「深知今日事ーふかくこんにちのことをしるー」

若者には本物を与えよ~ぶっ放す「Thunderbolt fantasy 東離儉遊紀」

 

 

 

以前

運動会で歌う、いわゆる「運動会の歌」を

格調高い「大人な」歌詞から「お子様チック」な歌詞に改悪され

大いに怒った子ども時代の話を書いたことがありますが。

(「あはれことのは」)

 

 

「Thunderbolt fantasy~東離儉遊紀」

という人形劇があります。

今年の夏に放送され、つい先日最終回を迎えました。

 

 

 

 

 

おおかたの日本人の「人形劇」というもののイメージを

はるかに超えているであろうこの人形劇。

 

17世紀発祥、台湾の伝統芸能である人形劇「布袋劇(プータイシー)」と

日本のアニメ制作会社とのコラボ作品です。

 

 

 

 

日本にも、人形を使った芸能といえば世界に冠たる「文楽」があります。

文楽は昔のままの形を踏襲することで

洗練された芸術の域にまで高まっていますが、

誰でも広く見るものであるか、と言われると、

大変残念ながらそうではない。

 

 

 

 

 

一方

台湾の「布袋劇」はなんといいますか…

「すごい方向」に進化発展しているのですね(笑)。

 

多くの国民が見る「一大娯楽産業」となっている。

人形とは思えない動き。特殊効果のバンバン入った画面。

まあ、見てみてください。

(下にリンクあり)

 

日本が世界に誇るアニメ文化と台湾の伝統文化との融合。

こんなの見たことない…の一言でした。

 

 

 

 

 

で、

面白いのはこの人形劇、結構セリフが「難しい」。

(その分聞きごたえ、噛みごたえのあるものになっているんですが)

 

「武侠ファンタジー」という世界観なので、

わかりやすくいうと「冒険時代活劇ファンタジー」といったところ。

 

四字熟語に固有名詞…

頻発する漢語の波。古い言い回しの言葉も妥協なく

しっかりとちりばめ。

元国語教員のわたしですら、

 

 

 

「漢字が浮かばない…」

「それどういう意味?どういう漢字?」

(後で辞書を引く)

 

 

 

といったことが二三回。

 

 

(これ、調べようとみんな結構勉強するんじゃないのかな、と思ったり)

 

これらに、一切注釈も説明も字幕も加えることなく、

ガンガンとテンポよくダイナミックに物語が進んでいくのが小気味よい。

 

ナレーションは七五調の美しいリズムで講談っぽいのが懐かしく。

(最近こういう文調が聞ける日本のドラマはみませんね)

 

 

 

しかも!

布袋劇の伝統として、途中で必ず

 

「漢詩」

 

が登場!

主要人物の一番の見せ場に、

そのキャラの特性を表現した漢詩(念白というらしい)

が台湾語によって朗々と朗読されるのです。(すごい…)

 

 

もちろん画面には書き下し文も日本語訳も出やしません。

墨痕淋漓たる原文のみ。

いや~、潔い。実に潔い。

 

 

 

 

タイトルでわかる通り、

人名そのほか多くの固有名詞に

台湾そのままにしっかりと「旧字体」が使われているのもポイント。

 

旧字体はいいですよね。

その漢字の成り立ち、そしてその漢字が本来持つ「エネルギー」(形霊)そのものが、

ちゃんとこもっている。

だから、体感的にとにかく「カッコいい」。

 

 

 

 

 

何を言いたいのかといいますと、

 

 

「手を抜いていないなあ」

 

 

ということ。

安易な「わかりやすさ」を目指していないのです。

 

それよりも、制作者が目指しているのは、

「本物」を届けること。

 

台湾のこの布袋劇という文化の「すごさ」を

あますところなく日本人に届けたい、

面白いものを作りたい、

双方の持てる最高の技をぶつけ合い、

吸収しあい、触発しあい

…最高のものを作りたい!

 

という日本、台湾双方の作り手の「気迫」が余すところなく感じられるのです。

 

 

 

 

 

 

初めにもどるのですが、

 

 

「難しいだろう」

「わからないだろう」

 

 

という大人(発信者)の勝手なフィルターは余計です。

 

 

 

子どもだから、若年だからと、

送り手の安易なフィルターを通し、

濃厚かつ成熟したワインに水を入れて、

人工甘味料まで入れて薄めたようなものはいらない。

 

 

それらは受け手の成長を阻害します。ほんとうに「余計なお世話」なのです。

しかも、それら「余計なお世話」は全体として日本人の能力を下げます。

 

 

 

 

かつて私たち日本人は、

5~6歳から論語を普通に素読する国柄でした。

 

意味など分からなくてもいいのです。

その美しく律動する言葉の波長に触れ、

考えるより先にその波が細胞の奥深くにまで染み込む…。

 

 

そうやって身体に染み込んだリズムは、

やがて人生を通して折に触れ、その人を助け

道を開く「生きた感動」となります。

 

 

 

 

「本物の波動」をどん、とその身を受ける衝撃の価値、

ということでしょうか。

 

シュタイナー教育において、ドイツでで必ず取り入れられるのが

10歳でドイツ民族の始まりにかかわる古典叙事詩を朗読することである

ということもしかり。

 

 

 

柔らかい口当たりの良いものばかり噛んでいると、

咀嚼する力自体が衰えます。

子どもにこそ、若者にこそ「噛みごたえ」のあるものを!

大人の本気を!

なのです。

 

 

 

 

 

 

続編制作の決まったらしい「Thunderbolt fantasy 東離儉遊紀」

今期よりもっともっとさらに「ぶっ放して」行ってくれることを期待しています。

 

 

 

 

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