今朝
家の近くの小さな美容院から
一人のお年寄りが出てきました。
小柄な女性を包むのは黒の留袖と銀の帯。
何より美しかったのは、その表情でした。
右手で裾をさりげなく抑え
伏し目がちに、背筋を伸ばし歩いてゆくその表情には
つつましさの中にも嬉しさと、そして静かな誇らしさと…
そんな、言葉には出来ないたくさんの思いが溢れているように見えました。
すれ違った瞬間の光景でしたが
とても美しいものを見た気がしました。
きっと、大切な人の晴れの日なのでしょうね。
そして、和の正装とはいいものだな~、
姿かたちだけでなくわたしたち日本人の「あり方」の美しさを引き出すものだな、とも思えたのでした。
さて、本題です。
あちこち歴旅をして回っていますと
たくさんのお友達ができます。
わたしの行く場所や歴史のイベントは
とにかく年齢層が幅広いことが多く、場合によっては70代から10代までが「わっさ~」っと
一堂に会しています。実に壮観です。
和気藹々…
年齢も性別も仕事もなにもかもうっちゃって
語る姿を見ていると
「みんな、目が…目が…輝いてるよっ!」
と嬉しく思うわけです。
なので
年若いお友達もたくさんできます。
そして仕事柄か
そういう若い人たちを見るとつい寄って行き、ヒアリングしたくなるのは悪い癖です。
「ねえねえ、今日はどうしてここに??」
聞くと
興味を持ち、好きになったきっかけはほんとうに様々なのです。
昨年でしたか。
ある歴史イベントで
「古高命!」
(古高俊太郎です)
という、あまり見かけない女の子に会いましたが
聞けば、
『携帯ゲーム』の古高俊太郎がかっこよかった、というのがそのきっかけでした。
古高俊太郎といえば
「土蔵で拷問」
がすぐに思い浮かぶんですが、彼女曰はく
「その、拷問のシーンが、萌え~♪」
だったそうで(笑)。
件の携帯ゲームを見せてもらいましたが
それはそれはイケメンの古高俊太郎がカッコよく吊るされていましたっけ。
きっかけはそこですが、彼女がそこから読んでいる歴史関係の本は半端なく。
そういえば、さらに昔
「母成峠に行って来ました」
と切々と語ってくれた人がいましたが…確か埼玉の人でしたか。
彼女もきっかけは「ゲーム」でした。
が、その彼女がその旅に込めた思いや、母成峠で感じた感覚を聴くにつけ
「ゲームがきっかけで…そこまで行く!?」
と、その感受性の繊細さに「すごいな…」と思ったのでした。
さて
きっかけは何でもいいのです。
彼女たちは、彼女たちなりの出会い方で「先人たち」と出会い
その人生に触れ
彼らの足跡を追うことを始めます。
そして中には
自分なりの方法で踏み込み、世界を広げ
先人たちの残した思いやその根っこにある文化や精神を真剣に学び、汲み取ろうと…。
はては、彼らが残したものから繋がる「現在」について
思いをはせる子も少なくはありません。
「今、自分たちはちゃんと生きてるだろうか??」と
そんなことを、彼女らは案外真剣に考えてたりするのです。
「あなた達が築こうと思い描いていた日本とは違っているかもしれない、ごめんなさい。
でも、1日1日を必死に生きているから見守っていてくださいね。」
って思ってそこにいましたよ~、
と、ある旅先での湧き出づる思いを熱く文字にしてくれた女の子。
既成の概念ではなく
自分の感性と直観にしたがってそれらを追い求める彼らのエネルギーは
とても純粋なものに感じられます。
なんというか…自然発生的に生まれてくるそういうものって
強いな、と思います。
言葉足らずでうまく書けないんですが。
そして。
そんな友達の一人が
このたび赤ちゃんを産みました。
男の子です。
その子は、親の願いがこもった雄々しく美しい字を名前にもらいました。
彼女は凛、としてこういいます。
「日本男児として勇ましく育ち、世のため、人のために働いてくれますように!」
世のため。人のために…。
彼女からのメールを見て、なんというか、ワクワクしました。
こんなに真っ直ぐに言うんだな。
宣言するんだな。
彼女たちが育てる子どもたちは、どんな子に育つんだろう。
そう思いました。
学校の歴史の授業では手渡されることのなかった
日本人の生き様の美しさを、誇りを、矜持を「新しい形」で受け継いだ母親たち。
彼女たちが育てる子どもたちは
きっと、先人たちの存在に自然に感謝し
今の自分達よりずっとしっかり
自分の土台であるところの
この「日本」という国の根っこと繋がった
大人として育ってゆくのじゃないかな、と。
たかが
マンガにアニメにゲーム。
けれどされど、なのです。きっと。
昨今
戦国・幕末ともに歴史に関する
マンガ、ゲームにアニメと、とてもたくさんあるように思いますが
「日本人の集合無意識」というようなものがあるとすれば
これらもまた
それらの発露のような気がしてなりません。
「目覚めよ、日本の心」
それを
若い彼女らは何の掛け値もなく
どん、と受け取っているような気がしてならないのでした。