忙しい。
といっても
少なくともわたしの周囲と比べると
時間的にきつきつ仕事をしているかというと
そうでもないのですが。
どちらかというと「のんびり」な部類なのでしょうが。
(こういうもの、誰と比べるものでもないんでしょうが)
が、
わたしからするともはや
「満杯」の感覚です。
ああ忙しい。
わたしにとって
自分が自分らしくいるために
「ものすごく広い空間」
が必要なんだなあ
とつくづく思います。
広い広い、「間」。
時間的にも、物理的な「場所」としても。
そうでないと、息がつけなくなってしまう。
感覚的に時間が「詰まっている」と感じ始めると
呼応して身近な空間も着々と詰まり始めますし。
(つまり、家が片付かなくなるということです)
ここのところ
酸欠の金魚みたいに口をパクパクさせながら
自分を平静に保ちつつ・・・とまあ、頑張っていたのですが。
今朝、長崎から
一陣の風のように便りが。
「ばくまつる」。
龍馬やら
後藤象二郎やら近藤長次郎やら大浦慶や陸奥宗光ら…(多分。シルエットから見てそうかな~と)
他に、長崎の「幕末」にゆかりのある名所や風物が
シルエットで染められた手ぬぐい。
その名も『ばくまつる』。
これ
欲しかったんですよね!
(亀山社中のハガキもあるぞっ!)
すとん、と何かが抜け。
で、なんだかすっきりと静かな心持です。
単純~。
好きなものを手にして元気になる。
当たり前のことなんですが
今朝、あらためて気づいたのは
自分にとって「歴史」は
「間」を一気に広げてくれるものだということです。
物理的な「空間」「状況」を動かすことは難しくても
「心」は動かせる。
心はいつもどこへでもいける。
軽やかに時間も空間もダイブして、どこまででも広がってゆける。
体は「ここ」から離れられなくても
意識はいつでも、遥かな時代や、そこで生きた人たちの思いを通して
広い広い世界とつながることができる。
それは今の自分にはない
とても純粋なものであったり
真っ直ぐなものであったり
力強いものであったり
奇想天外であったり
そして、美しいものである気がします。
そして
その奥に、
人としての変わらぬ「テーマ」のようなものを
形は全く違えど「受け継いで」今を生きている自分たちという
鳥の目のような視点が降ってきたりもします。
とても落ち着きます。安心します。
「ああ、自分だけじゃないや」
と思えます。
勇気が出ます。
こういう忙しいときほど
「心」が
「意識」が
どことつながっているか、ということが
自分として立ち続け、自分の声を出し続けるために
本当に大切なことだなあ、と
桜島と海を眺めながら
新しい手ぬぐいのぱきっとした木綿の肌触りを確かめつつ
しみじみと感じている今この瞬間、なのでした。