「深知今日事ーふかくこんにちのことをしるー」

「『先生』の話」

わたしの歴史仲間の「先生」のお話です。

先生は

大学に在職中「英語史」と「映画史」を教えていらっしゃったそう。

その頃はよく

「二足のわらじですね」

と言われたそうです。

ご本人からすると、それは結構不本意な言葉であったとか。

「世の中で言語と映像はほとんど一体となって存在しているのに」と。

つまり、先生にとっては、しごく整合性のとれた、統一感のある世界なのです。

「言語と映像は表現の媒体として『一足』」ということなのだそう。

先生の熱き思い入れのこもった言葉に

大きくうなずいたことでした。

さて

わたしから見ると、先生の軸はまさに「史」の部分にある、といつも感じます。

先生は

古い日本の歌謡にも造詣が深くていらっしゃり

明治~昭和の歌を通して、その歌を生み出した時代の背景などをよく語ってくださいます。

先生の話を聞いていると

メロディに、歌詞の、言葉の一つに、その時を生きた人たちの生の息遣いを感じます。

「この歌詞の背景にはこの事件を感じますね」

「えっ、あの有名な・・・(教科書に載ってたあれですか!?)」

というようなやりとりが

メールや何かでたまに飛び交うんですが

そんなとき

とてもワクワクします。

モノクロの古写真に、いっきに色がついて

動画になってカタカタと音をたてて回り始めるような感じがします。

そのメロディを、言葉を万感の思いをこめて

口ずさんだであろう

自分と同じに普通に生きていた人々の姿が見えるような。

教科書に載っている死んだ歴史ではなく

言葉や映像といった

人の生活に密着して存在し

喜怒哀楽をダイレクトに表現し、反映してきたものを通して

見え、聞こえ、体感できる

「生きた歴史の息吹」をこよなく愛し

それを人に伝える人ことをなさっている人

というのがわたしの先生に対する感じ方です。

(先生はそうじゃないとおっしゃいますが)

それは、どんなにか素晴らしい大切なことだろう、と

歴史好きのわたしはいつも思います。

それになにより

人がそうやって自分自身の「軸」に沿って生きているのを見ると

なんとも言えずワクワクします。

自分の惹かれるもの、心の導くものに沿っているとき。

人はそういうとき、魅力的だなあと感じます。

年を経るごとに

自分の生き方がそのようになってくるごとに

さまざまな世界で、全身で「本質」を生きていらっしゃる方々と

時間を共にする機会が増えているのは

ほんとうに幸せなことだなあと

思っています。

わたしの地元で唯一の

歴史仲間の「先生」のお話でした。

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