「深知今日事ーふかくこんにちのことをしるー」

「日本人としての『プレゼンス』」

 

いよいよソチオリンピックが始まりました。

昨夜は早速に、一番楽しみにしているフィギュアがはじまり、つい夜更かしです。

 

フィギュア団体戦は

演技に加えて、各国のブースでのチームごとの応援がまた楽しいのですよね。

各国の応援の様子を

 

「お国柄ってあるなあ~」

 

と思いながら見ていました。

日本のチームの応援は、わあ~っとはじけるというよりは

みんなでリズムをもって、合わせて、楽しく、という感じで

なんだか、運動会の応援を見ているようで懐かしい。

 

演技にしても

もちろん個人の特徴はあるわけですが、

身のこなし、リズムのとり方など…なんとなく全体的に

その演技の背後に、その国の長い間生きてきた文化や精神性がしっかりと見える気がします。

 

例えば

イタリアのペアの演技など見ていると

あれは、日本人には逆立ちしても無理だろうな、と思うのです。

あの音楽を踊りこなすことも難しいだろうし

あの、小粋な表情や身振り、手振り…うん、日本人にはムリ。

やってもいいけれど、とってつけたようになりそうです。

第一、男性のあの、オールまっ黄色な下半身の衣装からして

あれが似合う日本人はなかなかいないと思うのです。

 

また、

中国のペア。

音楽が胡弓(?)の入ったものであったということもあるのでしょうが

流れるようなつやのある細やかな表現。

その背後には「京劇」の深い伝統をつい感じてしまいます。

 

そうなると

我らが日本の選手たちは

いったい外国の人たちからは、どんな「特徴」を持っていると見ることができるのだろうなあ、と。

自分たちのことは、自分たちではなかなかわからないですもんね。

 

余談ですけれど、わたしは真央ちゃんを見ていると

なんだか最近、武士に見えてしようがない(笑)

凛としてゆるがず、周囲に影響されることもなく

自分のなすべきことを、ただ黙々とやって、結果を出す…いさぎよく、かっこいいなと。

 

さて

「お国柄」というのはつまり「国としてのプレゼンス」ということだと思います。

プレゼンスとは

「外見、そして内面、すべてから自然と醸し出されるその人の『存在感』『あり方』」

 

お友達の

(と言ってみました^^。2度ほどお目にかかり、お時間をご一緒したことがあるだけなんですが)

白駒妃登美さんの最新刊

2月に出たばかりの

「日本人の知らない日本がある~こころに残る現代史~」

          (株式会社KADOKAWA)

 

「2020年東京オリンピックまでに読んでおきたい近、現代史」

 

と帯に銘打たれたこの本には

この「日本」という島国の中で長い間かかって培われてきた

私たち日本人の「プレゼンス」が

血を吐くような危機的な状況の中で

凝縮され、発揮された、まさに、「日本人の魂の発露」のような厳しくも美しい瞬間が

たくさんつづられています。

 

ウズベキスタンの「ナヴォイ劇場」建設に携わった日本人たちの話。

 

1945年。ウズベキスタン。

ソ連軍の捕虜となって、ウズベキスタンで強制労働に従事させられた日本人兵士たち。

過酷な労働時間。

体を維持するにも足りない粗末な食事の中で、命を落とす兵も続出。

そんな中で劇場を造らねばならない兵士たち。

彼らを動かした思いはこうあります。

 

「我々は戦争中に多くの町を破壊した。

今度は誰かのために、新しいものをつくろう。

たとえどんな過酷な状況であろうとも、日本人としての誇りを失わずに

この地に世界一の劇場をつくるんだ」

 

やがて、出来上がった劇場は

威風堂々。それでいて繊細な彫刻のほどこされた外壁や内装。

ウズベキスタンの人たちは大喜びしたのだそうです。

(こういうところが、とても日本人らしいですよね。嬉しくなってしまうところです。

絶対に手を抜かない。たとえ「捕虜」という立場で「やらされている」ことであっても

「つくる」という行為自体への喜びや責任を感じ、それをつい形にしてしまう)

 

そして

この劇場のすごいところは、20年後の「タシケント大地震」で

あたりが瓦礫の山と化す中、他の、日本人が手掛けた建設物とともに

ビクともせずに現状を保っていたというところなのだそう。

ほんとうに、命を懸けて、良い仕事をみなさん、残してくださったのですね。

 

ナヴォイ劇場に掲げられた記念プレートにはこうあるのだそうです。

 

「1945年から1946年にかけて

極東から強制移送された数百名の日本国民が

この、アリシェル・ナヴォイ劇場の建設に参加し、その完成に貢献した」

 

プレートの作成を指示したカリモフ大統領の

「日本人兵士たちは我々にとって恩人だ。間違っても『捕虜』などと書いてはいけないぞ」

 

という指示の通り

プレートには「日本国民」と刻まれている…。

 

 (「日本人の知らない日本がある~こころに残る現代史」より概要を抜粋)

 

「我々がこのプロジェクトを通して日本人から得たものは

資金援助や技術援助だけではない」

 

と言ったのは平成17年。インドの地下鉄公団の総裁。

 (麻生太郎 「とてつもない日本」 新潮新書 より)

 

「インドでは数時間遅れも日常茶飯事であり

数分の誤差で正確に動いているのは唯一、この地下鉄だけである。

これはすごいことだ」

 

 

日本のODAによってつくられたニューデリーの地下鉄。

日本の技術者によって

「時間通りに集合する」

「時間通りに運行する」

ストップウォ ッチを手に

淡々と、あたりまえのこととしてそれをする日本人技術者たちの姿を目の当たりに見、

訓練を受けたインドの技術者さんたち。

 

「我々がこのプロジェクトを通して日本人から得たものは

資金援助や技術援助だけではない。

 

むしろ最も影響を受けたのは

働くことについての価値観、労働の美徳だ。

労働に関する自分たちの価値観が、根底から覆された。

 

日本の文化そのものが、最大のプレゼントだった。

 

今、インドでは、この地下鉄を

『ベスト・アンバサダー』(最高の大使)と呼んでいる」

 

 

…何と、なんと嬉しい言葉なのでしょう。

 

「プレゼンス」とは

特別な行為や思考ではない。

ほんとうに、自分たちでは気づかない「普通に」「あたりまえにやってしまう」もの。

つまり

「細胞に、血となり肉となって、自然に染み込んでいる思考や行動』」なのだと思います。

だからこそ、

特別でないからこそ、

「よそゆき」でないからこそ

 

真に苦しいとき

危機が迫った時にも

ちゃんと発揮されるもの、なのだと思います。

震災の時の日本人しかり。

 

そして

私たちの先輩たちが

「ここぞ」というときに発揮した「民族としての特質」は

世界の人々を感動させ、尊敬されるものであったのだ、ということは

今を生きる私たちにとって、とても嬉しく誇らしいことなのではないでしょうか。

 

そしてまた

それを「引き継ぐ者」としての

矜持や責任をあらためて抱かせるものなのではないでしょうか。

それは

個々人のレベルを超えた

いかに生きるか、のしっかりとした「指針」「核」になってくれるものだと思います。

 

わたし自身

こういったこと

(わたしたちの先輩の「美しい姿」の面を)

ほとんど知らずに長いこと過ごしてきました。

今、自らの目で「情報を見直す」たくさんの機会を通して

バランスを取ってこの「日本という国」の姿を知ることが出来ていることを

本当によかったと思っています。

それは、

自分とは何か、を模索し始め

自分のよいところを発見し、認め

自分らしく、自分に誇りを持って生き始めることができるようになったプロセスと

しっかりと重なっている気がするからです。

 

わたしにとって

「自分自身の真の姿に目覚める旅」

「日本という国がまんべんなく照らされてゆく旅(自分が知らなかった日本の素晴らしい面に気づく旅)」

と無縁ではないと感じます。

 

自分自身で生きることを味わい、謳歌し

日本人であることの喜びを心から味わい、謳歌出来ている

この人生を、とても嬉しく感じています。

 

話が大きく広がってしまいました。

ソチ五輪。

各国の演技ももちろんですが

そこここから垣間見える

それぞれの国の誇りと矜持のあふれる表情やあり方そのものを味わえるいろいろな場面。

そんなところにも大きな醍醐味を感じつつ

観戦を楽しみにしているところです。

 

 

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