、日照りや干ばつ
…太陽や風や雨の歴史をしっかりと刻むように、
深く深く、地球の奥底まで、
宇宙の、星の動きまでと繋がっており、
時間の記憶も全て、身体の中に蓄えている。
私たちの身体は、すべてと繋がっている。
恐るべき叡智の場、なのです。
少し前。
AI全盛となるであろう時代を前に、
シリコンバレーで働く親たちが子どもをどう教育しているか?
という番組をやっていましたが。
それらの親に一番人氣の私立の学校の教育は
「電子機器一切禁止」。
その授業は、
ナイフで木を削ってスプーンを作り、
輪になって手を叩き、声を出しながらリズムをとって九九を暗唱し、
ポールにみんなでリボンを巻く(西洋のお祭りみたく)
という…
「身体感覚」「五感」を磨くものでした。
つくりたいのは「創造性」と「調和」だそうで。
さて。
こんな現状の日本であってもなお。
(とあえて言ってみる)
私たち日本人は、
世界でも「自然に最も近い民族」の一つである、と言えます。
自然に対する「繊細な五感」を備えもつ民族です。
それは、私たちの使う「日本語」が、
私たちのこの特徴的な「日本語脳」を作っているから、なのですが。
(詳しくはこちら)
https://ameblo.jp/businesskouko/entry-12292650593.html
教育の仕組みも、社会の仕組みも、医療も、そのほか諸々…
これから
「身体とのつながりを取り戻す」
ことが、土台の大きな鍵となる、と
そんな風に感じています。
身体とのつながりを取り戻すということは、
自分の中心軸と、
自然との、
世界との、
つながりを本当の意味で、
(全てがバランスのとれた、誰も泣くもののない調和という形で)
取り戻す、ということだ、と思うからです。