行ってきました。
「上方落語 桂吉弥 はなしの世界」
サイン、いただきましたので早速アップ
結構前から好きだったのです。「桂吉弥さん」
(それは誰だ?という方はコチラ をどうぞ。
有名なところでは少し前の朝の連ドラ「ちりとてちん」にご出演でした)
もともと
自分が落語をするなら「芸名」(っていうんですかね?)はこれにしよう!と
学生の頃、名前まで秘かに決めていたくらい
落語自体が昔から好きだというのもあるんですが
加えて
結構以前から
テレビのドラマで見て「ああ、いいなあ」と思っていた方だったもので
いそいそと出かけました。
さて
今日は3名のご出演で
お一人目が高座に上がった瞬間から、仕事柄いろんなことを考えてしまい。
どのくらいで会場は暖まるだろう?
演者が出す声(というか、とにかく雰囲気のようなもの)が
会場にどんな影響を与えているか?
力技で会場をかき混ぜようとしているか?
それとも、自然に水滴のようにお客さんの中に入ってきているか?
なんてことを
アンテナを立ててぴりぴりと感じ取ってしまいます。
ああ~、何分で枕を終えて(つまり、アイスブレイクですね)
中身に入ったな。なるなる…
よ、ふと時計を確認してしまう自分が悲しい。
さて、そんなで話を楽しむ自分と、妙に客観的な自分が同居しつつ時間は進んで行き
本日のトリが吉弥さんなわけですが。
はい
終わった時にわいていた感情は
あえて言うなら…「妬ましい」(なんとおこがましい!)
プロの「すばらしい仕事」を見るとよく感じる感情です。
「くっ…こんなにいい仕事をしてるなんて!」
という感じでしょうか。(なんと、プロの落語家さんを前に大胆な感情)
はじめは確かに『吉弥さん』を見ていたのです
吉弥さんだ~!テレビとおんなじ顔してるやん♪
あれ、なんだか前よりふっくらしてるなあ、ですとか・・・。
それが話が進むにつれて
視界がぐ~っと狭まってきて周りの屏風も何も見えなくなってしまい
真ん中でキラキラ光って、やけに吉弥さんだけが大きくなってき、
そしてそれはもはや吉弥さんではなくて芝居が好きで好きでたまらない
阿呆な若旦那と使用人の貞吉で吉弥さんは完全にいなくなっていました。
あらためて、落語はすごい。
あの話芸の世界はすごい。
日本の話芸はすごい。
言葉では描写できませんが、
今日わたしの体で感じたもの(間、呼吸、視線、声…その他たくさんのもの)は
多分わたしの細胞の中にしみじみと染みとおって
きっと、変換された形となって、生きてくるんだろうなと思います。
ああ、わたしももっと研鑽しなくちゃ!
と、元気の出た久しぶりの落語でした。