古くからの友の家で
なんとはなしに過ごしているとお昼時になり
彼女が
「ごはんが残ってる~」
「夕べの残りのミートソースがあるなあ・・・」
と
冷蔵庫をごそごそやりながら
昼食の算段をするのをぼんやりと眺めていました。
「それでい~い?」
「何でもいい~」(もう、ご飯にありつけるだけで幸せでございます)
という会話の10数分後
出てきたのが右のお昼。
ご飯を炒め、塩コショウとバジルペーストで味付け。
その上にミートソースとチーズをかけ
オーブンでこんがり♪
さらにバジルを散らして味をぴりっと引き締めた一品。
これがとても、おいしい。
彼女とはながい付き合いですが
彼女の手から生み出されるものがおいしくなかったことは
一度もないのです。
残った冷たいご飯。
大根のきれはし。
おつまみチーズのあまりもの。
そんなものが、彼女の手にかかっていつも、すばらしいご馳走に変身して(しかも短時間で!)蘇ってくるのを
何度もこれまで見てきました。
わたしにはとてもできないことです。
彼女の頭の中と、体には、食材や料理に関するたくさんの「経験値」が蓄えられているのでしょう。
彼女は昔から料理が好きでした。
彼女の家で泊りがけのパーティーをやったのですが
彼女が買い揃えていたパーティー用の豪華な食器の数々を
目にして
その華やいだ雰囲気にみんなで大いに盛り上がったものでした。
好きこそものの・・・で
料理のセンスや想いはその頃から群を抜いて、さえていた彼女。
(彼女が持っていたパンチボウルとグラスのセット
〈こんなかんじ〉)→
「場数とセンスだねえ・・・」
お昼をいただきながらしみじみと感嘆を声に出すわたし。
「わたしの仕事も、こうでなくっちゃね」
「仕事はなんでもそうだよね~」
「だよね」
たくさんの「素材」をあつめ、チョイスし、それでもって「一つの世界」をつくり
そこにお客様をいざなうのがわたしの仕事です。
使う素材は他者と同じであっても
それをまとめ、どういう料理に仕上げるかはわたしの腕ひとつ。
わたしにしか出せない色、味があり
そこにこそ、わたしの存在理由がある。
彼女と話しながら
かつてウエディングプロデューサーをしていたときに
当時はやりはじめていた「人前式」の式次第を
他の会場さんも取り入れていましたが
同じ「式次第」でも、それを実際運用し演出し、当日進行する人間の「腕前」によって
まったく「似て非なるもの」になっていたことを思い出していました。
100人で一列に並んで
「大根の切れ端と残りご飯と、ちょっとこげた夕べのミートソース」で料理を作れといわれたときに
それを使って最高のものをつくってやる。
誰にもマネはできない。
させやしない。
そんな仕事をしよう、と
彼女を見ながら思ったことでした。