「深知今日事ーふかくこんにちのことをしるー」

「こどもの話を聞くということ」

今年のお盆は
なんだか人の話を聞いてばかりいます。

といっても、それが仕事なので
仕事ではがっつりと聞くわけですが
それ以外で、ということです。
近しい人たちの話を聞いている。

今朝まで実家にいたのですが
久しぶりに会った母は、初日、なんだかんだで夜中の3時までしゃべっていました。
「聞くこと」が体に染みついてしまっているもので
「聞かない」ことができないわたしの体(笑)
眠いな~と思いながらもつい「絶妙のあいづち」を打ってしまうのがあっぱれです。

なおかつ小心者なので
「もう寝ようよ」の一言が言えず。
(久しぶりですし、たくさん話、あるのだろうな~と思うと、つい)

なので、呼吸でもって
「もう寝ようよ」状態にリードするという作戦で無事睡眠を獲得したのでした。

さて
わたしには、姪と甥が5人います。
25歳を筆頭に
皆ちょうど、世の中に出て自分の足で歩き始めたあたり。
それぞれ、日々いろいろとあるようです。
この数日
前後して、うち2人の話を偶然にも聞くこととなりました。
おぎゃあと生まれたときから知っている2人です。
こんなことを思うようになったんだ~と感慨深く耳を傾けました。

翌日、前後して2人からメールが。

姪1
「こんにちは。今日も暑いですね。
昨日は電話で話を聞いてくれてありがとうございました。
公子姉と話をしていると、自分が何に対して不安を持っているのか
どうしたいのか、考えがまとまりやすくなります。

ああ、私って本当はこんな風にしたいんだ~。こんな風に考えていたんだ。
と、自分でも知らなかった、見つけられなかった自分の思いを発掘するような感じです。
ありがとうございます」

そして姪2
「今帰り着きました。
話を聞いてもらってほんとによかった。
ものすごく気持ちが軽くなったよ。
第三者から見た感じとか
いろんな切り口から私の今持っている感情を引き出してくれたりとか
気持ちに気づかせてくれてありがとう。

一番びっくりして嬉しかったのが
私の気持ちを私以上に公子ねえがわかってくれたことです。
占い師のようでした」

占い師(笑)。
そうですか。それはよかった。
驚きを表した彼女ならではの比喩をほほえましく読みつつ
ふと思いました。

何も特別なことじゃない。
誰だって、意識すれば
少し学べば、そんなふうに聞けるのに。

そして
「占い師」
と、その体験の感動をつづった彼女のメールの言葉に
少し寂しさを感じたのでした。
言葉にするならば

ああ、やはりまだ出会っていなかったのかな。
そういう人に。そういう体験に。

と、そんな感じでしょうか。

そして、ただただ素直に思いました。
いや、願いました。

お父さん、お母さん、先生方…
子どもたちの周りにいる、彼ら、彼女らに一番近く触れる大人の方々。
どうぞ、「聞いて」あげてください。
うまく聞けないなら
「聞き方」を学んでください。
軽んじないで。

「そんなこと、どうして今更。
いつもやっている。ちゃんとできている。
わざわざ学ぶ?聞き方を?」

そんなこと、言わないで。

優れた「聞き方」がもたらすその効果、
「聞かれる」ことが聞き手、話しての双方の心にもたらす奥深い世界ははかりしれません。
優れた聞き手に聞かれるその時間は
子どもの能力を飛躍的に開花させます。

自分の内面を探索し、沸き起こる思考や感情に名前を付けて表に出す作業。
物事を俯瞰し、接近し、あらゆる角度から見る能力。
自分の中から答えを見つける能力…
多くの能力が「本当に聞かれる」体験を通して磨かれます。
それは
これから人生という長い旅路を彼らが旅するための
不変のスキルを手に入れるということなのです。

この仕事を初めて10年。
「聞くということ」に出会って10年、とも言い換えることができます。
「聞かれる」ことで自分の中にはじめて起こったあの時の感動を
姪たちの言葉から
新鮮な気持ちとともに思い出すことができました。


初心に帰って
「聞く」ということに集中、特化したプライベートセミナーでもやってみようかなあ
とふと思っているところです。

自分の一番大切な人たちに
大きな変化を起こせる可能性のある「聞くこと」。
誰だってできることなのに。
何よりすごいことなのに。
美しい百万の言葉を紡ぐことよりも
どんな素晴らしい答えを子どもに与えることよりも

時としてもっとも大きな力を発揮するものなのに。

すべての子どものかたわらに
聞ける力を備えた
大人が共にいてくれることを心から願ってやみません。

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