「深知今日事ーふかくこんにちのことをしるー」

「老人介護施設にて~相手の世界に寄り添う力」

老人介護施設に勤めている友人の話が

とても面白かったのです。

面白い、という表現はあたらないし不謹慎かもしれないのですが

つい「すてきだな」「美しいな」という感覚を覚えてしまいました。

もちろん、そのことに付随する

わたしには想像もつかない大変なことが山ほどあるのだ、ということは思いつつ。

友人いはく

「すっごく面白いの。おばあちゃんたちと話してると」。

友人が

あるお年寄りの部屋に掃除に行く。

すると、ベッドの中からお年寄りがいう。

「お布団の中で子どもが二人、遊んでるいるの」

もちろん、子どもなどいないわけです。

けれど、友人は「は~い」と言ってお年寄りの布団をめくってあげる。

そしてこう言うんだそう。

「ほら~。、みんな出て行きなさい。〇〇さんが眠れないよ~」

すごいじゃん!とわたし。

「で!? そう言うと、お年寄りはどんな感じ?」

「うん、とっても嬉しそうににっこりするよ~」

さらに友人の話は続きます。

「おばあちゃんが庭を指さして『あそこに猫がいるでしょ』と。

そこの庭は猫など入り込めない造りなの。

おばあちゃんは

『前に三毛猫の親子を見たけど最近いないから

死んでしまったと思ったけれどちゃんと生きていた。よかった』

と。

わたしにはどんなに目を凝らしても猫の姿は見えないの。

『〇〇さん(施設の人)に猫がいるって話したら、

バカなこと言わないの!っておっしゃったよ。あそこにいるのに』

って。

おばあちゃんには見えているみたい。

ねえ、こーこちゃん

(と、友人はわたしのことを呼びます)

何と言おうかと頭の中をいろんなコトバがぐるぐるしたよ。

だって、介護の勉強ちゃんとしたこともないし

認知症のマニュアルもあるみたいだけど読んだことないし…」

彼女がおばあちゃんと、どのような言葉を交わしたのか?

それはきっとみなさんの想像なさった通りです。

ペーシングにバックトラッキング…

自由自在に変幻自在に「寄り添う力」をいとも簡単に発揮する

友なのでした。

昔から魅力的な友でした。

読書量はハンパなく、くすっと笑いたくなるような発想をよくする友でした。

車に乗ると、飽きずに何時間でも窓の外を眺めている友でした。

窓の外を過ぎてゆくいろんなものを見ているのが面白い、と。

動物が好きで、「言葉わかるんじゃないの?」と思うくらい

自然に話しかける友でした。

そして、何より何より優しい友。

彼女は、その自由自在な想像力と

やわらかな感性でもって年寄りの世界にいとも簡単に寄り添うのです。

するりと「世界にお邪魔する」のです。

そして同じのものを見、同じ音を聞くのです。

彼女にはそれが「当たり前」のことであり、喜びなのです。

「それってペーシングだね~」などと言っている自分が

ひどく頭でっかちに思えました。

同じ場面でわたしならとっさにどうするだろう。

最後に、心に残った友の表情を。

風の音や窓の軋みや。

大きな建物の中、ふとそういう音がするときがありますよね。

そんなとき、その施設の中にいる人たちが言うのだそう。

「亡くなった〇〇さんが来ているのかもしれないね」

と。

でも、彼女は思う。

「ここにはいない」

窓の外をじっと見つめていたあの人が。

車椅子の上

「あんたは若いからいいね。自由に動けて――」

と言ったあの人が

今ここにいるはずはない。

やっと体から解き放たれ、自由になったその瞬間に

心は大空を駆け巡り、きっと一番行きたいところへ行ったろう。

懐かしいところへ行ったろう、と。

彼女は窓の外を見ながらそう静かに言いました。

その横顔がとても印象的で。

わたしにも

見えた気がし…。

抜けるような空高く、駆けてゆくそのおばあちゃんの笑顔が。

一瞬ですが。

人生の最後の時期。

体も弱くなるでしょう。

呆けて、皆の住む「現実」と自分の住む世界が合致しなくなる時が来るかもしれません。

でも

小さな子供が、自分の見ている世界のままに動き、笑い、はしゃぐことを受け入れられ

その世界ごと愛され、尊重されているように

お年寄りもまた、そうされなければならない。

尊重されなければならない。

50年、60年、愛するもの達のために働き続け

わたしたちの生活につながる復興と繁栄の土台を全力でつくってくださった方々。

そんな方々が

最後まで、一人の人間として

自分の価値観を、大切にしてきた世界を尊重され、

幸福な心持ちで一生を終える。

「否定」は。

「受け取られない」のは、大人であっても、子どもであっても心が傷つきます。

魂が痛みます。

誰であっても、どんな状態であっても。

言葉はたとえ聞こえなくても「否定」の波長は届きます。

棘となってささります。

「ああ、そう~!猫がいるんだね~。

元気でよかったね!

わたしんとこからはよく見えないんだけどさ…

おばあちゃんとこからは見えるんだ~。いるんだね~!」

嘘はつけないところもまたわが友なのでした。

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