なんとも格好のよくないタイトルですが
教え子のダンスを見に行ってきました。
とてもかっこいいイベントだったので
このタイトルで紹介していると彼女が知ったら嫌がりそうな気もしますが^^…
以前もブログに書きましたが
彼女は、プロのダンサーです。
そして、その彼女からこんなメールが来ました。
「私の踊りの本質というか
大切にしていることが発揮できるなかなかナイ機会なので
観に来ていただけると嬉しいです」
前回会ったとき
まさに彼女はそのことについて、考えているところでした。
「自分が踊りで大切にしていること」について。
これは
観にいかないわけにはいきません。出かけていきました。
「これが、生きてるっていうことなのかなあ」
それが、はじめに感じたこと。
ジャズバンドとのライブセッション。
腹にびんびん伝わってくる生の音の中
コの字に作られた客席の真ん中で踊る彼女達。
とても不思議な感じを受けました。
そうですね…
まるで、どこかの街角にいるようなかんじ。
とってもステキなんです。そして、いい意味で「特別な感じ」がしないのです。
一日が終わって、どこからともなく集まった街の住人が、いつのまにか踊りだしている…
日々の生活の場面から湧き出てくる嬉しさや楽しさや悲しさや
そんな想いがリズムとなって自然と湧き出てくる踊り
なんだか、そんな一場面を観ているようでした。
それは、まさに毎日の生活の中から、そして人生から「湧き出てくる踊り」。
ああ
生きてるなあ、彼女。
今、全身で生きている。
7人のダンサーさんがいて
みなされぞれ特徴のある踊りをします。(本当に、内面が出るんでしょうね)
その中で、わたしの教え子の踊りは
喩えていうなら(わたしの勝手な感じ、ですけれど)
「静」の中に、無限の「動(広がり)」を感じる踊り、です。
体の表面は止まっているのですけれど
その奥の奥、体の芯からリズムが律動となって
わあ~っと溢れ出てくるのが見えるのです。感じるのです。
押えた動きの中
例えば、肩をほんの少し動かすだけなのに
何かが伝わってきます。
「どくっ、どくっ、どくっ」
脈打つ波。鼓動。
瞬間、会場の空気がざわっと動く。
一瞬、つい「能」を連想してしまいます。
立っているだけなのに、そこにいるだけなのに、会場の隅々までに「影響をもらたす」彼女。
ある空気をまとってたっている彼女。
「場にいかに影響を与えるか」
仕事柄、人様にもその方法をお伝えしなければならないため
常日頃考えていることなのですが
彼女の踊りを見て、また一つ、腑に落ちた気がしました。
まとめて言ってしまえば
「今、その瞬間に生きている」こと。
五感のすべて
細胞の一つ一つまでが、その瞬間にいて、音を聞いて、感じて、自分が伝えたい世界に
100%いる
そして
その瞬間を全身で楽しんでいる
音にあわせて体が動くことの、ただその幸せを味わっている
(よくみせよう、成功しようなんて意識は完全にどこか山の遠くへふっとんでいて)
「伝える」とは
「伝わる」とは
どういうことか
彼女からわたしが感じたのは、そういうことでした。
こういう状態に
誰でもなることができたらきっとステキでしょうね。
あんなに人生を
生きることを楽しんでいる人がこの地上にもっとたくさん出現するなんて
きっと、本当にステキです…